異形の鬼達が「悪魔祓い」で大暴れ! 埼玉・秩父の奇祭「浦山の獅子舞」を目撃

文・写真=影市マオ

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    埼玉県秩父地方の山間に伝わる、いにしえの祭り。鬼と獅子が乱れ舞う「悪魔祓い」の一部始終を目撃した!

    “巨大な怪物”が出迎える獅子舞の里へ

     山道を車で走っていると、前方に突如として“巨大な怪物”が現れた。ギョロッとした目に、それよりも目立つ鼻の穴。歯を剥き出して、ポッカリと開いた口。まるで、全てを飲み込まんとするかのような凄い形相で、近づく者を待ち構えている。

     鬼か?悪魔か?――いや、獅子だ。獅子舞がモチーフの「寄国土(ゆすくど)トンネル」である。

     この獅子舞トンネルがあるのは、埼玉県秩父市の浦山地区。秩父の象徴たる武甲山の裏側、浦山ダム(秩父さくら湖)の右岸に位置する県道だ。平成初期のダム工事に伴い造られたトンネルで、難読地名は水没した集落の名に由来するもの。両端の坑門(出入口)には、400年以上続く地域の伝統行事「浦山の獅子舞」が描かれている。

    「浦山の獅子舞」は、1人立ちの獅子による勇壮な舞。秩父に伝わる他の獅子舞と異なり、荒々しい動きが特徴といわれ、同地区の昌安寺と大日堂で夏と秋に披露される。

     とりわけ、毎年10月の第4土・日曜日に催される例祭「大日如来縁日」では、2日間にわたり大々的に舞われ、普段静かな集落が多くの見物客で賑わうそうだ。縁日の初日は、午前に昌安寺と大日堂の両境内で、それぞれ3頭ずつ獅子が舞い、午後に6頭が合流して大日堂で祈願を行う。翌日も引き続き、大日堂で獅子舞が奉納されるが、その後は締めくくりとして、「悪魔祓い」なるものを行う。メインの獅子舞もさることながら、この「悪魔祓い」は県内でも極めて珍しい風習らしく、実に興味深い祭りなのだ。そんな訳で筆者は、昨年10月29日の昼過ぎ、縁日2日目の浦山地区へ訪れたのであった。

    村の入り口には奇怪なオブジェがずらり…

     浦山地区は、市街地から10キロ以上離れ、かつて日本三大秘境のひとつに数えられた山間部だ。地理上は東京に隣接するにもかかわらず、外界と隔絶されているからか、いにしえの習俗を残すといわれる。最盛期には1200人程の住人がいて、毛附・川俣・金倉・細久保・冠岩の5集落が獅子舞を伝承していた。しかし、ダム建設などで過疎化が進み、現在は3集落で約70人にまで人口が激減。その為、地元を離れた有志が帰省したり、保存会の指導を受けた近隣中学校の生徒が参加することで、獅子舞を守っているという。

     異界の入口のようなトンネルを抜け、浦山川に架かる橋を渡り、しばらく渓谷沿いを走り続けると、毛附集落に到着。川原に車を停めた筆者は、ここから上流方面へ歩き、隣の川俣集落にある大日堂を目指した。1キロにも満たない距離だ。周辺には、急峻な土地にへばり付くように、土台を石垣で固めた家々が点在し、奥秩父らしい山村風景が広がっている。

     昌安寺も斜面の上に鎮座し、その入口付近には、縁日を告げる大きな幟旗が掲げられていた。秩父十三仏霊場のひとつである同寺は、室町時代の享禄元年(1528)、大宮郷(現・秩父市街地)廣見寺の大雲宗守禅師が開山。天文2年(1533)には、禅師らが夢枕で丹生権現の神託を受け、境外仏堂として大日堂が建立されたという。

     丹生権現を祀る祠も近所にあり、ちょうどその辺りの川岸を歩いていると、何やら道端にオブジェ群が。鹿や猪、狼といった一般動物から、河童や天狗、人魚、龍、スフィンクスなどの伝説生物まで、様々な木彫り像が並んでいる。地元住人による村興しの一環だろうか。どれも味わい深い作風で、ちょっとした珍スポットのような雰囲気だ。バス停付近の東屋には、浦山の獅子3頭の像もあり、近くの看板には「獅子の里」と記されていた。

     考えてみれば、そもそも獅子舞自体が、“悪魔を祓う”意味を持つ縁起物である。獅子はライオンを元にした伝説上の霊獣だが、人々の頭を噛むことで邪気を食べ、無病息災などのご利益をもたらすといわれている。先程の寄国土トンネルも、そんなイメージから設計され、人間ごと邪気を食べる感じになっているのかもしれない。

     ついでに触れると、スフィンクスも人面獅子身の聖獣だ。やはり魔除けの役割を持ち、一説には唐獅子や狛犬、シーサーなどの先祖ともいわれる。この山深い地では、幾度も自然災害に苛まれてきた歴史もあり、除災招福を祈る思いが強いのだろう。まさしく悪魔祓いの信仰が息づいているようだ。

    刀をくわえて乱舞する「浦山の獅子舞」

     地元で「大日様」と呼ばれる大日堂は、3集落における信仰の中心地。未(ひつじ)・申(さる)年生まれの守り本尊であり、獅子の上に座っているとされる、密教の根本仏・大日如来が祀られている。言い伝えによれば、その歴史は昌安寺開山の数年前、白髪の翁姿の丹生権現が現れ、大日如来像を岩場に安置したことに始まるという。

     現在のお堂は、江戸時代の文政3年(1820)に改築されたものらしく、川俣集落の外れに位置する川の畔に建っている。美しい祭囃子に導かれ、入口の橋を渡って境内の奥へ。すると、木立に囲まれた大日堂の前で、6頭の獅子が乱舞を繰り広げていた。長時間舞っている割に激しい動きで、思わず息を呑んだ程である。

    「浦山の獅子舞」は、基本的に大雄(たいゆう)・雄獅子(おじし)・雌獅子(めじし)の3頭1組で構成される。これは関東地方でよく見られる形式だが、新旧の獅子頭が伝わる為、大祈願の場合は6頭2組になるそうだ。いずれの獅子も、いかつい黒漆塗りの顔に黒鳥毛があり、雄は2本、雌は1本の角が生えている。

     また衣装は、水色の襦袢と裁着袴(たっつけばかま)、紺色の水引幕、手甲、足袋、草鞋などを着用。その上で腹に太鼓を付け、両手に蹄を想起させるバチを持つ。獅子達の近くには、梵天を振りかざす道化(太夫)や、簓(ささら)を擦る4人の花笠、歌と笛と太鼓の囃子手などがいて、舞を盛り上げる。

     大日堂で行う獅子舞は、「祈願獅子」や「祈願ザサラ」とも呼ばれる。祈願を希望する者が数人揃うと、獅子や囃子手らとともに列を成し、お堂の周りを時計回りで3周する。この時、祈願者は自分の名や願いを書いた願旗(幟旗)を掲げて歩く。その後、お堂前の四方にある忌竹・注連縄の結界内に集まり、獅子達は祈願者の周りを飛び跳ねて舞う。まるで人々が襲われ、絶体絶命のピンチのような光景だが、あくまで家内安全や五穀豊穣などを祈願しているのだ。

     もっとも、祈願舞における一番の見所は、「剣がかり」と呼ばれる演目だろう。大雄と雄獅子が、日本刀(脇差し)の真剣を口に咥えて舞うのである。一歩間違えば大怪我になりかねず、舞う側も見る側も緊張が走り、境内は文字通り真剣な雰囲気となる。

    「浦山の獅子舞」の歴史は古く、その起源は鎌倉時代まで遡るそうだ。昌安寺に保存される天文元年(1532)の巻物『大日本獅子舞之由来』には、次のような伝説が記されているとか。

     寛元3年(1245)3月3日、宮中で花見の宴が催された時のこと。空が俄かに暗くなり、雷鳴や震動とともに、光る大きな“異形の物体”が紫宸殿の庭へ落下した。その物体は、3つの動物の頭のようなものであった。
     だが、誰にも正体が分からず、後嵯峨天皇の勅命により石清水八幡宮で占うことに。
    すると、「それは天竺に住む尊い“獅子の頭”に他ならない。霊獣が降って来るのは、日本が神国である証なので、以後の祭礼では、獅子の頭を被って舞うべし」との神託が下った。その為、獅子頭が木で模造され、下総国の山崎角兵衛なる人物が舞の振り付けを考案。
     こうして出来た獅子舞は、後に「角兵衛獅子」として全国に広められたという――。

     あたかもUFO墜落事件を彷彿とさせる奇譚である。詳しい経緯は不明ながら、この角兵衛流派を正統に受け継ぎ、峠向こうの東京・日原(奥多摩)より伝来した獅子舞が、「浦山の獅子舞」であるとされる。なお、巻物は獅子舞習得の証であり、他の地域にも同様のものが伝わっているが、古くより秘伝書として神聖視されているという。

     内容を見ると「目が潰れる」「疫病が流行る」などといわれ、全3巻(上・中・下)が菊紋入りの桐箱に収められている。しかし、縁日では大日堂内の祭壇に安置された後、途中から外に持ち出され、重要な役割を果たすことになるのだ。

    フェイスペイント怪人は…鬼だった!

     午後3時頃に祈願舞が終わると、いよいよ「悪魔祓い」へと移行する。まずは獅子が咥えていた真剣で、袴姿の男性が四方の忌竹をスパッと切断。複数人で竹の枝葉を処理し、持ちやすいよう整える。その後、30分程の準備・休憩時間を経て、獅子3頭が横一列に並んで再び舞い始めた。それを皮切りに、役者達がゾロゾロとお堂の周りを1周し、裏参道の坂を下っていく。

     袴姿の男性も行列に加わって歩き、人々に近付くと、そちらの方に素早く巻物の箱をかざす。どうやらこれは、お祓いに当たる行為らしい。巻物を向けられた者は皆、一様に頭を下げるので、さながら水戸黄門のようであった。

    ――そして、ここから事態は急展開。なんと、お堂の裏から突然、8体の怪人が出現したのである。

     悪魔を祓うはずなのに、その姿はむしろ、悪魔に取り憑かれた者そのもの。まず目を引かれるのは、頭に被る幽霊のような白い三角巾。何体かは、三角の中心に「卍(まんじ)」が描かれている。顔は歌舞伎の隈取の如く、白塗りの下地に黒・赤・青色などで各々様々な化粧が施され、個性的かつ禍々しい形相を湛えている(化粧は毎年変わる模様)。

     衣装は獅子や道化などと同様だが、先程まで境内にあった注連縄や、5色の紙垂を服の上に襷掛けし、呪術的な雰囲気を漂わす。また手には、先程の竹を2本重ねて杖のように持つ。かなり異様で独特だが、彼らの正体は、何を隠そう“鬼”なのである。一応は赤鬼と青鬼で構成されているらしく、大人だけでなく子供も混じっている。

    「悪魔祓い~~!」

     鬼達は出現直後、こともあろうに奇声を上げながら、こちらへ駆け寄って来るではないか。そして筆者の目の前で腰をかがめ、一斉に竹で地面をバシバシと叩き始めたのだ。一見、不条理にも思える行為で、不良集団に絡まれたような恐怖を感じたが、これには彼らの叫ぶ通り、悪魔を打ち祓う効果があるそうだ。エクソシストもビックリな力業である。

     いきなりの襲来に呆然としていると、少し遅れて、貫禄ある年配の鬼がやって来た。鬼達の親玉・将鬼大明神である。彼の姿も、他の鬼と基本同様ながら、紙垂を勲章の如く多数纏い、手には竹でなく、アセビの木を持つのが特徴。葉に有毒成分を含むこの木は魔除け道具で、「祈願・悪魔祓い・鐘馗大明神」と書かれた旗が掲げられている。

    鬼たちのボス「将鬼大明神」

    「鍾馗」といえば、中国の道教における魔除けの神だ。日本でも室町時代から信仰され、疫病除けや学業成就のご利益があるとして、端午の節句に絵や人形が飾られたりしている。その図像は、赤ら顔に黒髭をたくわえ、剣を持つ大男の姿で描写されるのが一般的。諸説あるが、元々は唐の時代に実在し、非業の死を遂げた人物と考えられている。

     伝承によれば、玄宗皇帝(楊貴妃の夫)が熱病にかかった際、鐘馗と名乗る大鬼が悪い小鬼を退治する……という夢を見た。すると、目覚めた皇帝の体が回復した為、たいそう喜んで、その大鬼の姿を絵師に描かせたのだとか。これが鍾馗信仰の起源とされている。

     そもそも、中国語で「鬼」は死者の霊魂、つまり幽霊を意味する。古代中国では、人が死ぬと全て鬼となり、善鬼(神)か悪鬼に分かれると考えられていた。また、悪鬼は疫病などをもたらす疫神(疫鬼)であり、それを追い払える存在も鬼とされたのである。

     こうした背景を踏まえると、将鬼大明神が率いるのは、彼によって調伏・使役された鬼達なのかもしれない。角が見当たらず、あの世から彷徨い出たような格好も、鬼の原型が祖霊だということを考えれば、しっくり来るものがある。江戸幕府が編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』によれば、浦山地区(旧・浦山村)は大昔、戦に敗れた平将門一族の残党が落ち延びた地であるという。大日堂のさらに先の山奥には、廃村となった冠岩集落の跡があるが、ここは元々、その落武者達が隠れ住んだことから築かれたともいわれる。しかし、結局は後に皆殺しになったらしく、彼らを供養すると伝わる10数基の青石塔婆(板碑)が今も残されている。この伝説が本当なら、浦山の鬼は、落武者の存在に由来する(あるいは影響を受けた)可能性も考えられる。

     折しも訪問時はハロウィンの頃。その起源とされる古代ケルトの信仰では、この世とあの世の境が曖昧になる年末と考えられていた。そして、祖霊と一緒にこの世へ彷徨い出た悪霊から身を守り、または追い払う為に、人々はお化けなどの恐ろしい格好に扮したのである。以前より、日本とケルトの文化の不思議な共通性は指摘されているが、「浦山の獅子舞」の根底にも、ハロウィンと通ずる祖先崇拝や悪魔祓いの信仰があるように思えてならない。

     ともあれ、午後4時頃、善鬼が悪鬼(悪魔)を調伏する村廻りが始まった――。

    「悪魔祓い」で獅子と鬼とが大暴れ

     大日堂を後にした一行は、総勢30人程の行列となって集落内を練り歩く。概ね笛吹き、太鼓打ち、歌唄い(1人が巻物を所持)、花笠、道化、獅子、鬼、将鬼大明神の順で、悪魔祓い希望の家々を巡るのである。儀式の対象となるのは、新改築や不幸などがあった家で、毎年3、4軒くらいだという。

     その道中も、鬼達は地元住人や見物客を見つけると、猛ダッシュで接近。先程と同様に、「悪魔祓い~~!」と叫びながら人々を取り囲み、やはり竹で地面を叩きまくる。これには当然、子供は泣き叫び、大人も悲鳴や動揺の声を上げてしまう。非常に突発的なお祓い方法なので、まるで何かのドッキリ企画のようでもあった。

     やがて目的の民家に着くと、一部を除いた諸役は、玄関から土足で室内に上がり込む。予め、床にはシートが敷かれ、居間の窓は開け放たれていた。中を覗くと、部屋の中央で家族全員が輪になり、肩を寄せ合って座っている。一家団欒にしては、緊張感が漂う雰囲気だ。
     そこへまず、笛吹きらが一列で入り、家族の周りを時計回りに歩き、窓を通って退出していく。列に続く袴姿の男性は、巻物を家族の頭上にかざし、「悪魔を祓いたまえ」と唱える。すると入れ替わりに、道化と獅子3頭が来て、家族を取り囲んで「剣がかり」を狂い舞う。まさしく獅子奮迅の勢いだ。

     その後、今度は鬼達が乱入。例の如く、「悪魔祓い~~!」と叫びながら竹で床を叩き続け、家族の周りを暴れ回る。家族の者は皆、嵐が過ぎ去るのを待つかのように、拝みながらじっとしている。神秘性と事件性が同居する奇妙な光景だ。そして、最後に将鬼大明神だけが入り、お祓いの言葉を唱えながら、アセビの木を家族の頭上で振りかざす。

    「悪魔祓い~~! 悪魔を祓って家内安全、交通安全、無病息災、延命長寿! 皆様方のますますのご健康とご多幸をご祈念いたします~!」

     この連続的な祓いにより悪魔は退散し、家族の1年の安泰が約束されるのだ。同様の流れを繰り返し、今回は川俣集落と毛附集落の各2軒ずつ、計4軒の民家で儀式が行われたのであった。鬼達は道端で度々人々を襲う(祓う)ので、先行する行列からだいぶ遅れてしまい、慌てて追走する場面も見られた。話が通じなさそうに見えて、案外サービス精神旺盛で、人間臭いところもある鬼達なのだ。

     それにしても、名物が乏しいと思われがちの埼玉に、まさかナマハゲのような来訪神行事があろうとは……。

    鬼の“お宝”を切り落としてお祭り終了!?

     約1時間の巡行の末、行列は毛附集落の外れに到着した。そこは先程、筆者が駐車した川原に程近い道端で、古びた小さな石碑が鎮座していた。地元の人曰く、道祖神に当たる“聖徳太子碑”らしい。なるほど、確かに上部が欠けて風化した石碑の表面に、僅かながら「太子尊」と刻まれた文字が読み取れる。

     飛鳥時代、聖徳太子は仏教に帰依し、日本に布教を行う過程で、大陸由来の仮面芸能・伎楽(ぎがく)を奨励したといわれる。その結果、演目の最初に登場する2人立ちの獅子舞が、悪魔祓いを担うとして、国内各地に広まったとされる(ただし、それ以前から1人立ちの獅子舞は日本にあり、中世以降に風流芸能として確立した)。また詳細は省くものの、聖徳太子が鬼と深い関わりを持っていたとする説も見受けられる。

     これらが関係するかは不明だが、少なくともこの村境は、獅子と鬼らの終点に相応しい聖地のようだ。いわば、この世とあの世の境である。獅子達は石碑の前に集まると、巻物を持つ袴姿の男性を取り囲み、最後の舞を熱演した。

     さて、この後は、集合写真の撮影を経て、悪魔祓いの仕上げを行う。獅子と鬼が履く草鞋の縄を、袴姿の男性らがまたも真剣で切るのである。その上で、使用された道具(注連縄、草鞋、三角巾、竹、旗など)は、石碑のそばに投げ捨てられる。これらには“悪魔が取り憑く”とされる為、絶対に持ち帰ってはいけないという。

     実際、地面に混沌と積み重なる廃棄物は、もはや得体の知れない塊と化し、独特なオーラを漂わせていた。村境に呪力のあるものを設置し、悪霊の侵入を防ぐ風習「道切り(辻切り)」の一種に思えるが、聖者の力で浄化する意図なのかもしれない。

     ところで、短刀を持つ男性が「シャッターチャンスだよ」というので近寄ると、意外な事実が判明。なんと、鬼の股間に藁製の“男根”が屹立しているではないか。今まで紙垂に紛れて分からなかったのだ。悪ふざけではなく、獅子舞と同様、魔除けや五穀豊穣、子孫繁栄などの祈願と思われる。

     立派な鬼の男根をまじまじと眺めていたら、次の瞬間、白刃でスパッと切り落とされてしまった。なんということだ。

     男根のことを俗に「魔羅(まら)」ともいうが、これは仏教において悪魔(魔王)を指す「マーラ」に由来する。悪魔の「魔」は「魔羅」の略であり、修行を邪魔する煩悩の権化であることから、仏僧が男根の隠語として用いたという。江戸時代に「魔」を体現する存在であった天狗が、男根の象徴と化したのも頷ける話である。すなわち、鬼の男根を断ち切る行為は、全ての悪魔を追い払う意味を持つ、“トドメの一撃”と見ることも出来る。ちょん切られるのは、きっと悪魔だって恐ろしいのだ。

     午後5時前の日没頃、使命を終えた獅子と鬼らは、裸足のまま昌安寺へと退散。すると程なくして、急に「ドーン!」という轟音が空に鳴り響いた。集落から悪魔が一掃されたことを告げる、祝砲(号砲)が打ち上げられたのだ。まるで雷鳴のような轟音で、一瞬、例の“獅子頭飛来伝説”を想起させられたくらいである。

     こうして、2日間にわたる手厚い儀式は幕を閉じ、集落に再び静けさが戻った。逢魔時の薄暗さに包まれた村境には、悪魔の死骸の如き廃棄物が、なおもひっそりと横たわっていた。耳に残る祭囃子を反芻しながら、筆者は再び獅子舞トンネルを通り、浦山地区を後にしたのであった――。

    【参考資料】
    『埼玉の獅子舞』(埼玉県教育委員会)
    『埼玉県民俗芸能緊急調査報告書 第4集 獅子舞の分布と伝承』(埼玉県教育委員会)
    『秩父市誌』(秩父市誌編纂委員会)

    影市マオ

    B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。

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