赤マントに青ゲット……怪事・怪人はなぜ色をまとうのか/学校の怪談

文=朝里樹

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    放課後の静まり返った校舎、薄暗い廊下、そしてだれもいないはずのトイレで子供たちの間にひっそりと語り継がれる恐怖の物語をご存じだろうか。 学校のどこかに潜んでいるかもしれない、7つの物語にぜひ耳を傾けてほしい。

    恐怖の赤マント史

     ある子供が学校のトイレに入っていると、どこからか「赤いマントはいらんか」と聞こえてくる。これに対し子供が「いる」と答えると、何者かに背中を斬りつけられて殺される。その亡骸の背中は血で真っ赤に染まっており、まるで赤いマントを羽織っているかのようだったという。

     学校の怪談にて語られる赤マントの話はこのような展開であることが多い。また、「赤い紙・白い紙」の怪談のようにマントの色を選ばせることもあり、その場合は「赤マント」と「青マント」のどちらかを選ぶように子供に告げるが、赤を選ぶと血まみれになって殺され、青を選ぶと血を吸われて真っ青になって殺される、などと続く。
     またマントではなく「赤いちゃんちゃんこ」「赤い半纏」と語られる怪談もある。この場合は学校のトイレに入ると「赤いちゃんちゃんこ着せましょか」「赤い半纏きせましょか」という声が聞こえてきて、これに「はい」と答えると背中を切り裂かれるなどして背を真っ赤に染められ、赤いちゃんちゃんこ、赤い半纏を着せられたような状態で殺される、と続く。また「赤い半纏」の場合のみ、飛び散った血が斑点になる、というオチがつく場合もある。これは「半纏」と「斑点」を掛けたダジャレである。
     赤マントの怪談の歴史は古く、松谷みよ子著『現代民話考7』によれば、古くは1936~37年ころ、赤いマントを羽織った怪人が人々を襲い、あちこちに死体が転がっていた、という噂があった。その正体は吸血鬼だと語られており、小学校でパニックが起きたという話が載せられている。

     また赤マントについて調査を行っているWEBサイト「瑣事加減」によれば、1939年2月21日付の『やまと新聞』に「赤マント」の名前が登場しているという。
     赤マントは現在でも学校の怪談の定番として紹介されることが多く、すでに1世紀近くにわたり学校の子供たちを怖がらせていることになるが、その噂の起源は実際に起きた事件だとする説もある。いくつかをここで紹介しよう。

    青ゲットと赤マント

     もとになったとされる事件で最も古いのは、明治時代に発生した「青ゲットの殺人事件」だろう。

     1906年2月11日に発生したこの事件では、福井県坂井郡三国町(現坂井市)の回船問屋、橋本利助商店に青いゲット(毛布)を被った訪問者があった。訪問者は三国町に隣接する新保村で村吉の親戚が急病で倒れたので、すぐ来てほしいと番頭の加賀村吉を呼び出す。同じ夜のうちに同様の手口で村吉の自宅から村吉の母と妻を連れだした。さらに村吉の子供も連れだそうとしたが、これは子供を預かっていた隣家の人間に拒否されたため、かなわなかった。
     男によって連れだされた3人はいつになっても戻らず、翌朝になって三国町と新保町を繋ぐ新保橋において、新保村の大工が、雪が血で真っ赤に染まっているのを見つけた。その部分の橋の欄干は斧のようなもので叩き切られていたという。これにより警察の捜索が行われ、竹田川および九頭竜川で村吉の母と妻それぞれの死体が見つかる。妻の死体の前頭部には切り傷が残されていたとされる。
     村吉の死体は見つからなかったが、事件当日に青ゲットの男が3人を連れだしていたことから、村吉も殺されたのだろうと判断される。
     この一家惨殺事件に警察は捜査を行ったが、犯人は見つからず、時効を迎えたという。

     この事件と赤マントとの関連については、物集高音の小説『赤きマント 第四赤口の会』で詳しく記されている。作中では青いゲットが赤マントに変わった過程も考察されているが、赤マントの噂が遡れるのは昭和初期までであり、青ゲットの男の噂が赤マントの怪人に直接変化した、と考えるのは難しい。赤マントの噂が発生する前に青ゲットの殺人事件から青ゲットが赤毛布に変わった「赤毛布の男事件」という噂が流れたという話もあるが、これについてはネット上で散見されるのみで、当時の記録は残っていない。

     赤マントの初期の噂と時期が近いのは1936年に発生した「二・二六事件」である。
     別冊宝島編集部編『伝染る「怖い噂」』に収録されている朝倉喬司「『学校の怪談』はなぜ血の色を好むのか?」では、二・二六事件が赤マントの噂の発生または助長の原因になっているという説が記されている。それによれば、クーデターを起こした陸軍将校らの中に赤系統の色のマントを羽織っていた者がおり、戒厳令下で詳しい情報も伝わらないままさまざまな流言が飛び交った末に怪人の噂を生んだのだという。

     ほかにも宮田登著『歴史と民俗の間』などでは、二・二六事件と同年に起きた「阿部定事件」や少女を襲って血を吸うと民間に伝わっていた妖怪「子取り」「血取り」が影響しているという説も語られている。

     さらに当時の子供たちの憲兵隊に対する潜在的な恐怖が怪人を生んだという説、紙芝居の「赤マント」という作品が元となった説、江戸川乱歩の『怪人二十面相』が元となった説など、様々な説があるが、どれが正しいのかは現時点でははっきりしておらず、これら以外の起源がある可能性も、自然発生した可能性もある。赤マントは正体不明の怪人のまま、昭和、平成、令和の3つの時代を駆け抜けているのだ。

    (月刊ムー2024年8月号より)

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    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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