新作『ダークグラス』を堪能せよ! 『サスペリア』の洗礼を受けていない世代のためのダリオ・アルジェント映画入門/初見健一の昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

    10年ぶりにダリオ・アルジェント作品が公開される! 「なんじゃこりゃ?」となりそうな初心者のために、味わい方を教えます!

    10年ぶりの新作への期待と不安

     10年ぶりとなるダリオ・アルジェント監督の新作映画『ダークグラス』が間もなく公開される。この原稿を書いている現在はまさに「公開直前!」なのだが、SNSが「アルジェント祭り」状態になるわけでもなく、一部のアルジェント信奉者たちが個々に期待で胸をふくらませているだけの状況で、昭和世代のホラー好きとしてはなんとも寂しい限りだ。

    『サスペリア』(1977年)から『フェノミナ』(1985年)の間に少年時代を過ごした僕らにとって、アルジェントはまさに「イタリアンホラーのマエストロ」。彼の新作公開がアナウンスされれば前宣伝がガンガン打たれ、各地の繁華街の一番デカい映画館で上映されたものだ。今どきそんな状況が望むべくもないのは承知だが、それにしても、『トラウマ/鮮血の叫び』(1993年)以降のアルジェントの不遇ぶりはあまりに悲しい。いや、「不調ぶり」というべきか……

     90年代以降の彼の新作は、東京では今はなきシアターNや新宿武蔵野館でささやかに上映される程度。『オペラ座の怪人』(1998年)や『デス・サイト』(2004年)にいたってはあろうことか日本未公開でビデオスルー! そして正直、あくまで僕個人の印象だが、『スリープレス』(2001年)以降の作品は、なんともモヤモヤした曖昧な落胆を感じさせられるものばかりだった。

     今回の『ダークグラス』もベルリン国際映画祭でプレミア上映されたものの、本国イタリアや日本では劇場公開されるが、多くの国では(コロナ禍とはいえ)ストリーミング配信のみ。そして、海外の批評家たちの評判もどうも芳しくないようだ。

     というわけで、「どうせ今回もダメなんだろうな」という悲しい諦めと、ほんの少しの期待を抱きながら試写を拝見させていただいたが……。
    「アルジェント信者」の戯言だと思われてもかまわない。今回の『ダークグラス』は間違いなく「傑作」である!

    『ダークグラス』は視力を失った娼婦ディアナと中国人の少年チンのコンビがシリアルキラーからひたすら逃げまくるシンプルな逃亡劇。だが、そうしたストーリーの構造とはまったく別の広がりを持った奇妙な作品だ。

    整合性のあるミステリーを期待するな!

     僕としては、いわゆる『サスペリア』世代ではない若い人たちにこそアルジェントの魅力を知ってもらいたいと思っているが、テレビの地上波で各種B級映画が湯水のように放映されていた環境が消え去り、名画座も衰退し、さらには国内で公開される映画のほとんどがアメリカ映画のみとなってしまっている現状では、アルジェント映画を楽しむにはちょっとした「リテラシー」が必要になる。

    「リテラシー」といっても、ごく単純なことを二つだけ覚えておけばいい。

     ひとつは、「イタリアンホラーは無駄に残酷で、無駄にエロくて、演出がとんちんかんで、話がめちゃくちゃ」ということである。最低限の整合感だけは確保してから出荷されるハリウッド映画とはまったく別物なのだ。これがわからないと、アルジェントに限らず、マリオ・バーヴァだろうとルチオ・フルチであろうと、イタリアンホラーの巨匠の作品はみんな「馬鹿が作った映画」に見えてしまう。
     かつての映画好きの子どもたちは、このあたりの感覚を小学生時代に無意識のうちに身に着けていた。テレビで「なんじゃこりゃ?」という変な映画を観てしまい、新聞のテレビ欄をチェックするとたいてい制作国の表示が「伊」になっていた……という経験を重ねているうちに、どんなにつまらなくても脚本の理論的な破綻だけは避けたがるアメリカのホラー(破綻している作品も山ほどあるが)とは、まったく別のところでイタリアンホラーは成立しているらしいことがわかってくるのだ。そもそも人はなにかを「納得」するために、わざわざカネを払って映画を観るわけではない。「納得できないもの」を目の当たりにして眩惑に打ちのめされたいから映画館に行くのである。

     もうひとつは、「アルジェント映画は推理劇ではない」ということだ。アルジェントはイタリア版ヒッチコックとしてキャリアをスタートさせ、ジャッロ(またはジャーロ。イタリア流ミステリー)の旗手となったが、彼の作品の多くはミステリーとしてはまったく成立していないし、そもそも成立させる気などさらさらない。「犯人は誰で、動機はなにか?」などということにだけ気を取られて観ていると、最終的には「ふざけんな!」と憤慨することになってしまうのである。

    主人公ディアナを演じるのは、『鋼鉄ジーグ』をモチーフにしたことで日本でも話題になった異色アクション映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』でヒロインを演じたイレニア・パストレッリ。

    『ダークグラス』の前に観ておくべきは『サスペリア』ではなく…

     もし『ダークグラス』の予習としてアルジェント映画を3本ほど観ておくとするなら、『サスペリアPART2』(1975年)『サスペリア』『フェノミナ』などのアルジェント力全開の代表作は置いておくとして(これらはなにかの参考のために観るようなシロモノではない)、まずは『わたしは目撃者』(1971年)だろう。

     だいぶ以前から今回の『ダークグラス』は、アルジェント自身が「駄作」と断言し、「一番嫌い」と語っていた『わたしは目撃者』の「変奏」なのではないかと噂されていた。「目の見えない老人と幼い少女」のコンビを「視力を失った娼婦と中国人の少年」に置き換えたセルフリメイクのような作品なのでは?……と推測されていたのだ。実際に観るとまったくそういうわけでもないのだが、比べてみるのはおもしろいと思うし、『わたしは目撃者』は比較的破綻度が低いので(だからこそアルジェント自身は「駄作」と言ったのだと思うが)、初心者にも戸惑いは少ないだろう。

     もう一本は『オペラ座/血の喝采』(1987年)。公開当時は賛否両論、というか否が多く、主役のクリスティーナ・マルシラッチとアルジェントの折り合いが悪くて現場もゴタつきまくった作品だが、往年の彼ならではのケレン味が思いっきり炸裂した最後の映画だし、推理劇としても思いっきり破綻しているので、アルジェント映画特有のノリが体感できると思う。

     最後は『スタンダール・シンドローム』(1996年)。公開時に映画館で観たときに僕が最も憤慨し、ゲンナリしてしまった作品だ。だが、不思議なことに後年見返す度に魅力を増していく変な映画でもある。内容的に「不快」と感じる人も多いと思うが、なにより『ダークグラス』で歩行訓練士のリータを演じる監督の愛娘、アーシア・アルジェントの「美少女時代」のサイコ演技が堪能できる。本作後半で金髪のウィッグを着けてからの彼女の芝居は本当に魅力的だが、『ダークグラス』で久しぶりに再会したアーシアにも驚かされた。よくもまぁ、こんなふうに上手に歳を取ることができたものだと思う。ちょっとワイルドな雰囲気になった今の彼女は、過去作のどれよりも素晴らしい。実のところ、自分の娘を使うようになってからアルジェントはダメになったんじゃないか?と、かねがね僕は思っていたが、今のアーシアを主役に据えた新作をぜひ見てみたい。

    主人公ディアナと、アーシア・アルジェント演じる歩行訓練士リータ。アーシアのアルジェント映画出演は2007年の『サスペリア・テルザ』以来。

    『ダークグラス』を覆いつくす「冷徹な詩情」

     さて、肝心の『ダークグラス』。ネタばれを避けて語るのがもどかしいが、ともかくあらすじやデータなどは公式サイト(https://longride.jp/darkglass/)をご覧いただきたい。

     僕の印象では、アルジェント特有のケレン、つまり画面の構図や色彩、演劇的な演出、大胆なショットや編集などによる「アルジェントらしさ」は、90年代以降、どんどん希薄になっていった。大雑把に言えば絵作りに対するフェティシズムみたいなものが、人工的・演劇的な絵が控えめになり、自然光に近い色合いのショットで構成されるようになった『スリープレス』以降、急速に失われた気がしていたのだ。別に『サスペリア』のような常軌を逸した極彩色の悪夢をまた見せろというわけではないが、画面にも演出にも力感がなく、「どこを観ればいいのか?」「何が撮りたいのか?」がよくわからなくなって、もはや映画のどこにも監督のこだわりが宿っていない「普通のB級スリラー」になり果てた……という落胆がずっとあったのだ。

     しかし、先述した『スタンダール・シンドローム』もそうなのだが、初見では「最悪だ!」と思った『スリープレス』以降の作品も、数年後に観返すとなにかしら妙な魅力が発見できて、「あれ?」と驚かされる。『デス・サイト』も『ジャーロ』(2009年)もそうだった。なぜここ20年もの間、彼の映画が「微妙な魅力をはらんだ失敗作?」とでもいう同レベルの作品ばかりなのか、どうもよくわからなかったし、もしかしたら、これが「老い」ということなのかな、とも思っていたのだ。

    『ダークグラス』を見ると、このあたりのモヤモヤが驚きとともに一気に解消される。本作には往年のケレンとはまったく別のスタイルが画面にみなぎっており、アルジェントがずっとこれを模索し続けてきたことがわかるのだ。
    『ダークグラス』は「アルジェント映画の集大成」と宣伝され、彼自身もそうコメントしており、過去作の引用のような場面が多々あるが、それよりも従来のアルジェント映画では目にしたことのないタッチに満ちていることに唖然とする。移動するクルマの内部にいる人物の表情と、車窓を流れる光の反射を捉えた場面が多用されるが、そうした何気ないショットの浮遊感が強烈に印象的だ。

     そして夜の描き方。街灯が滲む町、田舎の道路、森の小道といった夜の景色が、無造作にポンと投げだすように映しだされる瞬間が何度かあるが、「え? アルジェント映画の夜ってこんな感じだっけ?」と思わず考えてしまう。夜そのものがそっけなくそこにあるような、なんとも新鮮な「夜」だ。

     さらに、最も驚かされるのが人物描写。誰に対しても感情移入はいっさい不能、登場人物の感情に即して映画を見ていく「怠慢」を許さないのがアルジェント映画だと信じていたが、アーシア演じる歩行訓練士のリータが、視力を失った主人公・ディアナに「視力に頼らない暮らし方」を指導する過程をていねいに追う一連の場面、特に横断歩道を渡る二人をロングで捉えたショットなど、「これ、本当にアルジェント映画なのか?」と思ってしまう。彼がこれほどやすやすと無防備に人物に寄り添ったことがあっただろうか?

     こうした細部が小さな歯車のようにそれぞれキッチリと機能して描き出すのは、それを何と呼ぶべきなのかはわからないのだが、言ってみれば不思議な「詩情」である。『スリープレス』以降の彼は、ショットへのフェティシズムを失っていたのではなく、この不思議な「詩情」をずっと探していたのだ……と僕は勝手に確信してしまった。
    「詩情」などと言うと「では、ヌルくなったのか?」と思うかも知れないが、まったくそうではない。それは『ダークグラス』の冒頭場面、すべてを決定づける皆既日食を描く奇怪なオープニングを観ればわかるだろう。クルマを運転するディアナの「なにやら今日は街の様子がいつもと違う」という、ほんのちょっとした違和感からはじまるあの冒頭場面の冷徹な「詩情」。あれを思いついた時点で、もうこの映画は「勝ち」なのである。ちなみにディアナ(ディアーナ)とは、ローマ神話に登場する「月の女神」の名だ。

    冒頭場面で皆既日食を見あげるディアナ。一時期までのアルジェント作品はとにかくオープニングシーンで観客をシビれさせたものだが、『ダークグラス』もまさに「これにしかない!」という不穏で美しい場面で幕を開ける。

     アルジェントが本作でやっと手にした新しいスタイルは、しかし、これが完成形ではないだろう。
    『ダークグラス』にはゴア描写があまりに少ない。もはや彼の興味はそこにはないのかも知れない。近い将来、もしかしたら「誰も人が死なないアルジェント映画」を観ることになるのでは?……と妄想してしまう。『歓びの毒牙』でデビューした彼は、そもそもホラー映画(ジャッロ映画)専門の監督になる気などさらさらなかった。彼が構想していた第2作は、『イージーライダー』にインスパイアされたヒッピー風のロードムービーだったという。しかしデビュー作があまりにヒットしたため、なかば強制されて『わたしは目撃者』を撮り、以降、彼の作品はすべてが血まみれだ(大失敗とされたコメディ叙事詩『ビッグ・ファイブ・デイズ』を除いて)。
     その分岐点となった『わたしは目撃者』の設定を今作で再び使っているのは、なにかしら示唆的である。一滴の血も流れない「アルジェント映画」。そんなものがもし存在可能なら、それはきっとこの世で最も「スリリング」な映画になるだろう。

    『ダークグラス』作品情報

    『ダークグラス』
    4月7日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
    Copyright 2021 © URANIA PICTURES S.R.L. e GETAWAY FILMS S.A.S.

    監督:ダリオ・アルジェント
    脚本:ダリオ・アルジェント、フランコ・フェリーニ
    音楽:アルノー・ルボチーニ
    出演:イレニア・パストレッリ、アーシア・アルジェント、シンユー・チャン
    2021年/イタリア・フランス/イタリア語/85分/カラー/シネスコ/5.1ch/原題:Occhiali neri/日本語字幕:杉本あり

    提供:ロングライド、AMGエンタテインメント
    配給:ロングライド
    公式サイト:https://longride.jp/darkglass/

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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