ケネス・アンガーが遺した「希代の奇書」、『ハリウッド・バビロン』の“危うい高揚感”/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録
魔術師ケネス・アンガーによって書かれた「猛毒の奇書」。ハリウッドのタブーを徹底的に破壊し、数々の論争を巻き起こした希代の「暴露本」とは?
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…………日本が誇る“奇書”「ドグラ・マグラ」の初刊行から90周年。近年は電子書籍でも手軽に触れられる時代になったが……各位、読むときは冷静に正気を保ってほしい。
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読むと精神に異常をきたす本ーー。いつしか巷でそう呼ばれるようになった、“奇書”の存在をご存じだろうか? 1935年に発表された夢野久作の推理小説「ドグラ・マグラ」だ。
本作は、日本の“三大奇書”の一つでもある。他の2作は、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」(1935年)と、中井英夫「虚無への供物」(1964年)。
いずれも日本のミステリー史に残る名作として今もカルト的な人気を誇るが、なかでも特に代表的存在になっているのが「ドグラ・マグラ」である。
2025年1月は、この「ドグラ・マグラ」の初刊行からちょうど90周年。これだけの月日が経過してなお本作は、本屋の棚に今も平積みで置かれている。人はなぜこの“奇書”に惹かれるのか。
本記事では、そんな「ドグラ・マグラ」の魅力を紐解きつつ、なぜ「読むと精神に異常をきたす」「頭がおかしくなる」という都市伝説的な言説が生まれたのかまで迫っていきたい。
まずは「ドグラ・マグラ」の特徴と魅力に触れるべく、ストーリーの概要から紹介しよう。 本作は1935年1月、松柏館書店より1500枚の書き下ろし作品として出版された。
<作品概要>
時は1926年。九州帝国大学医学部精神科の独房で目を覚ました主人公“私”は、一切の記憶を失っており、自分が誰かもわからなくなっていた。
隣の部屋からは、ひとりの少女が死に物狂いで叫んでいるのが聞こえてくる。彼女は“私”の許嫁であり、かつて“私”に殺されたのだと訴えているのだった。
“私”は、自分の正体、そして隣の少女が訴える殺人事件の真相を探ることに。自殺した精神医学博士が遺した研究にまつわる書類を読んでいくうち、“私”の正体につながるヒントが少しずつ見えてくるが……。
……以上。こうして概要だけ書き出すと、わりと普通の推理小説っぽく見えるが、決して油断しないでほしい。初刊行から90年の歳月を経て“奇書”の代名詞として君臨するほどには、本文はまあまあ奇抜である。
なお、推理小説を語る指標の一つに、「週刊文春」による「東西ミステリーベスト100」というものがある。推理作家や推理小説の愛好者ら約500名のアンケートから選出した、推理小説のオールタイムベスト選定企画で、過去に1985年と2012年の2回実施された(2025年1月時点)。
この中で「ドグラ・マグラ」は、1985年版で6位、そして2012年版では4位へ順位を上げる快挙を成し遂げている(いずれも日本編)。 つまり、時代を下ってますます評価が高まっているのだ。その理由は何なのか? まず見逃せないのが、物語の構成である。
実は本作、読み進めていく途中で「ドグラ・マグラ」というタイトルの小説(原稿)が登場し、主人公“私”の目を通して読者もそれを読むことになる。つまり、「ドグラ・マグラ」という小説の中で「ドグラ・マグラ」という小説を読むメタ構造になっているのだ。
さらに、作品全体がループするような内容で、メタ文学の先駆け的存在とも言える構成になっている。実に昭和10年、戦前の作品であることを考えると、結構驚きの演出ではないだろうか。この “時代を先取りしたメタ構成”は、間違いなく本作の“奇”の作用を高めているし、一つの価値になっている。
そして“奇書”と呼ばれる理由としてはこれが大きいのだが、文章が難解で長い。「意味深でわかるようなわからないような文章」とか「本筋と関係あるかわからない文章」がすごく出てくる。
しかも、当時「幻魔怪奇探偵小説」との惹句が付されていたわりにちゃんとした探偵役はいなかったり、一般的な推理小説の定石を覆すような構成も特徴だ。まあ簡単に言うと、一般的に読みにくく、途中で読了を諦める読者が多いことも、“奇書”としての威厳を高めていると言えるだろう。
特に奇怪さで有名なのが、「キチ○イ地獄外道祭文」と題された歌が延々と書かれている一章。「スカラカ、チャカポコ」という謎の擬音をはさみながら、意図不明の日本語歌詞がひたすら続く怪文パートである。ネット上でも、「チャカポコのせいでドグラ・マグラの読了を諦めた」という声が少なくない。
そう、これは「黒死館殺人事件」にも「虚無への供物」にも共通することだが、“奇書”というのは大概、推理小説というイレモノを借りたジャンルレスな小説なのだ。いずれも推理小説の定石を外れており、かつ一般的な小説と比べて文中の情報量が多い。
上述の「チャカポコ」のように、多くの人が読みにくさを感じる内容で読者を挫折させてくる、それが “奇書”なのである。
……が。この読みにくさを突破して読了した者は、確実に何かを得るのも事実。これが、“奇書が奇書たる所以”と言っても良いだろう。
大前提として推理小説の体裁をとっているため、一応最後に解決編があるので、読了後に読者が何かを得やすい構成なのも大きい。
そして、「ドグラ・マグラ」が“奇書”の代表作として語り継がれるポイントの一つがここにある。本作は、最終的な謎の解決が、読み手の解釈に委ねられるパターンだ。つまり読者の数だけ答えがあるタイプの作品である。 この終わり方がまあすごくて……例のメタ構成も手伝い、読了時には作者の夢野久作から“受け取ってしまった感じ”になるのだ。
一応参考までに言うと、この記事を書いている筆者個人は、本作のラストはSF映画「2001年宇宙の旅」に通じるオチだと思っている。クライマックスの“アレ”は衝撃の読書体験で、読了後は「ああ、確かにこれは名作だ」と唸るしかなかった。
さて、ここで思い出されるのが、「読むと精神に異常をきたす」という例の噂である。
上述の通りの奇怪さなので、本作を読み切った人の多くが、「まあ頭がおかしくなるのもわからんではない」という感想になるとは思うが、都市伝説的にそう囁かれるようになった理由は何なのだろう?
本件の流れを追っていくと、わりと早い段階でこの言説の由来になったと思われる存在が見えてくる。1976年に初版が刊行された、角川文庫版「ドグラ・マグラ」である。
この角川文庫版、現在も増刷がかかっているロングセラー書籍なのだが、裏表紙の紹介文に「これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる」と記載されているのだ。
そのルーツを辿ってみると、かつて角川文庫版は「これを読了した者は、数時間以内に、一度は精神に異常をきたす」というコピーを書いた帯をつけて販売されていた時期もあった。以下、その全文。
「ドグラ・マグラ」は、天下の奇書です。これを読了した者は、数時間以内に、一度は精神に異常を来たす、と言われます。読者にいかなる事態が起こっても、それは、本書の幻魔怪奇の内容によるもので、責任は負いかねますので、あらかじめ御諒承ください。
=角川書店=
公式に“角川書店”の名義で書かれていることに注目。そしてこの“読了した者”というのが、たいへん絶妙な言い回しで、途中で読むのをやめれば大丈夫そうなのが良い。 “読み終わってしまったら後には戻れない感”が演出されていて、「そこまで言われたら、逆に読んでみたくなるじゃん」と、本作を手に取りたくなるキャッチーさが見事だ。
おそらくこのコピーが、現在も版を重ねる角川文庫版の裏表紙にある紹介文に継承され、さらにそれを元にしたと思われる煽り文句が、本作を取り上げるメディアやブログなど様々な場所で引用されてきたことで、「読むと精神に異常をきたす」「頭がおかしくなる」という言説が都市伝説的に広がったものと思われる。
では……そもそも、このコピー自体は何を元に生まれたのだろうか?
今回、KADOKAWAの担当部署に問い合わせてみたところ、「当時の担当者がいないため、詳しい経緯は不明」との回答だったが、このあたりの事情に詳しい鹿児島大学 特任助教 鈴木優作氏を紹介された。
さっそく鈴木氏にお話を伺ってみると、「私は帯のコピーに関わったわけではありませんから、実際の経緯を明らかにできるわけではありませんが」と断った上で、このコピーの由来について「2つのことが考えられます」と語ってくださった。
次項より、順番に紹介していこう。
一つは、かつて作家の横溝正史が「ドグラ・マグラ」について語った発言だ。
鈴木氏は言う。
「横溝は、作家・小林信彦との対談『同時代作家の回想(続・構溝正史の秘密)』(『短歌』23巻4号、1976年4月、249~270頁)で、『ドグラ・マグラ』を読み返して“ 真夜中に気が変になっちゃって ” “ ガラス割っちゃって”、“首吊って死のうと思った”、“読んで頭が変になっちゃったらしい”と、夫人とともに語っています。(※この内容は、後に『横溝正史エッセイコレクション2』(柏書房/2022年)などで復刻収録されている )
角川文庫版の『ドグラ・マグラ』初版が1976年10月発行。時期的にかなり近い話ですし、またこの対談が掲載された『短歌』という雑誌は角川文化振興財団が発行元ですから、帯のネタ元として考えられます。あの横溝をかく狂わしめたのだから、“読むとおかしくなる”というコピーは、あながち都市伝説だけに収まらないかもしれません」
日本の三大名探偵のひとり「金田一耕助」の生みの親で知られる横溝正史。そんな推理小説の大家が、「ドグラ・マグラを読んだらおかしくなってしまった」という実体験エピソードを語っていたのだった。 しかも角川文庫版の初版刊行と近いタイミングで、角川関連団体の発行する雑誌で……というのが、帯の由来として有力な点だ。
そして鈴木氏が挙げるもう一つのポイントは、作中で登場する小説「ドグラ・マグラ」にまつわる記述である。そう、上述したメタ構成のアレ。「ドグラ・マグラ」の中に出てくるもう一つの「ドグラ・マグラ」を登場人物が読んだときの様子について説明される文章だ。
以下、作中から該当部分を抜粋する。
(略)そうして、やっと全体の機構がわかると同時に、自分の脳髄が発狂しそうになっていることに気が付いたと言っております。甚しいのになるとこの原稿を読んでから、精神病の研究がイヤになって、私の受持っております法医学部へ転じて来た者が一人、それからモウ一人は、やはりこの原稿を読んでから、自分の脳髄の作用に信用がおけなくなったから自殺すると言って、鉄道往生をした者が一人いるくらいです。
(略)読んでいるうちにこなたの頭が、いつの間にか一種異様、幻覚錯覚、倒錯観念に巻き込まれそうになるのです。(略)
「作中にこうあるわけですから、作者の夢野久作は少なからずそのように読み手を混乱させることを意図した小説なのでしょう」(鈴木氏)
確かに鈴木氏の言う通り、作中に出てくる「ドグラ・マグラ」について作者の夢野久作が「読むと発狂しそうになる」という意味合いの書き方をしていることから、本物の「ドグラ・マグラ」自体も多かれ少なかれそのような混乱効果を狙っているのは間違いないだろう。
面白いのは、後に横溝正史が語った「読んだらおかしくなった」というエピソードが、そんな狙いとしっかりシンクロしたこと。
そしてそれだけに終わらず、角川文庫版の帯のコピーが生まれ、裏表紙の紹介文に引き継がれ、そのキャッチーさから派生した文言が様々な場所で引用されることで、「読むと精神に異常をきたす本」という現代の都市伝説的な概念に発展していったと考えられる。
この流れ、巷に流布する都市伝説の発展例の一つとして捉えると、非常に興味深い。
ちなみに、角川文庫版の帯のコピーは何度か更新されていて、「楽しく健やかにお読みいただける作品です」という、逆に恐怖感の滲む文言になったりした時期もあった。
この辺は、KADOKAWA担当者の思いが伺えるポイントなので、本屋で「ドグラ・マグラ」の角川文庫版を見かけたら、ぜひ帯をチェックしてみてほしい。
なお「ドグラ・マグラ」は日本国内で著作権保護期間が満了していて、実は「青空文庫」でも読める。「チャカポコ」含む膨大な文字量を電子化するためにボランティア作業した方々がいると思うと、ひたすら拍手を送りたい。
ただし、手軽にスマホや電子書籍で読める時代になっても、「ドグラ・マグラ」が持つ“奇”の作用は健在だ。いつの時代も、読むときは冷静に正気を保ってほしい…………。
杉浦みな子
オーディオビジュアルや家電にまつわる情報サイトの編集・記者・ライター職を経て、現在はフリーランスで活動中。
音楽&映画鑑賞と読書が好きで、自称:事件ルポ評論家、日課は麻雀…と、なかなか趣味が定まらないオタク系ミーハー。
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