墜ちた道化師の悲劇と「学校のピエロ」怪談/吉田悠軌・怪談解題

文=吉田悠軌 挿絵=森口裕二

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    ユーモアと無気味さが同居するピエロ。学校とは関わりのないはずの存在だが、なぜか全国各地の小学校に「ピエロ怪談」が伝えられている。そこには、半世紀前に実際に起こった、ある悲劇の影響が垣間見えるのだ。

    全国の学校でささやかれる恐ろしいピエロの怪談

     小学校のトイレや図書室または体育館などに、無気味なピエロが出没する……。こうした「学校の怪談」は、トイレの花子さんほどメジャーではないものの、全国にそれなりに広まっていた。
     ピエロが起こす行動はさまざまだ。ぽつんと佇む姿が目撃されるだけの場合もあるが、校内に道化師の格好をしたものがいるだけでじゅうぶん怪異だろう。一方、鏡や異空間にひきずりこまれるパターンもある。さらには爪や武器などで襲いかかってくるなど、一般的な学校の怪談に比べ、かなり暴力的なケースも多い。
     これらピエロがしばしば負傷した姿であることも、他の怪異とは異なる特徴だ。

    『学校の怪談』(ポプラ社版)13巻に記載されているのは、以下のような話。

     ――午後3時半、南校舎の男子トイレに片足のピエロが出る(奈良県)、校内に首をつるピエロが出る。なぜか12時にため息をついてはいけない(神奈川県)、体育館の裏に死んだピエロが出るらしく、その声を聞いた人もいる(静岡県)――。
     なぜピエロはケガしていたり、首をつっているのか? その理由として、学校での公演中の事故により負傷または死亡したからとのエピソードが語られたりもする。mixiにて出身小学校のコミュニティを閲覧すると、各校の七不思議としてピエロ怪談が語られていた様子が確認できた。
     たとえば埼玉県上尾市の芝川小学校では。
     ――戦後すぐ、学校にサーカス団がやってきて、体育館にて公演を行なった。その途中、綱渡りに失敗したピエロが転落死してしまう。彼が激突して血しぶきをたてたシミが、今も体育館の壁に残っている。そのシミはピエロがにやりと笑っている顔にも見えるのだ――。

     山形県酒田市、浜田小学校では次のような噂となる。

     ――浜田小および新井田川を挟んだ若浜小。両校の校庭には、わんぱく山と呼ばれる小山があるのだが、それぞれのわんぱく山に、ピエロの上半身と下半身が埋まっている。また別に、浜田小の体育用具室にはピエロが首をつった縄がぶらさがっており、そのロープが時おり赤く染まるのだという――。

     群馬県高崎市立南小学校に伝わるピエロ怪談もなかなか血なまぐさい。創立百周年記念写真集『南風』に紹介されている話は以下の通り。

     ――昔、南小学校の校庭でサーカスが開かれた。そのとき、ピエロが演技を失敗してしまい指を3本切り落としてしまう。サーカスの団員たちが一生懸命その指を探したが、結局見つけることはできなかった。
     数年後、校庭の一角に3本の銀杏の木がはえはじめた。そこはピエロが指をなくした場所だったのだ。その3本の銀杏の木は、今も南小の校庭に現存している――。

     これらは各校にて七不思議として伝わっている、体験者不在の都市伝説だ。ただ私自身も10年前、実体験談としての類話を採集したことがある。

    記憶も記録も消去される「123のピエロ」の謎

     山口県出身の健二さんから聞いた話。現在は東京の大手レコード会社に勤めている彼が、2000年代末、友人の結婚式のため帰省した折のことだ。同じテーブルについたクラスメイトたちと思い出を語りあっているうち、級友のひとりがふいにこんなことを口走った。
    「なあ……うちの学校でピエロを見たことないか?」
     健二さんは思わず身を乗り出した。自身の遠い記憶が、まざまざと浮かんできたからだ。
     その日、彼は体育の授業で使う用具を、ひとりで体育館用具室まで取りにいかされていた。無人の館内を横切り、用具室に辿り着いたころで鉄扉を開ける。するとその室内に、色とりどりの服を着た男が立っていた。
     ピエロだ。メイクも衣装も、まったく一般的なイメージ通りのピエロである。
     しかし頭の位置がおかしい。首がだらりと横に長く伸び、こちらを向いた頭部は斜め下に垂れさがっている。明らかに首の骨が折れているではないか。
     ひっくり返った頭のまま、ピエロはこちらに目を合わせ、ニヤリと笑った。
     自分は十数年前、そんな情景を見た気がする。とはいえこんな大事件を黙って自分の胸だけに留めておくはずがない。おそらくこれは自分が捏造した偽の記憶なのだろう。そう考えた健二さんはこの体験談をだれにも打ち明けていなかった。
     しかし今、同じ学校の友人が、遠い記憶を裏づけるような発言をしてきたのだ。
    「俺、この前Aと飲んでたんだけど」
     Aもまた同級生である。その彼が居酒屋の席で、いきなり「俺たち、体育館でピエロ見たことあったよな?」と尋ねてきた。瞬間、友人の脳裏にも体育館にピエロがいる景色がフラッシュバックした。「ああ見た見た!」「だよな、でもなんで体育館にピエロなんていたんだ?」「わかんないけど、確か首が変な風に曲がってたような……」
     つい最近、そんな会話を交わしたばかりだというのだ。
    「いや、実は俺も……」
     健二さんもまた同様の記憶があることを告白した。そこからふたりは新郎新婦そっちのけで、スマホにて「学校 ピエロ」などのワードをグーグル検索し、情報を探していった。
     すると、また別の学校の掲示板に「123(ワンツースリー)のピエロ」という怪談が書き込まれているのを発見した。学校の催しにてサーカスの一団がやってきた。そのイベント中、ピエロが「ワン、ツー、スリー」
    のかけ声でバク転したのだが、着地に失敗。首の骨を折って死んだ、というエピソードだった。
    「俺たちが見たものと似ている!」と色めきたつふたり。とはいえ、さすがにこれ以上は結婚式を疎かにできないので、後で情報を深堀りしようとスマホを置いた。
     翌々日、東京に帰り、レコード会社に出勤した健二さんは同僚にこの話を伝える。
    「知ってる? 123のピエロっていう怪談があってさ……」
     スマホ片手に説明しようとするが、なぜか例の学校掲示板がヒットしない。一昨日と同じワードを入力しているのだからすぐに見つかるはずだ。しかし〝123のピエロ〟、〝ワンツースリーのピエロ〟といったフレーズを検索しても「一致する情報は見つかりませんでした」との冷徹な文字が出るだけ。さらに検索履歴まで消えてしまっている。それは百歩譲ってうっかり消去したのかもしれないが……。
    「たった2日で掲示板ごと消えてしまったのは、意味がわかりません」
     首の折れたピエロとはなんだったのか、今となってはどうにも調べようがないのです。健二さんは、そう嘆息した。

    解題―—調べるほど消えていく怪異

     私がこの話を取材したのが2014年のこと。
     不勉強ながら学校のピエロにまつわる怪談を知らなかった私は、ここから興味をもって調査を開始した。そこで同様の怪談が全国に広まっていることを確認したのである。
     なかでも、あるブログで書かれていた話はかなり共通性が高かった。「1(いち)、2(に)の3(さん)」の掛け声でトランポリンから飛び上がったピエロが、着地に失敗して首の骨を折ったというものだ。もっとも正確には「123(ワンツースリー)」の文言と異なるし、学校掲示板でなくブログなので、健二さんの見たサイトではありえない。
    「いちにさん」「ワンツースリー」の音は不明ながら、ネット上に「123のピエロ」系の話は少数存在した。いずれもが公演中の事故により首の骨を折るパターンである。ただこれらのブログやホームページは、すべてが短期間で記事が削除、あるいは運営サービスが終了してしまったため、もはや私のスクリーンショットにしか残されていない。

     怪談作家の黒史郎さんから情報提供をいただいたこともある。黒さん自身が運営していたホームページで、似た話を紹介していたらしいのだ。やはりバク転に失敗して首を骨折したピエロにまつわる学校の怪談だという。ただこれも、かなり昔のサイト移転時に当該部分をうっかり削除してしまったそうだ。

     まるで健二さんの体験談をなぞるように、「123のピエロ」は次々とインターネットに現れては消えていく。まことに無気味ではあるが、こうなったらアプローチを変えて調査していくしかない。

    今では吉田の手元にしか残っていない「1、2、3のピエロ」の希少な痕跡(当時のサイトより)。

    関東圏の小学校では80年代前半には発生

     学校のピエロ怪談は、いつごろから発生したものなのだろうか?
     私は当初、スティーブン・キングの小説『IT』のテレビドラマ版の影響で生まれたものかと考えた。原作小説(1986年)、近年の映画版(2017年)いずれにも、ペニーワイズという恐ろしいピエロが登場する。恐怖心を栄養とし具現化する存在で、子どもたちを殺そうとつけ狙う。そして私個人としては、小説や映画よりも、小学生の頃にレンタルビデオで視聴したドラマ版のペニーワイズこそが、演出・造形・演技すべてが噛み合った史上最恐のピエロだと確信している。これが当時の小学生たちに衝撃を与え、子どもを襲うピエロ怪談が派生したのではないだろうか。

     ただ、この推測はもろくも崩れ去った。『IT』ドラマ版のアメリカ本国での放送は1990年11月18・20日。VHSへのソフト化、および日本でのリリースは1991年である。しかし80年代前半には既に、小学校に出現する攻撃的なピエロの噂が生まれていたのだ。

     ――ある学校の地下室によくピエロが出る。ピエロを見たら20 秒間のうちに地下室を出ないと殺される――。

     1985年7月、都内中学校の社会科教員が調査した事例である。聞き取り対象は中学一年の女生徒で、彼女が小学校時代に聞いた話なので、80 年代前半となるだろう。その教員とは、学校の怪談ブームの立役者となった常光徹。『昔話伝説研究』12号(1986年)所収の論文「学校の世間話」で紹介した事例であり、一年後の松谷みよ子『現代民話考:学校』でも採録されている。
     またmixiの上尾市立芝川小学校コミュニティを精読すると、ピエロのシミのついた体育館の壁は85~86年に張り替えられている。つまりその年以前の生徒による噂であり、これもまた80年代前半となる。

    学校のピエロ怪談は現在まで根強く残っている。「体育館のピエロ」は、手にした包丁で自分の首を切り落として遊んでいるのだとか(『ムー認定! 最恐!! 学校の怪談ビジュアル大事典』より/イラスト:haluaki)。

    77年の衝撃的な事故が怪談のルーツに?

     当時の関東圏にて、学校のピエロの怪談が語られはじめたのだとしたら。この要因となったかもしれない事故が、数年前に起きている。「ピエロのクリちゃん」として親しまれた栗原徹氏の死亡事故である。
     栗原氏は日本にピエロ文化を根付かせた第一人者。しかし使命感から危険な技に次々と挑戦しつづけたことが、悲劇へと繋がった。1977年11月23日、茨城県水戸市での公演中、命綱・ネットなしの綱渡りを行なった際に転落死してしまったのだ。

     彼の死後、その功績は草鹿宏のノンフィクション『翔べイカロスの翼』(1978年)として発表され、ドラマ・映画・演劇へと翻案されている。ドラマ版のさだまさしの主題歌『道化師のソネット』(1980年)も有名だ。こうしたムーブメントが関東圏の小学生たちに影響し、ピエロが事故死する怪談を生んでいったのではないだろうか。学校の公演では綱渡りは不可能なのでバク転に置き換えられ、首の骨折を死因とするピエロ怪談が発生。そこから連想が広がり、首つりピエロのパターンも派生した――。
     時期的な一致を見ても、この推測はそれなりに説得力があるかと思う。

    児童書や子供向けの怪談本でも、しばしばピエロがとりあげられている様子がうかがえる。

    (月刊ムー 2025年11月号掲載)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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