卑弥呼の時代へタイムトリップ! 壱岐市「原の辻遺跡」の歩き方/ムー的地球の歩き方JAPAN

文=中村友紀

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    「魏志倭人伝」に書かれた「クニ」の遺跡

    「また南に一海を渡ること千余里、瀚海(対馬海峡)という名である。一大(支)国に至る」
     古代史に興味のある読者にはおなじみの、「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国へのルートの一部だ。
     邪馬台国の所在地については、いまだに決定的なものがない。だが、途中まではかなりはっきりしており、ここに登場する一大国については、現在の壱岐と考えられている。そして、その王都跡とされているのが、長崎県壱岐市芦辺町と石田町にまたがる原の辻遺跡なのだ。

    遠景。現在は公園としても整備されている。画像=Wikipedia
    主祭殿とされる建物の復元。画像=Wikipedia

     ちなみに「一大国」と書かれているのは『魏志』だけで、ほかの歴史書には「一支国」となっていることから、一大国は書き間違いだという指摘もある。
     では、一大国とはどのような国だったのか。
    「長官を『卑狗』、副官を『卑奴母離』といった。国の広さは約三百里四方。竹や木の茂みが多いが、家は三千ほどある。田畑が少しあるものの食料とするには足りず、南や北に海を渡って穀物を買い入れている」 というのが、「魏志倭人伝」に書かれた一大国の姿だ。

    「魏志倭人伝」に記された「一大(支)国」の記述。

     まさに小さな島の「クニ」というイメージそのものだろう。
     原の辻遺跡の発掘調査は、大正12(1923)年から現在に至るまで断続的に行われており、弥生土器や石器、大量の鉄器などが出土。住居跡や墓地なども確認されている。
     またこの王都は周囲を何重もの溝で囲った環濠集落になっており、全体が丘陵の上に作られている。なかでももっとも標高の高い地域が、王が暮らす宮殿として使われていたことも明らかになっている。
     現在は、当時の様子がうかがえるように遺跡公園として整備されているので、遠い卑弥呼の時代の小さな「クニ」の雰囲気を味わうには最適の場所といえるだろう。

    (月刊ムー 2025年11月号)

    中村友紀

    「ムー」制作に35年以上かかわるベテラン編集記者。「地球の歩き方ムー」にもムー側のメインライターとして参加。

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