学生運動への反発と宇宙開発の衝撃…激動の学生時代/超常現象研究家 南山 宏(3)

文=羽仁 礼

    1970年代に巻き起こったオカルトブームのパイオニア、南山宏の肖像に迫る!

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    砂川闘争で警官隊と対峙

     南山氏が入学した1956年当時、国立大学の授業料は安く、年間9000円であった。当時の大卒初任給が同じくらいであったから、新任サラリーマンの1か月分の給料で学費がまかなうことができた。
     とはいえ、東京での暮らしには生活費もかかり、貧しい南山氏にとっては容易なことではなかった。そこで最初は、東京の従兄弟の下宿でやっかいになり、その後中野にある大学の寮に入った。学費や生活費は家庭教師などのアルバイトでまかなった。
     寮では、4、5人の学生が一部屋で寝起きする雑居生活で、自分の机の周りには仕切りを設けたり、本を積んだりして自分の境界を設けていた。南山氏は、表紙もないようなぼろぼろのペーパーバックを買い集め、それを積み上げて防壁としていた。
     当時は進駐軍が放出した図書が神田の古書店 に積んであり、10円や20円といった値段で販売されていた。ペーパーバックは表紙絵を見ればだいたい見当がついたし、店先に無造作に積まれた本の背表紙に、SFと書かれてあれば中身も確かめずに買い集めた。

     このようにして手当たり次第に洋書集めをしていると、古書店の主人から、同じようにSFのペーパーバックを集めている学生がいるという話を聞いた。それが、後に親交を結ぶことになる野田昌宏であった。
     野田は、本名を野田宏一郎という。あるとき南山氏が古書店でSFものを買っているとき古書店の主人が「あなたと同じようなものを集めている学生さんがいる」と教えてくれた。気になって「どんな人」と聞いたら当時の春風亭柳橋師匠みたいといわれたそうだ。後に入会したSF同人誌「宇宙塵」の例会に出席したとき、初対面ながらひと目でそれとわかったという。
     野田はその後フジテレビに入社、退社後は日本テレワークの社長や株式会社ガイナックスの元監査役も務めた人物だが、その傍らSF小説も書き、翻訳家や評論家としても知られている。また、フジテレビの幼児向け番組『ひらけ! ポンキッキ』に登場したガチャピンのモデルである。

     他方、大学生となった南山氏は、学生運動にも参加した。
     大学入学の年1956(昭和31)年は、前年に始まった在日アメリカ米軍立川飛行場拡張に対する反対運動、いわゆる砂川闘争がもっとも先鋭化していた時期だ。 砂川闘争は1955(昭和30)年3月、在日アメリカ軍がジェット爆撃機の発着のためとして立川基地の他小牧、横田、木更津、新潟の5つの飛行場の拡張を要求したことがきっかけで始まった。基地拡張のため、砂川町の17万平方メートルの農地が接収される予定だったが、砂川町長をはじめとする住民はこれに激しく抵抗、当時全国的に展開していた反基地闘争の中、総評や国鉄労組などの労働組合、全学連も反基地闘争に参加するなどして、全国の活動家が砂川町に結集する状況となっていた。
     こうした時代の雰囲気に流されたのか、あるいは同じ寮生の影響もあったのか、南山氏も学生運動に参加するようになり、砂川町で警官隊と対峙したとも述べている。

    1955年から始まる砂川闘争。南山氏も参加し警官隊と対峙したという。

    人類の宇宙進出と SFへのさらなる傾倒

     しかし、それも長くは続かなかった。
     あるとき、4年生の活動家が南山氏の部屋に来てSF雑誌の山を見つけ、こういい放ったのだ。
    「こんなアメ公の産物は読むの止めろ。活動に専念しろ」
     SFを侮辱するこのような発言に、当然南山氏は「そんなものではない」と反発し、激しい口論になった。これを機会に、学生運動からは次第に距離をおくようになった。
     SFの世界では、常識を覆すような事件が頻発する。そこではわれわれの日常生活ですら固定したものではなく、すべてが相対化される。そのようなSF的発想に親しんだ南山氏にとっては、学生運動の教条主義的な理論闘争やトップダウンの体制などが次第に鼻につくようになり、内ゲバを始めた学生たちにも嫌悪を覚えたようだ。

     周囲に同好の士を見つけられず、孤独なSFファンとして過ごしていた南山氏に変化が訪れたのは、1957年末のことだった。
     その年の10月4日、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功したのだ。さらに11月3日にはライカという名の犬を乗せたスプートニク2号を続けざまに打ち上げた。
     当時の冷戦構造の中、アメリカをはじめとする西側諸国にとっては科学技術の分野で相手陣営に水をあけられたことにもなり、世界に「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃が走った。
     他方、スプートニクの打ち上げは、人類史上初の宇宙進出でもあり、宇宙時代の幕開けを告げるものとして、宇宙開発や、宇宙を舞台としたSFに対する関心もにわかに高まった。その年の終わりに発売された「実話」臨時増刊号はSF小説特集号となり、日本人作家によるSF小説もいくつも掲載された。
     そうした記事の中に、当時、「宇宙塵」を発行していた科学創作クラブ代表・柴野拓美の連絡先も掲載されていたのである。

    ソ連による世界初の人工衛星スプートニク1 号
    ライカ犬を乗せたスプートニク2号。これら打ち上げの成功は、世のSFの関心を高めることにもなった。
    科学創作クラブ代表で同人誌「宇宙塵」編集長、SF作家・柴野拓美(写真=Wikipedia)。

    (月刊ムー 2024年11月号)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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