ワニかサメか? 龍か蛇か? 歴史考証で変化する出雲神話の神格たち/江戸・明治の神話絵巻

文・資料=鹿角崇彦

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    古代日本に爬虫類のワニはいなかった……ならば鰐とは? ヤマタノオロチの八岐とは? 神話の記述は時代の考察を経て描かれる。

    神話の「正しさ」を求める時代のはじまり

     見てはならない存在から、ユーモラスなキャラクターへと変貌をとげた神さまたち。そのディテールに目をやると、公家のような衣冠姿であったり、漢服風であったり、あるいはまったく庶民流の着物姿だったりとかなり自由にデザインされていたこともわかる。

     そうした自由な創作の流れとは別に、江戸時代には国学というムーブメントも出現する。簡単にいえば日本という国の「古来」「本来」の文化を探求しようとする運動であり、そこでは神話についても外国の影響を取り去った原初のかたちが追い求められることになる。偽書説が根強かった『古事記』が本居宣長によって再評価されたのも、こうした流れのなかでのことだ。
     国学は時代が明治に変わっても各方面に影響を残しつづけたが、とくに明治政府が天皇を中心に据えた国家運営を進めたことで「神話のかたち」には大きな転換点が訪れる。記紀の物語は天皇の正統性を支える重要な史実、「国史」として扱われることになり、仏教や外来要素の排除と国史の実証、すなわち「時代考証」が求められるようになるのだ。
     それはとりわけ神話をビジュアルで表現する人々にとっては重要な問題だった。それまではある種絵師の想像力に任されていた装束やディテールなどに、国学的、あるいは考古学的な「正しさ」が求められるようになったわけで、明治も中ごろになると日本画家などを中心に国史の「考証」がさかんに研究されるようになる。

    因幡の白兎を襲った「ワニ」の姿

     そうした「考証」ムーブメントの具体例を、神話に登場する「ワニ」の姿から追いかけてみよう。

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    明治37年の小学校副読本の挿絵
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    昭和3年の童話の挿絵。どちらもワニは確実に爬虫類の鰐であることがわかる。

     上に「ワニ」をだました因幡のしろうさぎがバレてつかまってしまうという出雲神話の有名な場面の絵を掲げたが、強烈な違和感を覚える人も少なくないのではないだろうか。「ワニ」が、完全に爬虫類の鰐だからだ。

     じつは江戸から戦前までの「因幡のしろうさぎ」の絵を調べてみると、ワニ=爬虫類の鰐に描かれているほうが多数派なのだ。

     神話のなかでもうひとつワニが登場するのが、海幸山幸の物語。海神の宮を訪ね釣り針を見つけ出したヤマサチヒコが地上に戻るときに与えられるのが泳ぎの速い「ヒトヒロワニ」だが、江戸時代(文政期)と明治時代に描かれた絵(下)を見比べると、明治のものはあきらかに鰐として描かれている。江戸のものは微妙なところだが、雰囲気は鮫よりも鰐に近いようにもみえる。また明治以前にはヤマサチヒコがタイに乗って帰ったとする伝承もあったが、この流れは神話「考証」後の時代には消滅してしまっている。

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    文政年間(①)
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    天保年間(②)
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    明治時代(③)

    (3点)文政年間(①)、天保年間(②)、明治時代(③)に描かれた山幸彦(ホオリ)が地上に戻る場面の挿絵。①と③をくらべると、怪物風だったワニがはっきり鰐らしい特徴をもった鰐へと変化しているのがわかる。②の「タイに乗る」というオルタナティブな神話は現在ではほぼ残されていない。

     江戸時代に描かれた「わに」の絵には、下図のように鬼のような形相で角を生やした、鰐でも鮫でもない怪魚のパターンもみつけられる。

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    江戸時代の浄瑠璃本『金平化粧問答』、怪力の大男・金平(坂田金時の息子)が巨大魚を引き上げるという場面で、くじらやしゃちほこに混じって「わに」が描かれている。ツノが生え、しゃちほこよりもいかつい怪物のような造形。

     獅子がライオンとは微妙に違った想像上の獣であるように、「ワニ」は鰐とも鮫とも違う怪物として意識されていたのかもしれない。

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    昭和30年代の絵本より。鰐は昭和10年代ごろから鮫に置きかわりはじめ、戦後はこちらが多数派になる。現代人にとってはなじみのあるパターンだ(『小学館の幼年絵本 おおくにぬしのみこと』p2、3。昭和35年刊)。

     神話のワニが現在のように魚類の鮫多数派に置き換わるのはかなり新しく、昭和10年代あたりを境にしているようだ。謎の生物だった「ワニ」を爬虫類の鰐であると同定したのが明治の「時代考証」であり、昭和になるとワニ=ワニザメであるという新たな「時代考証」に塗り替えられていった、という変遷がみえてくるのだ。

    龍か蛇か? ヤマタノオロチの姿

     実在するはずの「ワニ」ですら混乱が生じるのだから、ハナから架空の生き物となったら「考証」はいったいどうなってしまうのだろう。その好例を追えるのが、日本神話中最大最強のモンスター、ヤマタノオロチだ。

    「八岐大蛇」と表記されることもあるように、ヤマタノオロチ(以下オロチ)は首がやっつ、尾もやっつある「大蛇」とされる。その字の通りに絵にするのであれば巨大なヘビに描かれるところだが、歴史上、オロチはツノを持ち手足の生えたいわゆる龍の姿にされることが圧倒的に多かった。

     出雲神話に限らず、龍、大蛇が登場する物語は民話にいたるまで数多くある。そうしたものの絵をみても、「大蛇」と記されたものが明らかに龍とかわらない姿をしているような例は少なくない。どうも日本では、龍と大蛇は明確に区別されるものではなかったようなのだ。

     おもしろいことに、現在刊行されている神話のマンガや絵本でも、オロチは龍になるパターンと大蛇として描かれるパターンが並存し、どちらが優勢ともいいがたい混戦を繰り広げている。これは「ワニ」に明らかな時代性がみられるのとは好対照ともいえる。大蛇も龍もどちらにしても架空の生き物なので、「どっちでもいいじゃないか」という絵師の自由度が発揮されやすいのだろうか。

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    葛飾北斎『和漢絵本魁』 より、トヨタマヒメ出産の図。その姿はワニではなく完全に龍(メトロポリタン美術館蔵)。
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    1800年代初頭に描かれた黄表紙のトヨタマヒメ。文章では「おそろしき蛇となり」と書かれているが、挿絵は龍の姿。
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    『神代俚談』の挿絵は、ヤマタノオロチを龍に描いた古い例だ。

    「オロチの首」にも バリエーションがある!

     しかし細かくみていくと、龍とはいっても単純にひとくくりにはできないバリエーションがあることもわかる。とりわけ個性的なオロチのひとつが、江戸時代中期に描かれたと推測される「平家物語剣巻」のそれだ。

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    ⬆⬇「剣巻」の独特なヤマタノオロチ図。オロチに斬りかかっているのはスサノオだが、こちらも全体的に異国風でずいぶん印象 が異なる。右にいるのが稲田姫とテナヅチ、アシナヅチ親子。
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    「剣巻」は、中世に変容した記紀とは異なる神話の物語、いわゆる「中世神話」を記した書物で、オロチに関わる草薙剣をはじめ源氏に伝わる宝剣の由緒由来などがまとめられている。

     そこにはオロチの正体は天から降った風水竜王であるとか、スサノオの舅テナヅチが引き出物として贈った鏡が内侍所(八咫の鏡)になったとか、記紀からはかなり逸脱した奔放なストーリーがみられるのだが、それはともかく、この絵巻でのオロチは巨大なひとつの頭の周囲に小さなななつの首が付属する、まるで十一面観音のような造形になっている。

     オロチは想像上の生き物であり、それ以前にあくまで神話なのだから本来「正解」はない。このオロチもひとつのありうるパターンなのである。

     逆に、江戸期のものとしては珍しくオロチを大蛇として描いたのが、『神代俚談』だ。江戸後期の国学者にして武蔵国総社大國魂神社の神主でもあった猿渡盛章という人物がまとめた書であり、それだけに龍という漢風のイメージを排除し、まさに字義通りにオロチを大蛇として描かせたのかもしれない。

    トヨタマヒメはワニか龍か

     また、江戸時代にはもうひとり、龍として描かれた神話のキャラクターがいた。山幸彦の妻、トヨタマヒメだ。
     海神の娘であるトヨタマヒメは出産の際、本来の姿である「ヤヒロワニ」に戻って子を産むのだが、「ワニ」といいながら江戸時代に描かれたその姿はまったくの龍である。
    『日本書紀』の一節には正体を「龍」と書いた部分もあるのでそこが採用されたとも考えらえるが、先の「因幡の白兎」の場面同様、「ワニ」が鰐でも鮫でもない想像上の怪物と思われていたことの傍証になるかもしれない。

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    『風流神代巻』(都の錦、元禄年間刊)のオロチ(国文学研究資料館蔵)。
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    昭和17年の子供向け読み物『日本刀の話』 の挿絵より。オロチ=龍のイメージは昭和をこえて現在まで継承されている。

    (画像キャプションに所蔵表記のないものは国立国会図書館デジタルコレクションより)

    鹿角崇彦

    古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。

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