富士から猫又がやってきた! 黒部峡谷鉄道「猫又駅」の妖猫伝説

文・写真=高橋御山人

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    その名も「猫又」という駅には当然ながら妖怪伝承がある。震災の影響で一般乗降が可能になった駅の歴史秘話をたどる。

    今だけ乗降可能になっている「猫又駅」

     富山県黒部市の黒部峡谷鉄道は、自動車では入れない北アルプス、立山連峰奥深くの秘境へ、峡谷沿いに分け入って行くトロッコ電車として名高い。この鉄道は、日本一の堤高と難工事で有名な黒部ダムなど、黒部川での電源開発の為の、資材運搬用に敷設されたもので、昭和初期には早くも開通していた。やがて旅客営業を行うようになり、トロッコ電車に乗って迫力ある大自然を楽しめる、観光鉄道として全国に知られるようになった。

    秘境に向かうトロッコ電車で名高い黒部峡谷鉄道。

     その黒部峡谷鉄道の中程に、「猫又(ねこまた)」という、非常に珍しい名前の駅がある。中程といっても、ほぼ全線が車道も通っていない峡谷沿いであり、人里など全くない山奥だ。
     関西電力黒部川第二発電所の近くにある駅で、一般客の乗り降りはできないのだが、2024年に発生した能登半島地震により、この先の鐘釣橋が損傷、昨年は猫又駅での折り返し運転となった。
     黒部峡谷鉄道は、場所柄、冬期は厚い氷雪に閉ざされて運休となるが、鐘釣橋の復旧に時間がかかっており、今年も猫又駅で折り返し運転となる。

    猫又駅は関西電力などの保守作業員専用の駅であり、一般客は乗降不可。だが、折り返し運転に伴い、2025年は臨時で乗降可能になっている。来年以降の予定は不明で、全線開通となると再び乗降不可となる。
    猫又駅は一般客が見学できる範囲は限られているが、展望台からは黒部川対岸の景色を臨める。周囲は黒部峡谷の岸壁で、滝などもある。人家は全くなく、まさに秘境。(写真は2024年に筆者撮影)
    猫又駅に設置されているフォトフレーム。人間がネコに追いかけられている写真を撮ることも可能だ。(写真は2024年に筆者撮影)

     折り返し運転をきっかけに、猫又駅は一般客が乗降できるように整備され、展望台やトイレ、ネコがネズミを捕る様子が描かれたフォトフレームなどが設置された。

     この、ネコがネズミを追うという話が、猫又という地名の由来の一つになっている。近くに「ねずみ返しの岩壁」という、高さ200mの絶壁があり、ネコに追われてここまで逃げて来たネズミが、絶壁を登れずに引き返し、ネコも登れずに引き返した。「ネコもまた引き返した」ということで、「猫又」という地名がついたという。

    「ねずみ返しの岩壁」は、トロッコ電車からも見え、絶景スポットの一つになっている。確かに、こんな岸壁はネコもネズミも登れそうにない。しかし、江戸時代には加賀藩の国境警備と森林保護政策により一般の立ち入りが禁止され、今も人里が全くない黒部峡谷の奥に、ネコがネズミを追ってやって来るというのも、奇妙な話である。こんなところまでやって来るなど、尋常のネコではない。

    写真左が関西電力黒部川第二発電所。右奥に聳えるのが「猫又」という地名の由来の一つを伝える「ねずみ返しの岩壁」。
    黒部峡谷鉄道の始発駅、宇奈月駅構内にある猫又駅の駅名標とぬいぐるみ(しっぽが二股!)。

    富士山に仕えた人食い猫又が黒部峡谷で討たれた逸話

     そしてもう一つの由来が、まさに尋常ならぬ「妖怪ネコマタ」の物語なのだ。

     伝説によると、かつて富士山の神・富士権現に仕えていた、老いたネコがいた。しかし、源頼朝が富士で巻狩(大勢で四方から獣を追い立て、囲いを縮めて捕える狩猟)を行った際、他の沢山の獣と共に狩り出され、隠れる場所を失って、兵を喰い殺して逃げ帰った。すると、富士権現は血に穢れた猫又に怒り、追放してしまう。
     富士を追放された猫又は、黒部峡谷にやって来る。猫又は麓の村にまで出て、人を喰い殺した。殺した死体はくわえて走り去った。村人達は震え上がり、耕作どころか、家に閉じこもり、満足に外出も出来なくなってしまった。しかし、このままでは飢え死にしてしまう。今後どうするか相談した結果、途中猫又に襲われないよう、武器を手にして、決死の覚悟で、代官に猫又退治を懇願しに行った。
     代官はすぐに猫又退治を請け合って、大勢の狩人と勢子(巻狩の追い立て役)が動員された。一行は猫又を見つけると、ときの声を上げて追い立て、あわや挟み撃ち、というその時。猫又は怒りに燃え、爪を研ぎ澄まし、喉を唸らせて、今にも噛みつかんばかりに威嚇した。そのあまりの恐ろしさに、一行は立ちすくみ、その隙に、猫又はいずこかへ逃げ去ってしまった。そして、その猫又がいた山を、恐れを込めて猫又山と呼んだ。

    写真右上の雪渓の向こうに聳える雪のない山が猫又山(標高2,378m)。その左に続く尾根に大猫山(標高2,070m)がある。猫又がいたとも、人を襲う大猫がいたともいう。立山中腹より筆者撮影。

     この猫又山は、猫又駅の北東数キロ、白馬岳との中間あたりに聳えている。その尾根には「猫の踊り場」という場所があり、月夜の晩に、どこからともなく沢山の猫が集まって、立ち上がって夜が明けるまで踊るという。さらには、猫又駅の南西数キロ、立山連峰の北側にも、別の猫又山がある。猫又駅は、二つの猫又山に挟まれた位置にあるのだ。南西の猫又山の隣には、大猫山という山もあり、伝説の巨大な猫又が、一帯を駆け巡っていた様子が窺える。

     南西の猫又山や大猫山の方には、北東の猫又とは別に、人を襲う大猫がいたとも伝わるが、二千メートル級の山脈に棲み人を襲う大猫など、いずれにしろ普通の生き物ではない。先述の「ねずみ返しの岩壁」も、元々「あの巨大な猫又のような猫すら引き返した」という話だったのではないか。それならば絶壁のスケールを強調するものとして頷ける。追われていたのも、ネズミではなく人間というのが、本来の伝説だったかもしれない。

    火山帯に潜む「ねこ」の伝説

     日本で猫といえば、対馬、西表島といったごく一部の離島に棲む、さほどの大きさでもない山猫を除き、家で飼われているものか、それが野生化したものしかおらず、人里かその近くにいるものであるが、伝承の世界では、深山幽谷に、人を喰い殺す巨大な猫がいたり、猫の集まる場所があったり、「ネコマタ屋敷」があったりする。古くは吉田兼好の『徒然草』にも「奥山にネコマタというものがいて、人を食うという」と書かれている。

     会津磐梯山の隣に聳える猫魔ヶ岳にも、化け猫や猫王の伝説がある。九州・阿蘇山を構成する山の一つ・根子岳も、「猫岳」とも記され、猫の王が棲み、九州じゅうの家で飼われていて年を経たネコが、修行に来るという。『徒然草』には、先の一節に続いて、「山ではなくても、年を経たネコがネコマタになり、人をとることがある」とある。まして、黒部峡谷の猫又は、元は神の眷属であったネコである。「討伐隊」が組まれてもなお、退治できなかったのも道理である。

     ネコは、洋の東西を問わず、霊性ある動物と見なされて来た。
     有名なヴァルプルギスの夜には、魔女がネコになってブロッケン山に集まるという。古代エジプトでは、ネコの女神バステトが崇められ、ナイル川沿いの都市ブバスティスの中心には、水路に囲まれたバステト神殿があった。日本には「猫の恩返し」の伝説が多数あるが、ヨーロッパの「長靴をはいた猫」もその一種である。
     ネコは、人語を解し、超常の力を持ち、ときに「荒魂」として災厄をもたらし、ときに「和魂」として恩恵をもたらす、半ばこの世ならぬ存在とされて来たのである。

    写真中央、山頂に雪の残る山が猫魔ヶ岳(1,403m)。鶴ヶ城(会津若松城)天守閣より筆者撮影。

     それにしても、猫魔ヶ岳といい、阿蘇の根子岳といい、火山やカルデラなど地殻変動の激しい場所が目立つ。
     黒部峡谷も、立山連峰や北アルプスの火山活動や隆起、黒部川の浸食で出来た地形だ。黒部峡谷鉄道の周辺には火山性の温泉も湧く。富士から北アルプスといえば、日本を東西に分ける大地溝帯・フォッサマグナを思い起こす。
     黒部峡谷の猫又も元は富士山に棲んでいたという。フォッサマグナの南端近くから北端近くまで移動して来た格好だ。化け猫や猫又には、何か火山や地殻変動に関係した、いにしえびとの叡知が込められているのではないか。

     根子岳=猫岳ならば、ネコとは「大地の根っこ」であり、その「又」とは、地脈が枝状に走る様を示しているのかもしれない。全ての猫又や化け猫がそうではないとしても、一部はネコに仮託されたものの可能性はある。地脈を龍に象徴させて「龍脈」というように。ブバスティスや黒部峡谷を思えば、「水脈」も象徴していたのかもしれない。そしてまた、地脈も水脈も、ときに災厄、ときに恩恵をもたらす「荒魂」「和魂」なのである。

     そんな大自然と伝説が交錯する猫又駅は、2026年以降、鐘釣橋が復旧したら再び乗降ができなくなる。妖怪の名を駅名に持つ猫又駅、行くならば、今年のうちである。

    黒部峡谷鉄道宇奈月駅の向かいに建つ黒部川電気記念館では、猫又駅グッズを販売している(品切れ注意)。筆者が2024年11月に訪れた際に猫又のイラストが描かれた記念切符を入手できた。

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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