知られざる古代遺跡「三星堆」の謎/MUTube&特集紹介  2026年3月号

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    今から5000年前に栄えた文明の遺跡で出土した、数々の青銅製遺物から浮かび上がってくるのは、長江稲作文化と日本をつなぐ衝撃の秘史だった! この記事を三上編集長がMUTubeで解説。

    少数民族が支配していた古代の蜀王国

     金沙遺跡は成都市内の西側にあった。広さは5平方キロと広大だ。ここから金器200点・青銅器1200点・玉木2000点・象牙1トンが発掘されている。遺物は三星堆遺跡と似ているようで似ていない。代表的な遺物は黄金仮面と太陽神鳥金箔だが、青銅像の製造技術が退化している。大きな仮面もなく、祈祷師像は貧弱だ。金砂遺跡は三星堆遺跡の仮面王国を打倒した人人の遺跡だと、考古学者たちはいうが、正しいだろう。私が気になったのは象牙の発掘量が多いことだった。ガイドに聞いたら「成都はインドやミャンマーやベトナムと象を使って交易をしていたのですよ。三星堆遺跡からもたくさん象牙が出ています」という。NHK取材班による『謎の古代王国』(1993年刊)という本に、象牙の話はあまり出てこないが、四川省は西南シルクロードの入り口だと書かれている。シルクロードの地図を調べると、確かに四川省から雲南省を抜けてインドからペルシア、ミャンマー、ベトナムに抜けるキャラバン道がある。雲南省の省都・昆明からベトナムの首都ハノイまでは驚くほど近い。
     四川省や雲南省は、4000年前の神話の時代から黄河地帯の漢民族からは「西南夷」の土地と呼ばれていた。「西南夷」には彝族やタイ族など数多くの少数民族が住んでいる。古代の蜀王国(四川盆地)を支配していたのは彝族だと考えられているが、この彝族と日本民族との深い関係については後ほど語る。

    祈禱師をかたどった謎の青銅像

     成都の空には常に雲がある。そこで雲南省は「雲の南の土地」と名づけられたという。蜀の四川盆地に大量に漢民族がやってきたのは『三国志演義』の諸葛孔明の時代からだ。成都にはこの物語の時代(西暦184年〜280年)に蜀の王であった劉備玄徳の墓があるが、その場所は「武侯祠」と呼ばれる。武侯とは諸葛孔明のことだ。ガイドによると「中国人の間では圧倒的に諸葛孔明のほうが人気があるんですよ」とのこと。彼は私利私欲のない人物で、権力もお金もほしがらなかった発明家であり、戦略家だったという。それが中国人の求める理想的な支配者だそうだ。
     さて、金沙遺跡訪問の翌日は、朝9時に出発して三星堆遺跡博物館に向かった。成都の気温は東京とあまり変わらない。その日は専用車で博物館まで行き、館内は温かいだろうと考え薄着で出かけた。ところが運転手もガイドも車内の温度を上げようとしない。
     ガイドに「なぜ暖房を入れないの? ガソリン代節約?」と聞いたら、「その通りです」との答え。そこで私も「郷に従え」の精神で寒さに耐えることにした。中国人は質実剛健であることを、今回の旅では何度も感じさせられた。
     三星堆遺跡博物館に到着したのは朝の10時だったが、すでに人でいっぱいだった。特に高校生の団体が多い。新しい博物館は巨大だが、人混みで展示品の写真を撮るのも順番待ち。
     ガイドが「これは初めて見るな。3か月前には展示されていなかった」というのが最初のページの青銅製立人像だ。この像は「異星人」とか「機動戦士ガンダム」に見えるが、祈祷師らしい。1986年に1号土坑から身長2メートルの立人像が発掘されているが、祈祷師だとされている。新しい立人像は、8号土坑から出土したものだ。この青銅立人像は輿を担ぐ神官だったのかもしれない。髪の毛が束ねてあるので、戦士であると考える考古学者もいる。
     3号土坑からは、通常に近い顔をした青銅人物像も発掘された。見事に踊りの動きをとらえている珍しい像だ。
     これまでの発掘で100個の人頭像が姿を現したが、古蜀の仮面王国の支配者階級だと想定されている。多くの人頭像とにらめっこを試みたが、付き合ってくれない。彼らは瞑想中なのだ。人頭像には女性や魔術師もいるようだ。大型青銅仮面も瞑想中に見えるが、幅が1.3メートルもある。

    (文=大地 舜)

    続きは本誌(電子版)で。

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    webムー編集部

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