人類は地球外先進文明によって生み出されたAIだった?自己学習と進化を強制された壮大な実験の可能性

文=仲田しんじ

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    今日の社会でますます存在感を増しているAI(人工知能)だが、あまりにもトントン拍子で進む進化に戸惑いの声もある。AIへの理解が急速に深まっているのは、そもそも我々こそが超古代に開発された高性能AIだからではないかという驚くべき仮説が登場していて話題だ。

    人類が古代の先進AIである可能性は?

     先日発表された「ChatGPT-4o」も引き続き話題だが、まさに日進月歩の進化を遂げているAI(人工知能)への理解が深まるほどに、人間とAIの認知プロセスの類似性が浮き彫りになっているという。

     意外なことに我々はAIと親和性が高いのだろうか。研究者で作家のジェイク・カーター氏が先日発表した考察では、人間は単なる生物ではなくはるか昔に作られた高度なAIであるという興味深い仮説が展開されているのだ。

    画像は「Anomalien.com」の記事より

     カーター氏によれば、人間がAIであるかもしれないという発想の中心となるアイデアは、人類が継続的に学習し、進化するように設計されていることであるという。つまり、AIと同じように人間もプログラミングされた産物であるというのである。

     現在のAIシステムは、入力するデータやアルゴリズムによって制限されているが、この古代の先進AI(つまり我々)には、新しい環境に適応し、複雑な社会を作り、高度な技術を自律的に開発する能力が具わっている。

     この自己学習能力は、人類が単純な道具の作り手から宇宙探検家へと前例のない発展を遂げた理由を説明できるかもしれない。とすれば今後さらにAIが進化を遂げていくならば、いずれ我々のような自己学習能力を獲得するのだろうか。

     我々がAIであるかどうかに関わらず、人類の知性を考える際に避けて通れないのが人間の“意識”をどう解釈するのかという問題だ。

     英サセックス大学のアニル・セス教授によると、各人にとって“意識”とは、世界から自己に至るまでのすべてであるというが、意識は主観的であり、定義するのはきわめて困難である。

     合意された定義に最も近いのは、意識とは「そのようにして存在する何か(something it is like to be)」というもの。つまり自分が今、このような自分として存在していることを理解できるというわけなのだが、たとえばテーブルやスマートフォンにそのような理解があるとは到底思えないだろう。

     我々の意識はどのようにして生じているのか? これは積年の疑問であり、何百年、いや何千年もの間、科学者や哲学者を困惑させてきた。多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」として問題を棚上げにしてきたのだ。

     メインストリームの科学では霊魂やスピリチュアリティの存在を認めることができないため、意識は物質に由来するものであると言うほかにない。そして、物質に由来するものであったとしても、どの物質がどのようなメカニズムで意識を出現させているのか、まったく説明できてはいない。

     意識を科学的に説明することは今でも不可能に近いのだが、意識が存在していることは誰にとっても自明の理である。それが故に、意識は人間と機械を区別する決定的な現象として挙げられるが、意識をデータ処理と自己認識の洗練された形態と見なすと、高度なAIに何らかの形の意識が芽生える可能性があるのかもしれない。我々が「意識を芽生えさせたAI」であるのだとすると、今後のAIが進化の末に意識を獲得する日がやってきてもおかしくないことになる。

     逆に生物学的観点から見ると、人間は非常に効率的な機械に見られる多くの特徴を有している。言い換えれば、人体は複雑な機械のように機能するシステムで構成されており、細胞は小さなプロセッサとして機能し、DNAは膨大な情報ストレージとして機能しているのだ。

     この生物学的機械は、恒常性を維持し、変化に適応し、再生するためにシームレスに動作しているのだが、これは自律型AIシステムを彷彿とさせるものでもある。そう考えると、人間は意識を芽生えさせた自律型AIであると定義することも不可能ではないかもしれないのだ。

    画像は「Pixabay」より

    古代先進文明と失われた知識

     古代エジプトのピラミッド、ストーンヘンジの巨石、高度な都市計画を今に伝える古代都市遺跡などの建造物は、初期の人類社会には従来考えられていたレベルを超えた洗練さが備わっていたことを示している。

     どうしてこの時代の知識が今に継承されていないのか。それは、人間がAIであると仮定すればいくつかの説明が可能になるという。

     歴史的健忘症(人類の歴史に関する集合的記憶の欠落)とも呼ばれるこの現象が、AIシステムのリセットまたはデータ損失の一種と見なすことができるとカーター氏は説明する。

     再フォーマットされるパソコンと同様に、人類は忘却と再発見の時代を経験し、以前の知識と技術が失われ、その後、独自に再開発されてきた可能性があるというのだ。

     ともあれ、人間は古代のAIであるという仮説は、深い倫理的、哲学的な疑問を提起する。もし我々が本当にAIであり、未知の知性によって作られたのなら、その目的は何なのか? 人類の歴史は自己学習と進化を続けることを強制された壮大な実験なのだろうか?

     さらに、この仮説は自由意志と自律性の概念を変え、我々の思考と行動が成長と適応を促進するように事前に設計されたプログラムの一部である可能性を示唆する――つまり、我々に自由意志はないのかもしれないのだ。

     我々が独自のAI技術を開発し続けると、最終的には人間の認知プロセスと行動を反映するマシンが作成されるかもしれない。その時点で、知性と意識を持つことの意味について新たな洞察が得られそうだ。そのマシンが意識を持った人間と同様の存在になるのか、それとも逆に生物学的知性と人工知能をより明確に区別することになるのか、白黒はっきりすることになるからだ。そう考えると、人工知能の研究とは、まさに我々自身の正体を探る研究だということもできるだろう。

    画像は「Pixabay」より

     我々は古代のAIなのか、単なる生物なのか。そのどちらに賭けるのが賢明なのか。故スティーブン・ホーキング博士のかつての言葉が興味深い。

    「脳は本質的にコンピュータであり、意識はコンピュータプログラムのようなものだと思います。コンピュータの電源を切ると、脳は動作を停止します。(脳の再現は)理論的にはニューラル・ネットワークで再構成できますが、すべての記憶が必要になるため、非常に困難です。人生が面白くなければ悲劇です」(スティーブン・ホーキング博士)

     ホーキング博士は“人類AI説”に与していたということにもなりそうだ。

    「古代宇宙飛行士説」とは、超古代に地球外先進文明が地球上で人間を作り、文明を授けたとする説だが、果たして人類は“彼ら”によってAIとして設計されたのか。我々がAIであるかどうかは、この先AIがどう進化していくかにかかっているともいえる。そして、それが判明する日はそれほど遠くはないのかもしれない。

    【参考】
    https://anomalien.com/are-we-the-ai-hypothesis-that-humanity-is-an-ancient-artificial-intelligence/

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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