解読不能!? 世界で最も神秘的な書物「ヴォイニッチ写本」の基礎知識

文=羽仁 礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、未知の文字と奇妙な図像で綴られ、発見から100年以上を経てもなお謎に包まれた写本を取りあげる。

    文字も図像も未解明の奇書

    「世界で最も神秘的な書物」と呼ばれる文書がある。それが、「ヴォイニッチ写本」だ。

     中世ヨーロッパの一般的な書物と同じく羊皮紙を用い、それぞれのページを文字らしきものが埋め、カラフルに彩色されたイラストも数多く描かれている。
     閉じられた羊皮紙の大きさは微妙に異なるが、だいたいの大きさは縦23・5センチ、幅16・2センチほど。それぞれの羊皮紙の表面(右側)の隅には、最大で116番までの葉番号(フォリオ番号)が振られている。ただ、この番号は執筆当時からのものではなく、後世のだれかが書き加えたものらしい。

    ヴォイニッチ写本の皮装の表紙(上)と、厚い羊皮紙が重なる断面(下)。

     また、いくつかのページが欠落し、ほかの何倍もあるものが折りたたまれていたり、本来何ページあったのか判然としない。

     オリジナルの表紙も失われているので、本当の書名も不明で、1912年にこの写本を発見した古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチにちなんで、とりあえず「ヴォイニッチ写本」と呼び習わされているのだ。

    1912年、イタリアの寺院で謎の写本を発見したウィルフリッド・ヴォイニッチ。

     この写本がなぜ「世界で最も神秘的な書物」と呼ばれているかというと、1912年の発見から現代に至るまで、多くの専門家が解読を試みたにもかかわらず、いまだに文章の内容はおろか、何のテーマを扱っているのかさえ不明なためだ。

     使用されている文字も、ラテン文字のアルファベットに似たものもあるが、大部分は古代文明の時代まで遡っても例を見ない独特のもので、厳密にいえば本当に文字なのかどうかも明らかでない。
     イラストの題材は植物が大部分であるが、ほかに裸の女性や星座図と思しき同心円状の図などが描かれている。しかし、100以上も描かれた植物の中で、種類が特定されたものはない。人物像もほとんど裸であり、服装から時代背景や場所を特定することもできない。
     ただ、写本の場所によってイラストの主題が異なっているようである。たとえば1枚目から66枚目までは未確認の植物のイラストが大半を占めるので、本草学について述べているのではないかと推定されている。
     続く67枚目表から73枚目裏にかけては、25の円形の天体図、太陽や星などを描いた放射状の図などが描かれ、天文学あるいは占星術のセクションと考えられている。

     同様の推定から、本草、天文、生物学、宇宙、薬学、処方の6つのセクションに分けられている。そして最終ページにある2行半ほどの短い文章は、写本解読の鍵とみなされている。

    ヴォイニッチ写本は描かれた図像から、本草、天文、生物学、宇宙、薬学、処方の6セクションで構成されると考えられる。写真は上から本草、天文、生物学のセクションより。

    魔術師から皇帝の手へ…作者は誰か?

     もちろん、だれがこの写本を作ったかもいっさい不明であり、いくつもの説が唱えられている。またその来歴を巡っても、歴史上名高い何人もの魔術師や錬金術師、神秘思想家の名が取り沙汰されている。

     写本を発見したヴォイニッチは、作者は13世紀のロジャー・ベーコンだと信じていた。
     ベーコンはイギリスの哲学者で、火薬の製造法を記述した最初のヨーロッパ人とされる。フランシスコ会士でありながら占星術や錬金術にも関心を持っており、後世にはものを喋るブロンズの頭を作るなど、さまざまな伝説が生まれた。

     さらにヴォイニッチは、16世紀イギリスの魔術師ジョン・ディーも、一時この写本を所有していたと考えた。
     実際、イギリスの著述家サー・トーマス・ブラウンが錬金術師エリアス・アシュモールに宛てた1675年の手紙の中に、ジョン・ディーが生前、象形文字のみで書かれた本を解読しようとしたができなかったという記述がある。

     しかしベーコン説については、2011年にアリゾナ大学で行われた放射性炭素年代測定により、写本に使用されている羊皮紙は1404年から1438年ごろに作られたと判明したため、13世紀に生きていたベーコンの作品ではあり得ない。
     ディーが所有していたとされる象形文字のみの本についても、ヴォイニッチ写本かどうかは不明だし、何よりもヴォイニッチ写本は象形文字ではなく未知のアルファベットと思われる文字で書かれているので、ディーが持っていたものという確証は得られず、否定的な意見が強いようだ。

    哲学者ロジャー・ベーコン(上)と魔術師ジョン・ディー(下)。かつてはヴォイニッチ写本の作者だと考えられていたが、現在ではほぼ否定されている。

     一方、現代まで残る資料の中から、歴代の所有者を何人か特定することもできる。

     たとえばヴォイニッチが写本を発見したとき、17世紀プラハの医師ヤン・マレク・マルチが同時代のイエズス会士アタナシウス・キルヒャーに宛て、写本を送って解読を依頼するという内容の書簡も付属しており、マルチはその中で、この写本を神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が600ドゥカートで購入したと述べている。

    神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世。一時期、ヴォイニッチ写本を所有していたとされる。

     当時の王宮の帳簿を調べたところ、1599年にルドルフ2世が、アウグスブルクの医師で写本商のカール・ヴィーデマンから小さな写本のコレクションを600フローリンで購入したという記録も見つかっている。フローリン金貨はドゥカート金貨とほぼ同価値であったから、マルチの書簡の記述とも一致する。そこでルドルフ2世の前に、ヴィーデマンがこの写本の所有者であった可能性は高い。

     ルドルフ2世の死後、写本は皇帝の植物園管理人であったヤコブス・シナピウスの手に渡ったようだ。シナピウスがどのようにしてこれを入手したか定かではないが、最初のページにうっすらと彼の署名が入っていたのだ。ただ、これが本当にシナピウスの署名かどうかについても疑問の余地があるようだ。

    ヴォニッチ写本に描かれた大半のイラストは植物だが、いずれも奇妙な姿をしており、種類が特定されたものはひとつもない。

     その後、写本は17世紀プラハの錬金術師ゲオルグ・バレシュの所有物となった。このことは、前述のキルヒャーの遺品の中に、バレシュが自分の持つ謎の書物の解読のためキルヒャーに協力を求める書簡が残っていることで確認できる。
     そして、マルチはバレシュの友人であったから、バレシュの死後マルチの手に渡り、マルチが、書簡を添えてキルヒャーに送ったようだ。
     キルヒャーは複数の言語に通じた碩学であり、当時は単なる装飾と考えられていた古代エジプトのヒエログリフ解読に成功したと主張していたので、マルチはキルヒャーなら写本の謎の文字も解読できると期待したものと思われる。しかし、さしものキルヒャーも、この謎の写本は解読できなかったようで、彼の死後残された他の多くの文書とともに、写本はローマにあるコレッジョ・ロマーノの図書館の所蔵になったと考えられている。

     そして1912年、コレッジョ・ロマーノが財政難から所有する財産をいくつか売却したとき、ヴォイニッチが30冊の写本を購入した。その中にヴォイニッチ写本も含まれていたのである。

    言語学から統計分析までを駆使する解読者たちの挑戦

     ヴォイニッチ写本の存在が知られると、言語学者や暗号の専門家をはじめとする大勢の人物が、さまざまな手法を駆使して解読に挑んだ。

     多くの者は、地球上のさまざまな言語や文字を試験的に写本の文字に対応させて、本来の言葉の正体を探ろうとした。

     ロシアのユーリー・オルロフもそのひとりで、母音とスペースをすべて取り除いた上で世界中のあらゆる言語と文章を比較し、60パーセントが英語とドイツ語が混じったもので、他の40パーセントはロマンス語と、少しばかりのラテン語と考えたが、解読には至らなかった。

     アメリカのロバート・ブラムボーは、写本の文字はすべて数字に置き換えられるとし、同じようにラテン文字を数字にあてはめて対照させたが、このやり方には批判がある。

     イギリス・ベッドフォードシャー大学の言語学者スティーブン・バックスは、描かれている植物のアラビア語やヘブライ語などの呼称から見当をつけ、イラストに付された注釈らしき部分と照らし合わせた。

     ブラジル・サン・パウロ大学のディエゴ・アマンシオらは、単語の頻度や位置関係を統計的に分析しようとした。

     アメリカのウィリアム・ロメイン・ニューボールドなどは、それぞれの文字は顕微鏡で見ないとわからないほど小さな略字で書かれているとして、それを読もうとした。

     中には、ヴォイニッチ写本はまったく意味のないでたらめだという者もいるが、文字や単語の頻度、構造を分析すると、特定の文字が特に多く使われているなど一定の法則が見つかり、何らかの文法構造を持っていると推定されている。

    謎めいた文字もヴォイニッチ写本の大きな特徴のひとつである。これが普通の文章なのか、暗号なのかも判然としない。

    AIでも解読不能……全容解明の日は?

     最近では、AIを使用して解読しようとする研究者も何人かいる。たとえばカナダのゼゴシュ・コンドラックは、AIアルゴリズムを用いて380の言語と写本の記述を比較し、80パーセント以上がヘブライ語の単語に相当すると発表した。しかし、見つかった単語をつなぎ合わせても、意味のある文章にはならなかった。

     描かれたイラストから内容を推定しようとする者たちもいた。レオ・レヴィトフは、浴槽に浸った女性の姿は12世紀から13世紀ごろに南フランスで栄えたカタリ派の儀式を表しているとして、写本はカタリ派の教義書であるとする説を唱えた。

     イギリスのテレビ作家ニコラス・ギブズは、イラストの内容に中世の医学書との類似があるとして、婦人の健康に関する医学書であると発表した。

     ジュレス・ジャニクとアーサー・タッカーは、描かれた植物の中に、ヒマワリやトウガラシの一種らしきものがあるため、じつは16世紀にメキシコで作成されたのではないかと述べた。

     このように解読のためにさまざまな手法がとられ、多数の意見が出ているが、いまだに写本は解読されていないのだ。

     アメリカ軍の暗号専門家として、第2次世界大戦時に日本軍のパープルコードも含め、数々の暗号を解読し、暗号の天才ともいわれたウィリアム・フリードマンも写本に興味を持って解読しようとしたが、彼もまたこの謎の文書の前に敗れ去っている。

    ヴォイニッチ写本の解読に挑んだアメリカの哲学者ウィリアム・ロメイン・ニューボールド(上)と暗号解読の天才ウィリアム・フリードマン(下)。

     1930年、ウィルフリッド・ヴォイニッチが死亡すると、写本は未亡人のエセル・ヴォイニッチを経て、彼女の友人アン・ニルの手に渡った。アン・ニルは古書商ハンス・P・クラウスに売却し、クラウスは1969年、エール大学に寄贈したので、写本は今でもエール大学バイネッケ書庫に保管されている。

    「ヴォイニッチ写本」の全ページは現在インターネットで公開されており、だれでも解読に挑戦できるようになっている。発見されてから100年余り、多くの挑戦者を退けてきたこの文書の謎が解明される日はいつ訪れるのだろうか。

    薬学のセクションより。植物の根と何かの容器と思われるものが描かれている。
    宇宙のセクションより。折りたたまれた状態で綴じられており、開くと9つの円形の図が現れる。

    ●参考資料=『ヴォイニッチ写本の謎』(ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル著/青土社)

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