臨死体験が仕事観も変える! 真の働き方改革は“死後の世界を垣間見た人々”に学べ?
人生において仕事が持つ本質的な意味とは――。死の淵から生還した臨死体験者の多くが、その後に仕事を変えているという。臨死体験が仕事に対する価値観を劇的に変えているというのだ。
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文=シークエンスはやとも 構成=倉本菜生 イラスト=ネルノダイスキ
霊界と芸能界、そして都市伝説界隈から世界を見る芸人が、気になる噂のヴェールをめくる。今回のテーマは「死後の世界」……で始まったものの、いつしか家族論へ!
都市伝説を愛してやまない吉本興業所属の霊能者、シークエンスはやともです。今回は「死後の世界のリアル」について語っていきます。
人は死んだらどこにいくのか?
これは僕がよく聞かれる質問です。僕なりの答えは、「どこにでもいるようになる」なんじゃないかと思っています。
どこにでもいるとは、どういうことなのか。その感覚を説明するには、「肉体があることの意味」から考えてみましょう。
人間が「幸せだな」と感じる瞬間は、だいたい肉体に依存しています。美味しいものを食べたとき、気持ちよく運動したとき、推しに会いにいって楽しかったとき。どれも、体や脳が心地よく反応している状態です。
人は「自分の身体がどう感じるか」を軸に生きている。だから自己愛と呼ばれるものの正体は自分の肉体への愛情なんです。現代社会の経済システムは「肉体が得をするかどうか」を基準に動いています。
では肉体を失ったとき、人には何が残るのか。僕は、愛情や言葉にしがたい気持ち、だれかへのリスペクトなど、目に見えないものだけが残ると考えています。
死後の世界とは、想いだけが存在していて、他には何もない。そんな場所なのかもしれません。肉体がないからドーパミンもアドレナリンも出ないし、欲も感情も消える。男女の垣根もなくて、本当の平等が訪れるかも。
じゃあ、自我はどうなるのでしょう。みなさん、自我とは何か、考えたことがありますか? 哲学的な話になってしまいますが、自我はそもそも、他者との関わりのなかでしか見えてこないものです。自分の自我について理解するには、他者の存在が必要になります。
僕の場合、自分がどんな人間なのかを理解したのは、自分の子供が生まれたときでした。子供っていうこと聞かないし、自分の時間もお金もどんどん削られる。資本主義的に見たら、子育ては「損」の連続です。
それでも僕は「この子が助かるなら、自分は死んでもいい」と思えた。そのとき初めて、自分の肉体に依存しない〝想い〞に気づきました。
もちろん、それを体験できるのは子供に限りません。だれかとの関係のなかで、自分の命よりも大切なものを見つける人もいる。創作の世界や仕事のなかで出会う人もいるでしょう。
自分の損得じゃない部分で人と関われたかどうか。肉体に縛られずに、だれかに想いを向けられたかどうか。その経験の積み重ねが、死後の状態を左右するんじゃないかと感じています。
では、肉体に依存したままの倫理観や考え方から抜け出せず、人を妬んだり悪口をいったり、「自分の人生を邪魔してくるヤツは悪だ」なんて思ったまま死を迎えたとき、人はどうなるか。肉体依存の幸福が永遠に叶わないので、煉獄のような状態に囚われます。成仏もしないし、自己理解もない。徐々に無になっていくだけ。死後の何もない状態を安らぎと捉えるか、苦しいと感じるかは、どんな生き方をしてきたかにかかっている。
死後の世界が「何もない場所」だとしたら、三途の川とは何なのでしょうか。たまに、事故や病気で生死をさまよった人が「三途の川に行った」と話していますよね。花畑が広がっていたとか、亡くなった家族が立っていたとか。僕の考えでは、あれは脳が見せる願望か、霊的な領域からのメッセージです。
死に直面したとき、脳は「エンドルフィン」という脳内麻薬を出します。そして安らぎを感じる幻覚を見せてくる。海外だと、「臨死体験で空を飛んだ」といった話もあります。
同時に、まだ生きようとする本能も働きます。そのふたつが重なったとき、亡くなった大事な人が「こっちに来るな」と呼びかけてくる、〝願望の幻覚〞が生まれる。
逆に、三途の川に立っていたのが「まったく知らない人」だったなら、あの世からの「まだ死んではいけない」という本物のメッセージです。死後の世界に漂っている愛情や思いやりが、境界を越えて生きている僕たちに届いているんです。
ただし向こう側から送られた〝愛〞を、脳はそのままの形で理解できないことがあります。本当は見知らぬだれかの姿をしているのに、亡くなった家族など「知っている存在」に変換して受け取ってしまっているパターンもあるでしょう。
あるいは、本人は知らないと思っていても、遺伝子レベルで情報を継承している存在かもしれません。たとえば、幼いころに亡くなった祖父母の記憶や情報を、親を介して受け継いでいて、脳内で再構成されて見えているのかもしれない。
そう考えると、僕たちがご先祖様に手を合わせる行為にも、ちゃんと意味があります。仮に僕が未婚で、「どうしても結婚して子供がほしい」と思ったとします。墓参りをして「可愛い女の子と付き合って、結婚して子供ができますように」と祈っても……まあ、あまり効果はないでしょうね。
でも、必死になって先祖を供養するという行為は、亡くなった人を思い、向き合う時間でもあります。すると、先に旅立った人たちが自分をどう見ていたのか、理解が深まっていく。
祖父母にしろ、両親にしろ、彼らは幼いころの自分を見てくれていた存在です。その人たちが自分をどんな存在として見ていたのか。故人のことを考えれば考えるほど、自己理解が深まっていくんですよね。
そうなると、自分にはどんな存在が必要で、いちばん求めているものは何なのかも、だんだん見えてくる。これは子育てのプロセスに近いです。
あの世は、僕たちが生きている欲望が支配する世界とは、まったく別物です。だから「かわいい子と付き合いたい」「美味しいものを食べたい」「お金を稼ぎたい」……そんな願いを先祖に頼んでも、基本的には叶えてくれません。
でもね、「気」は向けてくれるんです。死後の世界は、想いの交換で成り立っている場所だから。だれかに愛を向ければ、ちゃんと自分にも返ってくる。10送ったら1返ってくる程度かもしれないけど、〝1〞を〝10〞に近づけていくための作業が、先祖供養なんだと思います。〝10〞を受け取るには、相手を100理解しようとする努力が必要です。
此岸と彼岸で、相互理解を積み重ねていく。相手がもう亡くなっているからなんて、関係ない。だって、その人たちがいなければ、僕たちは生まれてすらいないんですから。
(2025年 月刊ムー9月号)
シークエンスはやとも
1991年7月8日、東京生まれ。吉本興業所属の〝霊が視えすぎる〞芸人。芸能界から実業界、政財界にも通じる交友があり、世相の表も都市伝説も覗いている。主な著書に『近づいてはいけない いい人』(ヨシモトブックス)、『霊視ができるようになる本』(サンマーク出版)など。
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