親の記憶は細胞を通じて遺伝する!? 「胎内記憶」にまつわる最新科学/久野友萬

文=久野友萬

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    胎内記憶や前世の記憶は、本当にあり得る現象なのか? 最新の科学によってわかってきた驚きの新事実とは!?

    生まれる前には空にいた? 謎の胎内記憶

    『胎内記憶』をご存じだろうか。子どもが突然、母親の胎内にいた時のことや生まれる前のことを覚えていると語り出すのだ。

     池川明という産婦人科医の『子どもは親を選んで生まれてくる』(中経文庫)には、子どもたちが語った生まれる前の記憶の内容が書かれている。いくつかピックアップすると、

    「空を飛んで世界中を探して、一番ママが良かったの、寂しそうだったし」(6才・男子)
    「雲の上には、赤ちゃんに羽根が生えた天使みたいな子がいて、お母さんを探しているの」(10才・女子)
    「へその緒に、足をこうやってのせて遊んだり、それが一番覚えている」(6才・男子)
    「生まれてもいいかなと思って、神さまにそう言いに行ったら、『はい、いいですよ』という答えだったので、羽根をもらいました」(12才・女子)

     同書の筆者である池川医師によれば、子どもたちの記憶には共通点があり、生まれる前は空の上にいて、そこから母親を選んで胎内に入っているのだという。

    『子どもは親を選んで生まれてくる』(中経文庫)

     ここまでなら、かわいらしい話である。

     しかし、子どもが親を選んで胎児に魂が宿るのなら、虐待されたり、先天的な疾患や社会的に不利な境遇にある子どもはどうなるのか。そういったケースは

    「お父さん、お母さんに虐待はいけないと教えに来たり、命が大事ってことを教えに来るんだ」(『胎内記憶の真実』池川明)

    だそうで、病気さえゲーム感覚で治療を楽しんでいるのだと同書にある。

     子どもは天使だというが、こうなると子どもは男の子も女の子も坊主である。悟っている。単に大人の理想を押し付けているだけでなければいいのだが。

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     とはいえ、生まれる前の記憶をさらに遡り、前世の話となるとかわいらしくない。かなり怖い。『子どもは親を選んで生まれてくる』には

    「(前略)大きい横断歩道で、車に轢かれて死んじゃったの。三年生の男の子で、青い習字バックを持っていた」(10才・女子)

     という子どもの記録がある。自分を轢いたのは黒い車で、信号無視だったのだそうだ。

     そして、胎内記憶を持つのは子どもだけに限らない。なんと自分が精子だった時の記憶を持つ大人がいて、

    「ぼくには精子のときの記憶がある。たくさんの仲間と競走していて、大きな玉に一番でたどり着いた。でも他の仲間はみんな死んでしまった。だからその仲間の分まで、ぼくは生きなければいけないんだ」

     罪の意識もいろいろだ。

    胎児は記憶できるのか?

     記憶の中身が何であれ、脳がなければ記憶できないだろうし、脳があっても働いていなければ記憶できない。

     妊娠中の胎児は、記憶できるのか記憶できないのか。

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     胎児の脳は妊娠5カ月目でほぼ完成し、動き始めるらしい。

     水上啓子らが妊娠5カ月目の妊婦に行なった実験(「胎児期の聴覚経験に関する一研究」教育心理学研究 第32巻 第2号)で、「猫の子のちょいとかぶせる木(こ)の葉かな」という文章を5秒間隔で女性が15回読み上げたテープを作り、24週目の妊婦の腹部に、1日2回3分間聞かせることを出産まで繰り返した(最低でも120回以上聞かせた)という。

     そして、生まれた新生児9名(生後2~7日目)に、妊娠中に流したテープと同じものと、似ているが違う言葉のテープを聴き比べさせたところ、同じテープの音に対して有意に心拍数の減少が見られた。赤ん坊には、胎児の時の音の記憶はあるらしい。胎内記憶を科学で定義するなら、この音の記憶が胎内記憶だ。

     しかし、池川医師のいう『胎内記憶』は、水上らの実験で調べた胎内記憶とは別モノだ。それよりも前の記憶だというのだから。

     脳が機能し始めるのが妊娠5カ月目からなら、それ以前の記憶はどこに? 脳がないのに、コンピュータで言えばハードディスクもメモリも何もないのに、どこに記録するのか? 魂?

     科学は魂を相手にしない。それは宗教やファンタジーの分野で、何とでも言えるからだ。私の過去生はフランス貴族だった、豊臣秀吉だった、ファラオだったというのは、本人たちが言うだけで、客観性がまったくない(行ったことのない場所や外国語を話す子どもの話があるが、検証した結果、親がその場所に行ったことがあったり、家の中に該当する外国語の本があったりしたので、信憑性は非常に薄い)。

     池川医師の『胎内記憶』も、子どもたちがそう言ったというだけで、他に何も証拠はない。言うだけなら何でも言える。素敵な話ではあるが、残念ながら科学の世界では研究対象にできない。

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    魂なき科学の世界で考える

     だが、非科学的なことが、後に正解であることがたまにある。漢方薬がいい例で、鹿の骨を飲んでもただのカルシウム以上の働きはないと言われていたのが、パントクリンという心臓の機能を回復させる成分が見つかった。

     虫を飲むことも迷信と思われていた。たとえばミミズは心臓病に効くと言われ、熱を下げると言われていた。ミミズは狭く暗いところに潜り込んで穴を開けるので、詰まった血管をこじ開けて熱を逃がし、血流を良くするという“イメージ”が、漢方での効果の説明だ。ミミズを飲んだらミミズが体の中で詰まった血管に穴を開ける? この説明をそのまま鵜呑みにできるほど、科学者はウブではない。

     しかしミミズには解熱作用のあるルンブロフェブリンなどの成分が含まれることがわかった。漢方の説明はデタラメだが、薬効はあったわけだ。

     胎内記憶も、説明はデタラメだが、経験則から来る何かの事実を言い当てているのかもしれない。

     胎内記憶は科学で理屈付けできるのか? 科学は魂以外を扱う。言い換えれば、魂抜きで、生まれる前の記憶は説明できないのか?

    胎内記憶とは細胞の記憶か?

    『ドグラマグラ』(角川文庫)

     天下の奇書と呼ばれ、読むとおかしくなると言われた、夢野久作の小説『ドグラマグラ』や、人間の記憶を薬と浮遊タンクで何十万年も逆行させる映画『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』は同じテーマを扱っている。それは細胞の記憶だ。

     あくまで記憶は個人のものだ。個人が生まれると記憶は始まり、死ぬと終わる。

     しかし、そうではなかったら? 記憶が脳だけではなく細胞にも蓄積され、自分の体験や感動が細胞に刻まれ、次世代へと運ばれるのだとしたら?

    『ドグラマグラ』では、心中した中国の兄妹の記憶が、十数世代後の子孫である日本の兄妹に遺伝し、マッドサイエンティストによってその記憶(「胎児の夢」と夢野久作は呼んでいる)を呼び出され、大量殺人が起きる。

    『アルタードステーツ/未知への挑戦』は、サルの記憶どころか宇宙誕生の記憶まで遡り、記憶に対応して体が変化し、最後はあやうく周囲をビッグバンで吹き飛ばすところで自分を取り戻す。

    『アルタードステーツ/未知への挑戦』(ワーナー・ホーム・ビデオ)

     胎児は受精してから魚類 → 両生類 → 爬虫類 → 哺乳類と進化の道筋を1週間ほどで再現すると言われてきた。ドイツ人学者のヘッケルが唱えた反復説で、生き物は原始の細胞から順番に、進化に沿った系統発生を繰り返すというものだ。まさに細胞の記憶だ。何億年もの進化の情報が細胞に刻まれている?

     実際、胎児の写真には明らかに尻尾の生えているものがあるが、あれは尻尾ではないらしい。尻尾に見えるのは、脊髄がいち早く成長を始めるため、体から突き出た姿だという。

     そもそも、系統進化という考え方自体が間違っている。爬虫類の後に哺乳類といった順番で進化は起きておらず、恐竜と哺乳類は共存していたことが化石でわかっている。今も、ワニもいればメガネザルもいれば人間もいるわけで、進化は全生物が単純な一本道で歩んだものではないのだ。

     やはり、細胞に刻まれた記憶などない! ……そう思われる。だが、常識は変わる。

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     エピジェネティックスという最新の遺伝子学がある。後天性遺伝と訳され、環境の変化が遺伝子を変化させ、それが次世代へ受け継がれるらしい。

     これは、つまり細胞の記憶である。個人の体験は細胞に刻まれ、次世代へと遺伝する。あながち間違いとも言い切れないのだ。

    細胞の記憶はある

     恐怖が遺伝することもわかっている。

     マウスに電気ショックを与え、その都度、桜の花の香料を嗅がせる。やがて桜の花の匂いを嗅いだだけで、マウスは恐怖するようになる。そして、そのマウスが子どもを産むと、その子どもは桜の花の匂いを嗅いだだけで、怯え震えるなどの恐怖行動をとるようになる。

     凶暴なオスと気の弱いオスを一緒に閉じ込めると、気の弱いオスはいじめられて、重度のうつ状態になる。そのオスの子どもは、生まれた時からストレスに弱いいじめられっ子マウスになるという。いじめられたオスの精子では1000カ所以上が活性化していたという。作り出されたタンパク質が、ストレス耐性を低下させるらしいのだ。精子は競争した仲間のことなど記憶しないが、いじめられたことはしつこく覚えている。

     それ以外にも、肥満や精神疾患、免疫疾患などが後天的に遺伝することがわかっている。

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     前世の記憶など、科学は知ったことではないが、両親や祖父母、さらには先祖の記憶は細胞を通じて遺伝する。それは時としてネガティブな体質として受け継がれ、数世代にわたり続いていく。これが本物の胎児の記憶、胎内記憶だ。

     自分が健やかであるなら祖先のおかげ、子どもを健やかに育てたいなら自ら健やかに生きよう。生まれる前の赤ん坊に人生を説教されるよりも、エピジェネティックスの研究成果の方が、よほど前向きで真っ当な考え方なのである。

    【参考】
    https://www.nature.com/articles/nn.3594
    https://www.jneurosci.org/content/41/29/6202

    久野友萬(ひさのゆーまん)

    サイエンスライター。1966年生まれ。富山大学理学部卒。企業取材からコラム、科学解説まで、科学をテーマに幅広く扱う。

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