マルコ・ポーロは中国皇帝の“ドラゴン飼育事業”を目撃していた! 『東方見聞録』の驚愕記述と十二支の謎

文=仲田しんじ

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    13世紀終盤、当時はまだ西洋社会にあまり知られていなかったアジア各国を旅して『東方見聞録』にまとめたマルコ・ポーロは、ひょっとすると旅の途中で夢を見ていたのだろうか? 彼は中国の王家でドラゴンが飼われていたと書き残しているのだが――。

    『東方見聞録』の奇妙な記述

     中世にアジアを旅行した最も有名なヨーロッパ人の一人がマルコ・ポーロ(1254~1324)だ。

     西暦1271年、マルコ・ポーロはアジア、ペルシャ、中国、インドネシアへの旅に乗り出した。当時の西洋世界にとってこの地は謎と魅力に包まれており、長い旅を終えた帰国後の彼のレポートは大きな注目を集めることになった。

    マルコ・ポーロ 画像は「Wikipedia」より

     西暦1291年までの旅の模様を綴った旅行記『東方見聞録(マルコ・ポーロの旅)』は西暦1300 年に出版され、アジア各地域の実像を伝える情報を初めて西洋にもたらした。

     同書には彼が遭遇したさまざまな民族グループや、各地の動植物、東洋の多様な習慣や文化について詳しく語られているのだが、その中に何世紀にもわたって研究者を困惑させてきた興味深い記述が一つ含まれている。

     彼が17年間もの長きにわたって滞在していた中国に関する章に、その部分だけがまるでファンタジー小説であるかのような、ドラゴンを飼う王家の話が綴られているのである。同書の第49章で彼は、王家がドラゴンを飼育し、パレードのために戦闘車両を引かせて訓練していたと語っているのだ。

    「ヤチ市を出発し、西に10日間を旅をして主要都市であるカラヤン県に到着する。ここには長さ10メートル 、胴体の周囲2.5メートルの巨大なサーペント(ヘビ科爬虫類)がいる。頭の近くに、トラのような3本の爪が生えた短い前足が2本あり、目はヤマドリタケ(大型キノコ)より大きく、非常にギラギラしている」(同書より)

     その巨大なサーペント、つまりドラゴンについて彼はさらに詳しく描写している。

    「顎は人間を飲み込むのに十分なほど広く、歯は大きくて鋭く、その全体的な外観は非常に恐ろしいため、人間も動物も恐怖なしに近づくことはできない。ほかに体長8メートル、6メートル、5メートルなどのもっと小さなサイズのものもいる。日中は(彼らにとって)非常に暑いため、洞窟に潜み、夜になるとそこから食料を求め、トラ、オオカミ、その他のあらゆる獣を捕まえてむ貪る」(同書より)

    画像は「Wikipedia」より

     その地域の人々がドラゴンをどのように扱っているのかについても説明している。

    「その(捕食)後、彼らは水を飲むために湖、泉、川に向かって体を引きずっていく。すると、その巨大な重量と動きにより、砂浜に沿って重い梁で描かれたかのように、深い跡が残る。彼らを狩ることを仕事としている人々は、彼らがよく通る道を観察し、鋭い鉄のスパイクを備えた木製のワナを地面に固定し、見えないように砂で覆っている」(同書より)

     では、なぜドラゴンは人々に捕獲されるのか。それはドラゴンの胆汁が万病に効く薬であるからだという。

    「ドラゴンたちが馴染みの場所へと向かう時、これらのワナによって負傷し、すぐに殺されてしまう。カラスはドラゴンが死んでいるのを認識するとすぐに叫び声を上げ始める。そして、これは狩猟者への合図となり、狩猟者はすぐその場所に向かうと、皮膚を肉から分離し、医学的に最も高く評価される胆汁を確保するのだ」(同書より)

    なぜ十二支に龍が含まれているのか?

     ドラゴンの胆汁はあらゆる症状の特効薬であるという。しかも、その肉は食用としても重宝されているということだ。

    画像は「Wikipedia」より

    「狂犬に噛まれた場合は、ワインに溶かした銅貨ほどの分量を投与する。また女性の陣痛が始まったときは、出産を早めるのにも役立つ。少量のそれを身体の癰(よう)、膿疱、またはその他の発疹に塗布すると、それらは散っていく。そして他の多くの症状にも効果がある。この動物の肉も、他の種類の肉より風味が高いと考えられ、高値で取引されており、誰からも珍味として評価されている」(同書より)

     そして中国では、王室の式典のために王家でドラゴンが飼われていたとマルコ・ポーロは言及している。式典ではパレードが行われるのだが、そこでドラゴンは戦闘車両を引いて行進するのだという。

     中国では紀元前1611年という早い時期に、すでに皇帝の直轄する「ドラゴン飼育担当」のポストがあったという。 その頃から王家はドラゴンの胆汁と血液、そして卵を医薬品や食用として重用していたということだ。

     中世ヨーロッパであればこのマルコ・ポーロの話を多くが信じたであえろうが、現代人にとってはファンタジー小説のような話である。本当にマルコ・ポーロは中国滞在中にこれらのファンタジックな神話上の生き物に遭遇したのだろうか。それとも単にこの章だけは彼の想像力の産物だったのだろうか。

     興味深いことに、中国の黄道十二支の動物のうちの11種は日常的に存在する生き物であるが、一つだけは神話上の動物であるドラゴン(辰)だ。なぜ、十二支はこれらの一般的に知られている動物群に一つだけ想像上の動物を含めているのか。

    清の国旗 画像は「Wikipedia」より

     中国では歴史上、ドラゴンは皇帝の象徴であり、清朝末期には、国旗に青いドラゴンが描かれていた。想像上の存在でありながら、中国では古来から身近な生物であったドラゴンの絵画や彫刻、彫像などに囲まれていたマルコ・ポーロは実際にドラゴンを目撃した“夢”を見たのだろうか。それとも絶滅寸前であったドラゴンが王家で命脈を繋いでいたのか。謎も夢想も膨らむばかりである。

    参考:YouTubeチャンネル「Unsolved Mysteries & Paranormal Activities」より

    【参考】
    https://mysteriesrunsolved.com/marco-polo-witness-dragon-china/

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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