鹿児島の川内に吹く「魔風」伝承! 死や災いを吹き込む謎現象/黒史郎・妖怪補遺々々
春風が待ち望まれるこの季節、逆に望まれぬ災いをもたらす〝魔風〟の伝承を補遺々々いたしますーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する
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今がまさに旬のタケノコ。その成長の勢いがまた怪異と結びつきやすかったのでしょうか、奇妙な話も数多い。ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
みなさんは「きのこの山」派、「たけのこの里」派、どちらでしょうか。
それぞれの良さがあるので選ぶのは難しいですね。
この記事を書いている10日前の3月10日は「たけのこの里の日」でした。
これは製造販売元の株式会社 明治の作った記念日で、たけのこの旬は3月であることと、3月10日=3(さ)10(と)という語呂合わせで決まったそうです。
もう4月に入ってしまいましたが、タケノコは3月〜4月が旬。というわけで今回の妖怪補遺々々、まずはあんまり食べたくない「たけのこの怪」からご紹介させていただきます。
ちなみに「きのこの山」の記念日は8月11日だそうです。
山形県のお話です。
ある若い娘の巡礼者がおりました。
菅笠を戴き白装束を着て、杖を突きつき、庄内札所三十三霊場(庄内三十三観音場)を巡っていました。
飽海郡の中平田村にさしかかった娘は、もう陽が沈みそうなので、ある集落の農家の家に一夜の宿を求めました。家の主人は快く招き入れ、娘をたいそうもてなしてくれました。
やがて夜更けになると、布団を敷いた部屋に案内されます。
娘は胴巻(金銭などを入れて腹に巻きつける袋)を枕元に置いて床につきますと、旅の疲れが出たのでしょう、すぐにスウスウと寝息を立てました。
その様子を、襖の隙間からジイッと見ている者がおりました。
先ほどまで笑顔で歓待していた、この家の主人です。
巡礼の娘はとても美しい女性でした。見ているだけで、やましい心が頭をもたげます。
それに彼女の持っていた胴巻はずっしりと重そうで、かなりの金が入っているようでした。襖の向こうで、美人が無防備に金を置いて熟睡しているのです。主人の中に邪心が芽生えるには十分でした。
片手に鉈を持ち、そっと襖を開けて、眠っている娘に忍び寄ると一気に襲い掛かりました。
必死に抵抗する娘にさんざん乱暴を働いたあげく、何度も鉈を打ちつけました。気がつけば、布団にも襖にも畳にも真っ赤な血が飛び散っていました。
主人はその夜のうちに娘の死体を裏庭の竹藪に埋めました。
この娘の不幸は、欲深い男の犠牲となっただけではありませんでした。実は難病を持っていたのです。彼女が霊場巡りをしていたのは、神仏にすがるためでした。
しかし、娘を殺したのは病ではなく、農家の男を狂わせた邪心。あまりに惨い最期です。
それからこの家では、奇怪なことが起きるようになりました。
娘を乱暴して殺した部屋に、赤いたけのこが生えだしたのです。
この無気味なたけのこは現れると、あっという間に天井まで届いて枝葉を広げます。するとどこかから生あたたかい風が吹いてきて枝葉を震わし、まるであの夜の血しぶきの如く「赤い滴」を降り散らして、ふっと消えてしまいます。
ーーあの娘の呪いに違いない。
恐れ慄く主人は、やがて病みついて鼻と耳が欠け落ち、肉が崩れて死にました。
縁の下から生えたたけのこが天まで伸びる、という昔話がありますが、たけのこが突然、家の敷地内や家の中に生えるということは実際にあるようです。
ただ、めでたいことではありません。ドリルのように下から突き出て、大事な家が破壊されてしまいます。丈夫な根が残っている限り、切っても切っても出てくるので、家を建てる際はよく調べ、根から駆除するなど、しっかり対策をとる必要があります。
さて、次の2話は、少年・少女漫画雑誌にあった「家の中に竹が生えてくる」お話です。
【青竹の祟り】
名古屋市のあるお宅の8畳間には、毎年6月になると太い1本の青竹が畳を突き破って生えてきました。
生えてくると縁の下に潜って伐っていましたが、次の年にはまた生えてきます。しかたなくまた縁の下に入って伐る。また次の年に生えてくる。そんなことが20年以上続いていました。
この青竹をノコギリで切ると白い乳液のようなものが出てきました。その液は時間が経つと血のような赤色に変わり、乾くと消えてしまいます。
何人もの詳しい人に見てもらいましたが、原因不明。その家の主人は、この家で昔なにかがあり、それによる祟りに違いない、と考えていたそうです。
『週刊少女フレンド』(1966年3月号)「ほんとうにあった日本のふしぎめぐり」にあったお話です。
【青竹の呪い】
静岡県三島市のあるお宅では、1956年ごろから部屋に青竹が生えだしました。
不思議なことに青竹が生える日は、決まって井戸の水がぴたりと出なくなります。
この日も、そうでした。
家の主人の部屋に青竹が生え、同日、井戸の水が止まったのです。
ただ、それだけでは終わりませんでした。主人がどす黒い血を吐いて倒れ、原因不明の奇病で全身が紫色になり、次第に意識がなくなって数日後に死んでしまったのです。
すると井戸の水が元どおりに出はじめ、部屋の青竹は枯れてしまったそうです。
その後も同じようなことが2度あり、主人の妻と娘が死亡しています。
何かの祟りか呪いではないかと神主にお祓いもしてもらいました。
ところがーー。
昭和42年4月の夜のことです。
亡くなった主人の息子(20)が布団の中で読書をしていると、部屋の畳を突き破って40、50センチほどの青竹が飛び出ているのを見つけました。
部屋を飛び出し大騒ぎ。息子がパニックになるのも当然です。これまで、竹の生えてきた部屋で寝ていた者は必ず死んでいるのですから。
しかも翌朝、井戸の水が出なくなっていたので、息子は「死にたくない!」と取り乱しました。
翌日、彼は父親のように、どす黒い血を吐いて倒れ、8日目に死んでしまいました。
この家自体が呪われているのだと、残された家人はその地を離れ、この家も取り壊されたそうです。
『週刊少年マガジン増刊』(1968年2号)「私はのろわれた」にあったお話です。
平成元年4月11日。
神奈川県川崎市高津区久松の竹藪から、札束の詰まったバッグが見つかりました。その額、1億4500万。発見者は、たけのこを採りに来た男性です。さらにその5日後、同じ竹藪で9000万円の入った紙袋も見つかります。
その後、このお金の持ち主が現れ、拾得者には謝礼金で1割が支払われています。
たけのこを採りに来て、思わぬ幸運まで拾った稀有なケースです。
この同じ高津区にある別の竹藪で、お金ではなく、とんでもないものが見つかったという怪談があります。
年代は不明ですが、とても昔のことです。
あるひとりの虚無僧が、尺八をこしらえるのに必要な竹を捜すため、竹藪に入りました。
とても良い竹が見つかったので、持ち帰ってさっそく尺八を作ってみましたが、どうも音色がおかしい。
どんな曲を吹いても、同じ音しか出ないのです。
しかもその音は、人の名前に聞こえます。
これはおかしいと竹藪に戻って、先日持ち帰った竹の周りを掘ってみますとーー。
子どもの死骸が埋まっていました。
その後、この子どもを殺して埋めた母親が判明し、後に死罪となったといいます。
竹藪の場所は、高津区久地であるということ以外は不明です。
【参考資料】
畠山弘『山形県怪談百話』六兵衛館(1983)
石塚兎之一「喜多見の槍かつぎ他」『民俗』42号
「ほんとうにあった日本のふしぎめぐり」『週刊少女フレンド』(1966年3月号)
「私はのろわれた」『週刊少年マガジン増刊』(1968年2号)
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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