ロックと悪魔/MUTube&特集紹介  2024年5月号

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    ロック・ミュージックと悪魔崇拝──。密接な関係にあるとされる両者だが、その根はどこで、どうつながっているのか? カトリックとプロテスタントの差異を探りついに明かされる世界精神文化の深層とは? 三上編集長がMUTubeで解説。

    悪魔出現とは無縁の古都のカトリック教会

     悪魔は実在するのだろうか? それともエンターテイメントの作品のなかだけに存在する、想像の産物にすぎないのだろうか?
     筆者自身、中学生のころ、ヘヴィ・メタルに惹かれたのはもともとお化けや妖怪が登場するおどろおどろしい話が好きだったから、というのがある。『ゲゲゲの鬼太郎』や『まんが日本昔ばなし』の怖い話に怯え、夜眠れないことがあっても、お化けや妖怪への関心は薄れることがなかった。
     ホラー映画の傑作『エクソシスト』はもちろんのこと、たまたまテレビ放映されていた『ファンタズム』を観て震えあがった。しばらくの間、部屋の電気を消してから眠りに落ちるまでが怖かった。そういう筆者がヘヴィ・メタルの悪魔表象に惹かれたのは必然だったのである。
     その後、大人になってキリスト教の悪魔のことをいろいろと調べはじめて気がついたことがある。『エクソシスト』のラスボスは悪魔であり、カトリックの司祭が悪魔祓いを行う物語であるのに対し、『ファンタズム』のラスボスのトールマンはキリスト教の悪魔とはいい難い。
     まず、トールマンが巣食うマウソレウム= 墓廟には十字架が掲げられていないので、キリスト教の宗教施設ではない。幼いころこの映画を観たときは、てっきり舞台は教会であると思っていた。これは子供のころ行った縁日のお化け屋敷の看板に、墓地と廃寺を背景に幽霊が描かれていたことが大きい。日本で墓地といえば肝試しの絶好の場所だし、墓地には寺という宗教施設があるのが定番だからである。日本人として、墓地に囲まれた宗教施設にこそ幽霊や化け物が出現するはず、という刷り込みがあったのだろう。
     ところが今になって確認してみると、マウソレウムは教会ではない。そもそも、カトリックの教会に悪魔や化け物が巣食うなどということは絶対にあり得ない。そこは絶対に悪魔が足を踏み入れることができない場所なのだ。
     20代も後半になってようやくフランスを訪れ、その後3年半ほど南フランスに住むようになったとき、機会を見つけてはいろいろな教会を見てまわった。信徒ではないが、音楽や演劇などの研究をするうえでミサという儀式に興味を持ったのと、何よりその壮麗な建築に心を奪われたのである。
     筆者が住んでいたエクサンプロヴァンスの街のサン・ソヴール大聖堂はローマの遺跡の上に建てられており、一番歴史の古い洗礼堂は5世紀にまで遡るといわれ、ゴチック様式の正面は16世紀の中世建築になる。パリのノートルダム、サン=トゥスタッシュやサン=ジェルヴェはもちろんのこと、マルセイユのノートルダム大聖堂、ブルターニュ北部トレギエのサン=ティヴや南仏アルビのサント=セシル大聖堂など、歴史のある立派な建築物がヨーロッパにはある。
     トレギエの教会にはサン=ティヴの髏が置いてあって、それだけ聞くとおどろおどろしい感じがしなくもないが、実際にカトリックの教会を訪れてみると、そこは悪魔だとか化け物とかオカルトとはほど遠いところなのだ。

    キリスト教徒には神も悪魔も実在する!

     その後、アメリカのシカゴを訪れたとき、ここの教会なら悪魔や怪物が出てもおかしくないと感じた。なんのことはない、ホラー映画の舞台がアメリカなので、アメリカの建築物を見てアメリカ映画を連想するのは当然だろう。
     アメリカは新しい国であり、古代にまで遡れる教会建築などあるはずもなく、古くてもせいぜい17世紀くらいまでなのは致し方ないが、そのような比較的新しい建物に悪魔が現れそうだと感じてしまったのだ。
     それでも当時の筆者にとって悪魔は、エンターテイメントに出てくる想像上の産物にすぎなかった。ところが、フランス文学で学位をとり、キリスト教のことを学ぶにつれ、はたして悪魔は実在しないといい切っていいものかと思うようになった。すなわち、キリスト教徒にとって神は決して架空の存在でなく霊界=天上に実在する以上、その神に創られた天使も、神の怒りに触れて悪魔に堕とされた堕天使サタンも実在するのである。信者にとって神も悪魔も、決してフィクション中の架空の存在ではない。
     対して、多くの人が無神論者を自認しているといわれている日本人はどうであろうか? 
     霊や悪魔は本当に実在しないのだろうか?
     正直にいえば、筆者は神がいるとは思っていない。もちろん神の不在は科学上の真理などと主張するつもりは毛頭なく、単に筆者がそう思っているだけである。神はいるともいないとも、証明できないからである。しかしそういう筆者であっても、霊界や悪魔などのオカルト世界とは無縁ではいられない。単なる石の塊であるお地蔵さんに向かって立ち小便はできないし、単なる木片である仏像も粗末には扱えない。ただの物質とわかっていてもそこになんらかの神性を感じてしまう以上、人は決して宗教から無縁ではいられない。
     だいたい現在の映画、アニメや漫画を見てみても、生まれ変わりや異世界転生ものの作品が溢れているではないか! このような創作はわれわれが自覚もなしに前提にしている宗教観を反映しているといっていい。
     われわれは無神論者であれ、科学の徒であれ、精神世界との関係で生きている。ここでは、ヘヴィ・メタルという悪魔表象を特徴としたロックを題材に、キリスト教徒にとっての精神世界、そして非キリスト教徒が多数を占める日本社会にとっての精神世界について考えてみようと思う。

    (文=黒木朋興)

    続きは本誌(電子版)で。

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    webムー編集部

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