怪物「ウェンディゴ」が伝える“極限状態に置かれた人間”の恐怖/ミネソタ州ミステリー案内
超常現象の宝庫アメリカから、各州のミステリーを紹介。案内人は都市伝説研究家の宇佐和通! 目指せ全米制覇!
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子供向けと油断していると、意外に残酷な展開に面食らうことも少なくない、昔話。なかでも「まんが日本昔ばなし」で「トラウマ級」「最恐の昔話」と語られる一話がある。最恐の称号は、なぜ、いつから冠されるようになったのか。
「飯降山の頂上からの景色はすばらしいですよ」
岡田輔幹さんがほめちぎる飯降山とは、現・福井県福井市と大野市にまたがる標高884メートルの山のこと。
「雪が溶けだす初春に登ってごらんなさい。そのくらいの標高でも、朝倉義景の一乗谷城から三国町の海岸までずらっと見渡せますから」
岡田さんのような地元民にとって飯降山とは、子供のころから遠足で登る、親しみ深い山のようだ。しかし近年、この山の名の由来が、トラウマ級に恐ろしいと語られることが多い。
「いや、私は継体天皇の母君である振媛を祀ったところから来た名称だと思いますよ。ただまあ、地元の人から変わった話を取材したのも確かですが……」
飯降村の人が岡田さんに語ったのは、次のような話。
まだこの村に5、6軒しか家のなかったころだという。
どこからか3人の尼僧がやってきて、山ごもりの修行をしはじめた。
どうして彼女たち3人が山に入り、苦行を続けていたのかはわからない。なにか変わった宗派でも信仰していたのだろうか。食料などほとんど調達できないはずなのに、いっこうに里へ下りてこないのも、また無気味だった。
どれほどのあいだ、尼僧たちは山林修行を続けていただろうか――。
そんなある日、村人たちは、山から下りてくるひとつの人影を見た。
杖をついているようだが、山道を右に左に、今にも倒れそうなほどによろめいている。
その様子を村人たちは「よろぼひ」と表現した。そして「よろぼひ」ながら下りてきた人物は、なんとあの3人の尼僧のひとりだった。ガリガリに痩せこけた、獣のような姿になってしまっているが間違いない。
いったい、なにがあったのか。他のふたりはどうしたのか。
村人たちの問いかけに、尼僧はこう答えた。
「わたしたちが、なぜ食べ物もないのにずっと山にいたのか、不思議だったでしょう」 食べていたのですよ、本当は。炊かれたご飯をね、きちんと食べていたんです。
一日ごとに、空から降ってきたんです。ご飯の入ったお鉢が。私たちのために。
――これはまさしく天津神の恵みでしょう。
そう感謝しながら、お鉢のご飯を3人で分けていました。食べ終わると鉢はどこかへ飛んでいって。でもまた次の日には、おいしいお米を運んできてくれて。
ただそんなことが毎日続くと、修行の心が緩んでしまうのですかねえ。一杯のご飯を3人で分けるのが、だんだん物足りなくなったんです。
――これをふたりで分けたら、お腹いっぱいになれるんじゃない?
そういいだしたのは、私だったのか、もうひとりの仲間だったのか。とにかく私たちはふたりして、3人目の仲間にいなくなってもらいました。山の切りたった崖から、深い谷底へ、彼女を突き落としたんです。
そんなことをしてどう思ったか? そりゃあ喜びしかありませんよ。これでもっとご飯が食べられる。そんな喜びいっぱいで、次の日のお鉢を待っていたんです。
ところが驚きました。翌日もお鉢はやってきましたよ。でもその中の米が少なくなっていた。きっちり3分の1。せっかくひとりぶん減ったのに、食べられるご飯は前と同じだったんです。
次に私がなにをしたか、見当がつきますよね。たとえご飯が少なくなっても、私ひとりが食べればお腹いっぱいになれるじゃないですか。
私は、残った仲間を、同じ崖から突き落としました。
これでよかったんだ。これでお鉢のご飯をひとりで食べられる……そう思っていたのに。
次の日、どうなったと思いますか? ご飯がひとりぶんになった? いいえ違います。
ご飯の入ったお鉢は、もう降ってきませんでした。その次の日も、その次もその次も次もずうっと。ひもじくてひもじくて山を下りてきたんです。
――だからですね。どなたか私に、ご飯を恵んでくださいませんか?
「……そんなことがあったので、あの山は飯降山と呼ばれるようになった。また『よろぼひ』ながら下りてきた尼にちなんで、麓の村が丁ようろと名づけられたのだと……」
そんな話も聞きましたけどねえ、と岡田さんは説明してくれた。
飯降山怪談の出典元は、江戸後期の大野藩士・岡田輔幹が著した大野郡誌『深山木』(1813年)。今回は『福井県大野郡誌』(1912年)に掲載された『深山木』の文章、および明治24年調査の沿革誌とを合体させてみた。
後者では、生き残った行者(性別不明)が丁字の杖をつき、里へ下りてきた後日譚が語られる。殺人犯のはずの行者は、厚かましくも村に寄食させてもらう。その去り際、謝礼として村名を「養老」と名づけ、杖で地面に文字を書く。だが村人たちは杖のかたちから「丁」の字と誤解し、そこに「ようろ」の発音をあてた。これが丁の村名になったのだという。つまりこの怪談はそもそも「いふり」「ようろ」の地名由来譚なのだ。
それがトラウマ級の恐怖話として扱われる原因は、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし(以下「昔ばなし」)」(毎日放送)にある。94年8月27日、レギュラー放送最終回として流されたのが「飯降山」。演出・文芸に漫画家いがらしみきおを迎え、ラストならではの攻めに攻めた実験回となった。
ちょうど『ぼのぼの』(竹書房)大ヒット後のいがらしが、ホラー漫画を模索していた時期である。昔話では描かれない尼僧たちの心理、信仰に生きる人間が欲に落ちていく様をまざまざと描写。また視点人物として樵きこりの村人を設定することで、尼僧たちの悲劇を客観的かつ冷酷に物語る。10分40秒のアニメ作品へ、みごとな翻案を遂げた。 その後、同番組のVHS集が発売されるも、異端すぎる内容の「飯降山」はもちろん未収録。2005年10月から翌年9月まで復活した再放送枠でも放映されることはなかった。ただ当時は、個人の動画アップロードがインターネットに蔓延した時期でもあった。番組放送回がたびたびアップされ、子ども向け番組にもかかわらず多くのトラウマ回があったとネット上で喧伝されていく。このころ、私も「昔ばなし」で最も怖い話とされる「飯降山」の存在を知った。
そして2011年、DVD集発売(やはり「飯降山」は未収録)を期に、伊集院光が自身のラジオ『深夜の馬鹿力』(TBS)で同番組についてたびたび言及するようになる。「飯降山」に触れたのは2014年12月1日放送回。ここで伊集院は、「飯降山」を人肉食の話だとする解釈を披露した。
よく考えれば、あの話をいい伝えたのは視点人物の村人だ。その村人は尼僧たちに何が起こったかは見ておらず、生き残ったひとりから経緯を伝え聞いたのみである。おかしくなった彼女の言葉を信じられないし、そもそも飯が降る現象などありえない。おそらく彼女は嘘をついており、他のふたりを食べていたのが真相だろう……といった論旨である。
また2017年7月12日放送のラジオ「伊集院光とラジオと」(TBS)でも、ゲストのいがらしみきおに「飯降山」の話を向ける。完全にカニバリズムを想定した伊集院の説明に対し、いがらしは否定も肯定もせず「テレビでやれるネタではないですよね」と返答。こうした影響からか、現在では「飯降山」を人肉食の話とする見解がネット上で散見されるようになった。
私個人は、原話はもとより『昔ばなし』版もカニバリズム譚ではないと思うが、そうした解釈の相違は問題ではない。ここで注意すべきは、飯降山怪談がだれによってどのように語られたのか、という語り手のバイアスなのだ。
この話の元ネタは、白山信仰の開祖・泰澄および「飛鉢伝説」だと私は考える。
「飯降山縁起」(年代不詳)によれば、この山で修業中の泰澄は、鍋も薪も用意していなかった。いつも泰澄のために天から飯が降ってくるからであり、それが名称の由来とされる。
柏崎の米山にも似た伝説がある。修業中の泰澄のため、弟子が船にて托鉢を行うと、米を入れた鉢が米山まで飛んでいった。あるとき、出羽の船主が寄進を断ったところ、積んでいた米俵すべてが浮かび、米山の頂上へ積み重なったという。
こうした「飛鉢伝説」は泰澄に限らず法道仙人、寂昭、命連など数多く、ビジュアルとしては『信貴山ん縁起』「飛倉の巻」が有名だ。おそらくインド発祥で中国を渡ってきた呪術的モチーフであり、密教系の説話として多く語られた。
となると原話では「昔ばなし」版のような握り飯ではなく飯入りの鉢が降ったのだろう。そして尼僧たちは泰澄と同じく、密教系の修験者と見なされたはずだ。越前は特に浄土真宗の盛んな土地だが、真宗に山林修業や食のタブーはない。また『深山木』でも、飯降りを「仏」ではなく「天津神」のめぐみと捉えたと記されている。つまりこの設定は、近世には圧倒的多数派となっていた浄土真宗信者からの、修験者への差別意識が含まれているのではないか。いやむしろ飯降山とは、この差別こそが主題の話ではないのか。
無戒律主義の真宗側にしてみれば、厳しい修行の果てに欲に負け、むしろ殺人という絶対悪に落ちてしまう反動こそが揶揄の対象となる。殺人が起きないバージョンもあるが、その場合は苦行に耐えかねてよろよろと下山した無様な様子が、「丁」地名の由来として強調される。
こうした修行失敗の原因が、密教系の開祖たちが行った飛鉢の法だったというのもかなりの皮肉だ。また同時に、罪を犯すものとしての「女性」という差別意識も含まれているのはいうまでもない。
尼僧の語りは信用できないという伊集院の指摘は正しい。だがその疑いの射程はもっと遠くまでとるべきだ。尼僧の話を語る村人は信用できるのか。その語り口の背景には、強いバイアスが見え隠れしないだろうか。それを取材した岡田輔幹など再話者の語りは? それをさらに語りなおすいがらしみきお、伊集院自身、そしてわれわれは?
いがらしはこれが「根源的な欲求の話」(「ラジオと」出演時の発言)である点に着目した。ひとりめの尼僧は排泄=不浄をした直後、鳥を焼いた肉食の跡を発見し、それを厳しく咎めた後に殺される。このオリジナル演出にはいがらし独自の、抗えない根源的欲求への恐怖が発露している。こうした彼の語りなおしが、人々の心にトラウマを刻んだ。
伊集院はまたカニバリズム譚として語りなおした。宗教者がその信仰を盾に、殺人と食人という二大タブーを犯すこと。いやむしろ狂信者こそ常人よりもタブーを重ねるのだという(ある意味で原話と通じる)解釈である。この解釈は広く支持され、もはや一説として定着している。
語り手によるバイアスは、どのような話でも発生する。ましてや飯降山怪談とは、そもそも語りのバイアスが構造の核になっているような話だ。だからこそ現代的な恐怖譚へと語りなおされ、今でも「いちばん怖い」昔話として扱われるのだろう。
(月刊ムー 2025年6月号掲載)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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