獣人「ヒバゴン」出現地と神話の山で痕跡を再検証! 西城観光協会の探検ツアーレポート

文=おかゆう

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    1970年、中国山地に出現した二足歩行の獣人ヒバゴン。あれから54年の今、改めて出現スポットを巡るツアーが開催された。自然と人里の境界に、まだその足跡は息づいている。

    西城町のご当地UMAヒバゴン

     広島県庄原市西城町にヒバゴンの足跡の石膏が帰ってきてから1年。西城町観光協会公式ファンクラブ「ヒバゴン探検隊」が発足し、西城町の観光はヒバゴンを題材にますます盛り上がりを見せている。

     ヒバゴンとは、1970年代に西城町を中心に目撃されたUMA(未確認生物)だ。身長160センチほどのサルのような姿をしており、目は大きく逆三角形の顔と全身を覆う毛が特徴だと伝えられる。比婆山に出没したので、ヒバゴンと名付けられた。

     現在はすっかり目撃証言が途絶えているヒバゴンだが、観光協会の尽力もあって2010年には「出没40周年」として着ぐるみや記念冊子「ヒバゴン本」が作成された。となればもちろん2020年に「出没50周年」で「ヒバゴン本2020改訂版」の制作などへと、ともかく節目ごとに徐々に、ヒバゴンは西城町のご当地キャラとして愛され、知られた存在となっている。

    「ヒバゴン探検隊」は2023年に結成されたコミュニティで、定期的な

    2023年の「足跡」帰還についてはこちらの記事にて。

     去る2024年5月25日、西城町観光協会はヒバゴン探検隊のメンバーがバスでヒバゴン目撃地を巡る探検ツアーを実施した。

    「ヒバゴン探検隊」は2023年に結成されたコミュニティで、定期的な交流会を開催してきたが、実際に現場を「探検」する企画はこれが初となる。その模様をレポートしよう。

    ヒバゴン現場を探検する

     探検隊を案内するのは、元類人猿相談係としてヒバゴン対策を担った恵木剋行さんと、UMA研究家の中沢健さん。そして西城町観光協会の岡崎優子さんである。そこに県内外から集まった14名で「ヒバゴン探検」への出発となった。

     最初に訪れたのは、ヒバゴン騒動が報告された六ノ原ダムの脇の林道だ。

     1970年7月20日、軽トラックで帰宅途中の男性が六ノ原ダムの付近で目の前の道を横切って山に逃げ込んだ姿を目撃。男性は「猿にしては大きすぎる」と思い、いったん引き返し横切った姿を探したが消えていた。驚いた男性が直ちに近所の人と再び現場を捜索すると、相当な圧力で踏みにじられていた足跡が残っていたのだ。

     恵木さんは「目撃者が帰宅途中に林道から飛び出してきたヒバゴンと鉢合わせし、戻っていった。ここからヒバゴン騒動が始まった」と語った。

    現在は木材の伐採が進む現場だが、出没当時は植樹をしたばかりで、木立の背が低く、見通しは良かったそうだ。

     一行が次の場所に訪れたのは、民家も疎らな山の裾野である。

     この場所は1970年7月23日に、ある男性がヒバゴンを目撃した現場である。その男性は自宅から100メートル先の斜面で草刈りをしていたところ「ドスン」と音がしたので振り向くと、異様な顔の生物が、こっちを見ていた語っている。男性は、草刈りをしていた鎌を振り上げて「シィー、シィー」と言って追い払ったが、よく見るとそれが人間ぐらいの大きさだった。急に恐ろしくなって家に逃げ込んだものの、震えが止まらなかったという。後で現場を見に行くと約1.2メートルの草がなぎ倒されていたそうだ。

    現場で状況を解説する恵木さん。ヒバゴンは両手をあげて斜面を下ってきた!

     恵木さんは「彼は2度ヒバゴンを見かけている。一度目の時は両手を下ろして、次の時は両手をあげて降りてきているところを見かけた」と当時の目撃状況を語った。

     両手をあげて下りてくる……それは威嚇だったのだろうか……。

    UMA研究家の中沢健さんが「ヒバゴンのポーズ」を再現。

    神話の里の伝説と紐づくヒバゴン

     ツアーはこの後、比熊山を目指し、熊野神社に移動する。実はここはヒバゴンの出没スポットではないのだが、ヒバゴンの正体を探るうえで重要な資料がある場所なのだ。

     現地では比婆山の伝説を案内する「ツイハラの会」によって熊野神社と比婆山の神話についての説明が行われた。この地の熊野神社の創建は不明だが713年以前からあったことが史料から推測されている。境内には多くの杉の木があり、樹齢1000年を超えるものもあるとされ、幹周は8メートルを超す巨樹も目立つ。

     そんな、歴史あるこの場所には日本神話の現場としても語り伝えられているのだ。

    ーーイザナミはイザナギと共に誕生し、夫婦として日本の国土を形づくる多数の神々を産んだ。淡路島や隠岐島から始まり、やがて日本列島全体を生み出し、さらに山や海などの自然界の神々も誕生していった。そして、火の神を出産した際イザナミは火傷を負い、これが原因で命を落としてしまった。
     死後、イザナギが黄泉の国まで彼女に会いにいったが、イザナミは腐敗した自分の姿を見られたことで大いに怒り、恐怖に駆られたイザナギを追いかけた。イザナギは黄泉比良坂で大岩を使って道を塞ぎ、イザナミから逃げ切るーー

     古事記の記述では「その神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りき」と伝えられている。その地が広島県庄原市の比婆山ではないかというわけだ。

     とはいえ、イザナミの御陵としての研究が盛んになったのは明治時代からである。日本神話の研究が盛んになり、このイザナミの御陵も調査対象となり、1937年の「伊邪那美尊神陵の研究」、1941年の「比婆山調査研究報告概要」の発行と実を結んでいる。この調査報告では、遺跡や遺物の大規模な調査が行われたが、終戦後は、イザナミの御陵の特定する調査は衰退した。
     もしこの調査が継続されていれば国家レベルで管理されて現在とは違った形になっていたかもしれない。

    「比婆山調査研究報告概要」

     そんな神聖な地ゆえに、「ヒバゴンはイザナミの御陵を守る存在である」という説もある。

     ヒバゴンの目撃が始まった頃、庄原市では県民の森の造成工事がおこなわれ、工事の騒音は大きく発破工事もおこなわれていた。当時の新聞でも、県民の森の造成工事で「山神さまを怒らせて呼び寄せた」という説が紹介されているのだ。

     当時、多くの人がヒバゴンを目撃したが、驚きや恐怖を抱くものの、直接の危害を受けた人もおらず、建物などの被害は発生してない。トウモロコシが食害にあった例があるくらいだ。
     見た目こそおそろしげなヒバゴンだが、人を襲うことはない。そんなところも「イザナミの御陵の守り神」という説を後押ししているのかもしれない。

     元類人猿相談係の恵木さんが熊野神社を訪れた際、神社に伝わる巻物に「黒い人のような形のもの」を見て、ヒバゴンではないかと感じたそうだ。それは「国常立尊」と記されているのだが……。

     もしこの巻き物で黒い人物として描かれる「国常立尊」が、ヒバゴンに通じる存在だったとしたら……まさに、神話の里を守る存在としてのヒバゴンが浮かび上がってくる。

    探検はまだまだ続く

     今回のヒバゴン探検隊のツアーでは、多くの参加者たちとUMAについて盛り上がり、実際に目撃現場を訪れる楽しさと喜びはかけがえのないものだとわかった。この体験は、日常に帰ってきたとき更なる生活に豊かさを与えてくれる。

     今後も西城町は、ヒバゴンを通じてUMAの魅力を発信し続けるだろう。次は、ぜひあなたも探検のメンバーに加わってほしい。

    おかゆう

    オカルトライター。現地取材が好き。一般社団法人 超常現象情報研究センター、つちのこ学会所属。

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