人形が社殿を埋め尽くす和歌山「淡嶋神社」の真骨頂とは!? 「見せる」こだわりと陳列への執念

文=小嶋独観

    珍スポ巡って25年の古参マニアによる全国屈指の“珍神社”紹介! 今回は和歌山県和歌山市の淡嶋神社をレポート! 雛人形発祥の地として知られる神社が考える“本当の供養”とは?

    2万体以上の人形がずらり

     和歌山市加太。紀州と淡路島が最も狭まる紀淡海峡の和歌山側の港町だ。大阪湾への玄関口としてかつては海上交通の要所であったが、今では友ヶ島への渡船場と海鮮料理店が並ぶ行楽地となっている。そんな加太に人形の神社として有名な淡嶋神社がある。

     この淡嶋神社、全国に1000社余りある淡島社、粟島社の総本社である。そんな神社の本殿の前に立つと、誰もが腰を抜かしそうになる。

     大量の人形がズラリと並んでいるのだ! その数2万体以上。この人形たちは持ち主がさまざまな事情で所有することができなくなったために預けられたものだ。

     回廊ではたくさんの市松人形がじっとこちらを見ている。その真っ黒でつぶらな瞳が、何かを語っているように思えてならない。

     よく人形には魂が宿る、といわれる。怪談でも人形にまつわる話は数多い。そうした人間が無意識に抱いている人形への畏れが、心をざわつかせるのだろうか。

     市松人形や日本人形が並ぶ回廊の縁の下には、花嫁衣装を着た婚礼人形が並んでいる。婚礼人形というとどうしても、東北の未婚の死者を供養する婚礼人形奉納を思い出してしまい、思わずドキリとしてしまう。

     さらに驚いたのは本殿内部。

     まるで本殿を塞ぐかのように、大量のひな人形が積み上げられている。これはかなり異様な光景だ。筆者は何度かこの神社を訪れているが、以前は本殿内部にはこれほど大量の人形はなかったと記憶している。淡嶋神社に新たな見どころが加わったようだ。

     この神社がなぜこれほどまで人形だらけになってしまったのかというと、ここが雛人形発祥の地とされているからなのである。

     昔、神功皇后が三韓征伐の折、海上で激しい嵐に遭遇し、その際、神のお告げにより友ヶ島に辿り着いたという。皇后は感謝の意を込めて島に宝物を奉納した。その後、島ではなにかと不便であろうという事で対岸の加太に神社が建立されたという言い伝えがある。その友ヶ島から加太への遷宮が3月3日だったのだ。そこで祭神の少彦名命と神功皇后を象った男女一対の御神像を奉納したのが今の雛祭りの原形になったという。

     現在でも、3月3日になると雛人形を2艘の小舟に乗せ、海に流す「雛流し」という神事が行われている。そして淡嶋神社は雛祭り発祥の地であると共に、いつしか人形を供養する神社となったのだ。

     この神社 、本殿だけでもじゅうぶんに驚異的なのだが、それだけでは終わらない。いや、ここからがこの神社の真骨頂といえるかもしれない。

    あらゆる種類の人形が整然と分類され

     本殿の脇に回ると、今度は大量の陶器が現れる。見れば全て干支の動物の陶器だ。

     しかも、驚くべきことに猿・鳥・犬などと動物ごとにキッチリ分けられて並んでいるのだ。

     本殿の脇には、大きな石を組み合わせた拝所のようなものや御神水がある。

     そこにはカエルの陶器が並んでいた。

     本殿裏には末社がある。ここは安産、子育て、婦人病快癒に御利益があるとされている。その祈願方法が独特で、祈願者の下着を奉納するのだ。

     かつては下着をビニール袋に入れて格子に縛っていたが、最近では格子の中に投げ入れるスタイルに変わってきている。思うに奉納した下着を盗む変態がいたのでこのような奉納形式に変わったのかもしれない。(想像)

     見れば格子の内側に下着が積まれている。その奥には大量の木製の男根が積み上げられていた。

     さらに人形尽くしのパレードは続く。布袋の紙人形。関西では初午にこの布袋人形を買う習慣があるという。

     大量のカエル。少彦名命の遣いであるカエルを祀っている。手前にある落雁みたいなものも全てカエルを象ったものである。

     それにしても凄い人形の数だ。陶器はほとんどが屋外に並べられている。しかも、各ジャンルごとに細分化されている。これは博多人形だけが集まったコーナー。

     招き猫尽くし。招き猫だけでも沢山の種類がある事に気付く。

     狸。逆に狸はバリエーションが少ない。どこの家庭にでもあるような珍しくない人形(や陶器)でも、沢山の数を並べることでその人形の特性が見えてくるものだ。そういう意味では博物学的な展示、ともいえる。

     鮭を銜えた木彫りの熊。ヤマメを銜えた熊、というのは初めて見た。勉強になります。

     再び博多人形。紀州のみかん姫と鹿児島おごじょは同一人物という事が発覚。

     金太郎だけでもこれだけある。熊に跨る人形を想像しがちだが、鯉に金太郎の人形ばかりだ。やはり縁起が良い図像だからなのだろう。

     恵比寿のお面だけでもこの品揃え。凄い!

     様々なお面が掲げられている。中には異国のお面もチラホラ。確かに人形同様お面も人の容をしているので、簡単には捨て難いものだ。

     雛倉。以前は紀州徳川家より奉納された雛人形が入っていたが、今は古い雛人形を納めてある。

     神輿倉の中には木彫りの神像と一緒にウミガメの剥製が積まれていた。これもまた人形供養の一種なのか。甲羅に埃が堆積していた。そういえば以前は動物の剥製がもっとあった。ワニとか。

    人形の供養は“見てもらう”こと

     社務所では次から次へと人々が人形を持ってやってくる。それは日本人形のみならず、ぬいぐるみやオモチャなど様々なジャンルの人形だ。

     沢山の人に見てもらえた方が人形の供養につながる、との神社サイドの考えからこのように人形をたくさん並べているようだ。だからこの神社に参拝することがあれば、隅から隅まで数多の人形をじっくり見ていただきたい。それがなによりの供養になるのだから。

     一見すると無気味な人形群だが、異常なまでに細かくジャンル分けされ、整然と並んでいるその几帳面すぎる博物学的分類への執念の方が印象的であり、恐ろしくもあった。

     神社のすぐ隣は海だ。天気は悪かったが、沖に友ヶ島がうっすら見える。この辺りから雛流しは行われるのだろうか。その様子を想像しつつ、加太の海を後にするのであった。

    (追記)読者諸氏の中には淡嶋神社といえば「髪の毛が伸びる人形」と「USJ人形事件」に言及しないのか、との声もあろうが、あくまでもこの神社の基本的な情報をお伝えしたかったので、敢えて割愛させていただいた。その話はまた別の機会に。

    小嶋独観

    ウェブサイト「珍寺大道場」道場主。神社仏閣ライター。日本やアジアのユニークな社寺、不思議な信仰、巨大な仏像等々を求めて精力的な取材を続けている。著書に『ヘンな神社&仏閣巡礼』(宝島社)、『珍寺大道場』(イーストプレス)、共著に『お寺に行こう!』(扶桑社)、『考える「珍スポット」知的ワンダーランドを巡る旅』(文芸社)。
    珍寺大道場 http://chindera.com/

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