神像「ティキ」はモアイ像のルーツか? マルキーズ諸島の歩き方/ムー的地球の歩き方
ムーと「地球の歩き方」のコラボ『地球の歩き方ムー 異世界の歩き方』から、後世に残したいムー的遺産を紹介!
記事を読む
南太平洋のイースター島にあるモアイ像を作ったのは2万年前の超古代文明を築いた人々だった! その根拠となるのは、極が移動するポールシフトだ。どういうことか? 三上編集長がMUTubeで解説。
20年前から企画していたイースター島(現地語名はラパヌイ島)訪問は、2025年1月にようやく実現した。成田を発ってタヒチ島に到着し、3泊してからラパヌイに向かった。
イースター島は、期待を裏切らない不思議な島だった。南米大陸から3700キロも離れている絶海の孤島は、石ばかり目立つ、農産物もあまり育たない不毛の地だ。
今回のイースター島訪問の目的はインカ風の石壁を観察すること、モアイの石像と睨めっこをすること、そして現地の考古学者ソニア・ハオア博士に話を聞くことだった。
多くのモアイ像と睨めっこをしたが、モアイ像は私を無視して、空ばかり見つめていた。土砂に埋もれたモアイ像は異様な雰囲気を醸しだしている。頭だけしか出ていないモアイもあり、腰まで地面から突きでているモアイもある。
モアイ像はかなり長身だ。最も背の高いモアイ像は7階建てのビルほどの高さがある。モアイ像がこんなに深く地下に埋もれるには相当な年月がかかるだろうという印象を持った。
有名なインカ風の石壁は、アフ・ビナプと呼ばれる場所にあるのだが、左ページの写真のように南米のクスコにある石壁とそっくりだ。南米の多くの遺跡に見られる巨石の加工技術は、21世紀でも到達できないレベルにある。ソニア・ハオア博士は「インカ風の石はラパヌイの数か所にありますよ」という。イースター島出身のソニア・ハオア博士は、若いころに著名な冒険家トール・ヘイエルダールの助手を10年以上務めていた。
イースター島にインカ風の石壁が存在することは、モアイ像が2万年よりも前に作られたことを示している。だが、その証拠は、PART2とPART3で明らかにする。その前に現在の定説について説明しておこう。
現在の定説によると、モアイ像は9世紀にイースター島に移住したポリネシア系の人々が作ったことになっている。そして17世紀にはモアイ像の製作が停止された。その理由は「部族間の闘争が起こったため」だとされている。部族間で大型モアイ像の製作競争が始まり、モアイを運ぶための木材が大量に必要となったため、熱帯雨林だったイースター島の森林がなくなり、表土が海に流れてしまい、カヌーも作れなくなり、人々は極貧生活を送るようになったという。
ポリネシア人たちが訪れるまでこの島は無人島であったのかというと、そうではなく、多くの人々が住みついていたという。
ソニア・ハオア博士の研究チームは2012年に3000年前のバナナの花粉を火山クレーターの湿地帯から見つけている。バナナはヤシの実と違って漂流してこない。人間が運んできて栽培しないと育たない。バナナの原産地は東南アジアだから、紀元前1000年以上前に移住してきた人々もアジア系であったのかもしれない。
ソニア・ハオア博士の意見では「海は古代の高速道路です。大昔からラパヌイには東西南北から人人が移り住んでいました」とのことである。
タヒチ島の博物館の研究者は「オセアニア(南太平洋上に散在する諸島)に人が住みはじめたのは5万年前です。この古人類が東南アジアからやってきた人々と混血したのが、現在のポリネシア人です」と解説してくれた。
欧米人がイースター島にやってきたのは1722年のことで、オランダ船だった。ちょうど復活祭の日だったことから、ラパヌイは、「イースター島」と呼ばれるようになった。オランダ船は1泊しただけで、錨を上げて消え去った。オランダ人たちは、「先住民は貧しく、石器時代の生活を送っている」と書き残している。
次に欧米人が来たのは約50年後の1770年で、スペイン船だった。スペイン人はこの島をスペイン領サン・カルロス島としたが、その後戻ってこなかった。スペイン人の日誌には「先住民の中には身長が2メートルもある白人がいる」と書かれている。
その後も、イギリス船(1774年)、フランス船(1786年)がイースター島にやってきた。イギリス船の船長だった冒険家ジェームズ・クックもフランス船の船長だったラ・ペルーズもモアイ像を観察して「これは古代の遺物で、先住民ではなく、未知の建造者によって作られている」という感想を述べている。さらにキャプテン・クックは「島に見られる精緻な石壁はイギリスの最高の石壁よりも優れている」と書き残している。
その後、アメリカ船とペルー船がイースター島に押しかけて住民を奴隷にしている。ペルーのアザラシ捕獲船7隻は1500人の奴隷を乗せて立ち去った。その後、奴隷15名がラパヌイに戻ってきたが、天然痘を持って帰ったので多くの住民が死んだ。そのためこの時期、イースター島の全人口は111人にまで減ってしまった。その後イースター島はチリの領土となり、西洋文明の島になった。
現在のイースター島の人口は7000人で、産業は観光しかない。
(文=大地舜)
続きは本誌(電子版)で。
webムー編集部
関連記事
神像「ティキ」はモアイ像のルーツか? マルキーズ諸島の歩き方/ムー的地球の歩き方
ムーと「地球の歩き方」のコラボ『地球の歩き方ムー 異世界の歩き方』から、後世に残したいムー的遺産を紹介!
記事を読む
モアイ像が立ち並ぶ謎の孤島へ!「イースター島」の歩き方/ムー的地球の歩き方
ムーと「地球の歩き方」のコラボ『地球の歩き方ムー 異世界の歩き方』から、後世に残したいムー的遺産を紹介!
記事を読む
古代エジプトの秘教が明かす大天使の正体!! 聖ミカエル・レイラインの謎/MUTube&特集紹介 2025年7月号
大天使ミカエルにゆかりのある寺院が直線上に並ぶ聖ミカエル・レイライン。このレイラインは偶然できたものなのか、それとも何かを意図したものなのか。三上編集長がMUTubeで解説。
記事を読む
予言となったパンデミック警告「イベント201」の脅威/宇佐和通
2019年10月18日、ニューヨークで「世界的なパンデミックを警告する」会議が行われていた。シミュレーションされた疫病禍とその影響をなぞるように、2019年12月から世界はコロナ禍に覆われた。「イベン
記事を読む
おすすめ記事