中国超古代文明に息づいた超テクノロジーの謎/世界ミステリー入門

文=中村友紀

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    現代のわれわれが享受している科学技術において、基礎的な発明・発見の半分以上は中国発祥だという。しかも、中国の歴史に散見される科学技術の源流をたどっていくと、驚くべき超古代文明の姿が浮かびあがってくるのだ。 中国の古代史に隠された謎を追う。

    中国が生みだした超テクノロジー

     ムーやアトランティス、あるいはレムリアにも匹敵するような超古代文明が、中国にも存在していた可能性があるという。
     そもそも中国は、ヨーロッパ以上に高度な科学技術を生みだしてきた国だ。
    『中国の科学と文明』(河出書房新社)を著したロバート・K・テンプルによれば、「現代世界」を支えている基礎的な発明・発見の半分以上は、中国に由来しているのだという。

     中国の四大発明といえば、羅針盤、火薬、製紙、印刷術が有名だが、それ以外にも近代農業や造船、天文、多段ロケット、銃、毒ガス、熱気球、有人飛行、航海術、蒸気機関ときわめて多岐にわたっている。
     たとえば太陽の黒点についても、それが太陽表面の現象であることを、中国人は紀元前4世紀には気がついていた。
     また、西洋の戦争で爆弾が使われる250年も前に、中国製と思われる爆弾が元の軍隊によって日本で使われている(これは日本人の手によって、絵画として残されている)。
     あるいは「指南車」と呼ばれる、車に載せた仙人の指先が、常に南を指しつづけるという不思議な機械も発明した。
     発明の経緯については後述するが、興味深いのはこの指南車が、方位磁石を用いないテクノロジーだということだ。あくまでも歯車による動きで、一定の方角を維持しているのである。
     では、こうしたテクノロジーは、いったいどこから来たのだろうか。

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    「蒙古襲来合戦絵巻」(第2)より。文永の役(1274年)の「鳥飼潟の戦い」の様子を表した場面に、元軍が使用した「てつはう」という火矢が炸裂する様子が描かれている(国立国会図書館蔵)。
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    車がどの方角を向いても、人形の指が常に南を指す「指南車」の図。蚩尤(しゆう)との戦いで立ち往生していた黄帝が、夢で玄女という婦人から指南車の作り方を教えてもらったという。

    異形の仮面が示す伝説の王の実在

     少し前まで、世界史の教科書には必ず世界の「四大文明」なる記述があった。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして黄河文明だ。この4つが人類最古の文明だというのは、長らく歴史学の常識とされてきた。
     だが最近では、中国には黄河文明に先駆けて――もしくはそれと並行して――別の古代文明が存在していたという事実が明らかになってきている。
     それが中国のもうひとつの大河、長江流域で栄えた長江文明である。

     1986年のことだ。
     長江上流にある四川省広漢市南興鎮三星堆(さんせいたい)村で、煉瓦用の土を掘っている最中に、ふたつの長方形の土坑が発見された。
     出てきたのは、アーモンド形の目をした人頭像、目が飛びだした異形の仮面、さらに4メール近い高さの神樹など、古代の祭祀に用いられたと思われるたくさんの青銅器だった。

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    揚子江上流の三星堆(さんせいたい)遺跡で発見された「青銅縦目仮面」。写真は複数出土したなかの1点で、「大号獣面」と呼ばれる。目が極端に前方に飛びだした異形で、古蜀の王・蚕叢(さんそう)をかたどったものだという(写真=Wikpedia)。

     その後の研究で、この三星堆遺跡は紀元前3000年から前1000年ごろに栄えた古蜀文化期のものであることが判明する。また、青銅器の製造法から、殷(紀元前1700年ごろ~前1046年)の青銅器文化の影響を受けていたこともわかった。
     しかし、注目すべきはそこではない。前述したように、これらの像がきわめて異色な姿をしていたということだ。
     とくに人々を驚かせたのは、目が飛びだした異形の仮面だった。これはその造形から「青銅縦目仮面」と呼ばれたが、いったいこれは何なのか?
     研究者は古蜀、つまり古代の蜀を建国した伝説の王・蚕叢(さんそう)に注目した。
     なんとこの王は、目が縦になっていたと記録に残されているのである。ただ、そのあまりの異形ぶりから、古蜀も蚕叢も伝説上の架空の存在にすぎないと見なされていたのだ。
     ところが実際に「青銅縦目仮面」が出土したことで、話が変わってきた。古蜀も蚕叢も実在していたと考えられるようになったのである。
     だが、そうなると問題は、蚕叢の正体だ。
     伝説の記述と、実際に出土した仮面の姿が一致した以上、縦目が単なる装飾もしくは誇張であるという説明では納得できなくなる。この仮面は、実在した蚕叢を実際に模したもの——つまり蚕叢は本当に縦目だったのではないだろうか。
     だとすれば、蚕叢とは何者なのか? おそらく、地球人ではあるまい。

    超古代の製鉄技術と巨大ピラミッド

    「ナショナルジオグラフィック」誌によれば、中国・青海省のツァイダム盆地近郊にある白公山で、20年ほど前にある「オーパーツ」が発見されたという。
     恐竜の化石を捜していた調査団がこの山で目にしたのは、複数の鉄パイプ状の遺物だった。多くは直径が50センチほどもあり、なかはしっかりと空洞になっていた。つまり、まさしく鉄製の「パイプ」だったのだ。
     その後、北京の地質研究所が年代を分析したところ、なんと15万年前という数値が弾きだされたという。

     もちろん15万年も前の人類が、製鉄技術を持っていたはずはない。どう長く見ても、人類が製鉄を始めたのはせいぜい数千年前のことだからだ。
     いや、そもそもこの15万年という数字自体、とんでもないものだった。というのもわれわれ現生人類、つまり人類史における「新人」は、およそ20万年前に発生したばかりで、15万年前も含め、時代はまだ前期石器時代のまっただ中だ。
     したがって、この鉄パイプが人工物であるとすれば、それはわれわれ現生人類が作ったものではない。可能性として考えられるとしたら、われわれの前に別の文明をもった「人類」が存在していたか、もしくは地球外生命体の手によるもの、ということになるだろう。
     超古代文明の痕跡と思われる中国の不思議な遺物は、ほかにもある。
     たとえば巨大ピラミッドがそうだ。ピラミッドといえば、エジプトやマヤ、あるいはシュメールのジッグラトなど、古代文明のシンボルのような建造物だ。そして、あまり知られていないことだが、中国奥地には数百もの謎の巨大ピラミッドが眠っているのである。
     その代表が、1945年に西安南西部の山岳地帯を飛行していたアメリカ空軍パイロットのジェームズ・ガウスマンによって発見・撮影された「ホワイト・ピラミッド」だ。
     1947年3月28日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙に掲載されたガウスマンの体験談記によれば、それは陽光を反射して、キラキラと白く輝いていたという。まさにホワイト・ピラミッドだ。

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    1945年にアメリカ空軍のパイロットが上空から撮影したホワイト・ピラミッド。撮影者は息を呑むほどの美しさと巨大さに圧倒されたという。


     なお同紙には、フランスワールド航空に勤務していたモーリス・シーハン元大佐による、白く輝く大ピラミッドの目撃談も掲載されている。ガウスマンが報告したピラミッドと同じものかどうかは不明だが、元大佐によればピラミッドの高さは約900メートル、基底部の長さは1.35キロメートルほどもあったという。
     ちなみに、あのエジプト・ギザにある大ピラミッドでも、高さ約139メートル、基底部の長さは約230メートルだ。いかにホワイト・ピラミッドが巨大かがわかるだろう。
     また、2005年10月にはアメリカの民間地球観測衛星「イコノス」が、山西省太原宇宙センター近郊にあるピラミッド群を宇宙から撮影。そこには3つのピラミッドが、あのエジプトのギザの三大ピラミッドそっくりの並びで配置されていた。
     実は、これらのピラミッドの正体については、いまだによくわかっていない。中国政府も、なぜか調査には非協力的なのである。
     ただ、ドイツの宇宙考古学者ハウトウィグ・ハウスドルフによれば、現地の人々の間では、「火を吹く風に乗ってやってきた天の子たちが、この地にピラミッドを建造した」と伝えられているのだという。
     この証言が事実なら、これらのピラミッドは地球人の手によるものではないということになる。つまり、かつて地球を訪れた異星人によって作られたもの、というわけだ。
     だとすれば、ここ中国こそピラミッド発祥の地なのかもしれない。世界中のピラミッドは、この中国のピラミッドをまねて作られたという可能性も考えられるのである。

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    ドイツの宇宙考古学者ハウトウィグ・ハウスドルフが撮影した西安付近のピラミッド群の写真。

    古代中国で起きた壮絶な超科学戦争

     古代中国を統一したとされる伝説的な王に、黄帝がいる。
     炎帝(神農)と蚩尤という異形の神を倒し、中国を統治した最初の帝だ。
     のちに中国で興った夏、殷、周、秦といった国の始祖は、みなこの黄帝の子孫だとされる。まさに中国の王のなかの王だ。
     実際、黄帝は船、車、文化的な服装、家屋などを発明しただけでなく、臣下に楽器を製作させたり、十干十二支や文字を作らせたりした。
     また、暦を作って人々に農業のやり方を教え、現在の中国医学の基礎となる経絡医学をまとめてもいる。
     要するに黄帝は、中国に文明を与えた人物なのである。
     その黄帝と炎帝の戦いにおいて、両者はなんともすさまじい武器を使用している。
    「炎帝は、もともと黄帝の異母兄弟だった。(中略)涿鹿(たくろく)の野に戦った。戦いは残酷そのもので杵しょが飛びかった」(『経史』巻531)
     ここでいう「異母兄弟」とは、先祖が同じという意味だ。が、問題は最後に登場する「杵」なる武器である。
     この武器は細長く、空中を飛びかい、落下すると砕け散ったという。破壊力は強力そのもので、一度に数十人から数百人の死傷者が出たというのだ。
     あるいは、こんな武器もある。
    「炎帝は、恐るべき火を落とし、人々に危害を加えたので、黄帝は策をもってこれを捕らえた」(『准南子』兵略篇)「恐るべき」とあることから、単なる火を落とす兵器とは考えにくい。これは、核兵器を描写している可能性もある。
     というのは、この兵器によって、数万の兵士がいた黄帝軍の陣地のひとつが、瞬時に壊滅してしまったというからだ。驚いた黄帝は、炎帝の陣地に兵士を忍びこませ、残っていたこの兵器をすべて捕らえた(奪った)というのである。
     その後、激しい戦いの末に黄帝は炎帝に勝利する。だが、次に黄帝の前に立ちはだかったのが、蚩尤だった。
    『拾遺記』によれば蚩尤は兄弟が72人もいて、みな銅の頭、鉄の額を持ち、鉄塊や石を食べていたという。その姿は人の身体に牛の足、4つの目玉と6本の腕、頭には長い角があったとされる。そして、雲を起こし、霧を発生させることができた。
     この記述を信じるなら、蚩尤は生物ではない。むしろロボットといったほうが適切だ。
     同書によれば、黄帝軍はこの蚩尤に苦戦する。炎帝から奪った「核兵器」まで使用したとされるが、それでも蚩尤は屈さなかった。そこで黄帝は、窮余の一策をとる。
    「黄帝は両眼から光を発し、雷のような巨大な声を出す夔(き)という怪獣を捕らえ、皮と骨を使い500里もの空中を震わせることができる太鼓を創った」(『拾遺記』)
     おそらくこれは、強力な電磁気を発生させる装置を開発したことを意味しているのだろう。
    この装置を使ったことで、「蚩尤は、肝をつぶし、再び飛ぶことも走ることもできなくなった」(『同書』)というのだ。
     つまり、装置が発する強力な電磁波によって、蚩尤というロボットはようやく操縦不能になったわけである。
     その後、黄帝は指南車を得て、大将である蚩尤を捕縛。戦いは終わりを告げる。

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    中国文明のもとになるものすべてを築いたと伝えられる黄帝(こうてい)。
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    黄帝の異母兄弟である炎帝(えんてい)。中国の覇権をめぐって、黄帝と熾烈な戦いを繰り広げた。
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    炎帝の一族と伝えられる蚩尤。銅鋳のように硬い身体と恐るべき機動力を持ち、黄帝の軍隊を悩ませた。

    『封神演義』に見る超古代文明の痕跡

     中国には『封神演義』という物語がある。成立は明の時代(1368~1644年)だから、さほど古いものではない。だがその内容がとても興味深い。
     ストーリーは、殷末周初の時代を舞台に仙人や道士、妖怪たちが人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるというものだ。
     仙人や道士による戦いだから、もっぱら呪術合戦になるのかと思いきや、少しばかり様子が違う。用いられるのはもっぱら「宝貝(パオペイ)」という摩訶不思議な道具なのである。
     宝貝は、日用品から武器まで多種多様だ。しかしその真骨頂は、やはり武器にある。
     紙幅の都合もあるので詳述は避けるが、同書に登場する宝貝は、現代でいうビーム砲やロボット、核兵器、さらにはブラックホールを作りだす重力場装置、100万人をマインドコントロールする装置などを想起させる。およそ古代のテクノロジーらしからぬものばかりなのである。
     もちろん、これらを想像上の兵器と見なすことは簡単だ。
     だが、この知識も、失われた超古代中国文明から来ているのだとしたら?
     もしかするとこの書が語る古代史と武器は、黄帝と炎帝の戦いで使用された超テクノロジーの一片を暗示しているのかもしれないのだ。

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    西洋よりも遙かに早い時代に、中国で開発された数々の武器。そこには密かに伝わった超古代のテクノロジーが使われているのだろうか。(上)多段式のロケット。(中)猛火砲と呼ばれる毒ガス兵器。(下)火炎放射器。

    超テクノロジーはどこからきたのか?

     黄帝たちが手にしていたスーパー・テクノロジーは、まさしく中国に超古代文明が存在していたことの証明だと思われる。
     そして彼らは、そのテクノロジーをもとに核戦争もしくはロボット戦争をしていたのだ。
     ならば、そのルーツはどこにあるのか。そしてそれは、なぜ失われてしまったのか。
     一説によれば、そのテクノロジーは異星人からもたらされたという。
     世界には、人類に文明をもたらしたのは、天から降りてきた「異形の神」である、という伝説が数多く存在する。
     たとえば、マヤ・アステカの白い神ケツァルコアトル、アンデスの白い神ヴィラコチャ、シュメールに降りたアヌンナキなどがそうだ。
     ここに中国の縦目王・蚕叢を並べたとしても、たしかに不自然ではない。
     だとすれば、蚕叢が祖となった中国の古代文明は、まさに超古代文明と呼ぶにふさわしいものだった可能性が高い。
     いうまでもないが、文明を天空からもたらした「異形の神」とは、異星人のことだ。したがって、祖先を同じにする黄帝や炎帝の祖先もまた、異星人だったのかもしれない。
     国を統一するためとはいえ、同じ祖先をもつ者同士の戦いは、あまりにも悲惨すぎた。だから黄帝は、戦いが収束すると、テクノロジーを封印することにしたのではないか。
     中国の史書に記された不思議な歴史や、あるいは本稿の最初に述べた、中国をルーツとする科学技術の数々は、その残滓なのかもしれない。
     もちろんこれは、あくまでも仮説のひとつにすぎない。
     白公山で発見された鉄パイプは、15万年も前のものだったし、これを作った者と黄帝たちを結びつけるものは何もない。ホワイト・ピラミッドにしても、本格的な調査は何もなされていないのだ。
     広大な中国に、有史以前にわれわれの知らない高度な文明を、人類が自らの力で築いていた可能性も、決して否定はできないのである。
     いずれにしても、中国の歴史には、まだまだ底知れぬ深さがあるようだ。

    (月刊ムー2018年8月号掲載)

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