いざアガルタへ… 天才画家・村山槐多にインスパイアされた地球空洞説映画「火だるま槐多よ」が12月23日から公開

文・絵=杉浦みな子

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    天才画家・村山槐多にインスパイアされたアヴァンギャルド映画は、地底世界の理想郷を目指す……

    天才画家の伝記、ではない

     大正時代に活躍し、1919年に22歳の若さで逝去した画家・村山槐多(むらやまかいた)をご存じだろうか? 詩人でもあり、小説も執筆するなど、広く芸術の才能に恵まれたまさに「天才」と呼ぶにふさわしい人物であった。

     この村山槐多をモチーフにした映画「火だるま槐多よ」が、12月23日(土)から新宿K’s cinemaで公開される(以降、全国で順次公開)。監督を務めたのは、日常にひそむ狂気とエロチシズムを独特の映像美で描くことに定評のある佐藤寿保。日本のピンク映画四天王の一人である。

     先に断っておくと、本作は村山槐多の伝記映画ではない。簡単に言うと、「ピンク映画の巨匠が村山槐多の絵にインスパイアされた結果、アヴァンギャルドみ高めに誕生したサイキック・ファンタジー映画」である。とりあえず、公式のストーリーを見てほしい。

    「村山槐多を知っていますか?」から物語は始まる。

    〜あらすじ〜
     大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。
     朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ予知能力、透視能力、念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で“普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。
     研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り……

    こういう場面もある。

     …以上が、映画公式のあらすじである。
     なかなかパンチの効いた説明で、「つまりどういう映画?」と戸惑うであろう。しかし実際に本編を見終わってみると、確かにこの通りの映画だったとしか言いようがない。

     ではなぜこの映画をwebムーでご紹介するかといえば、実はこの作品、正々堂々と地球空洞説を唱えているのである。しかし映画公式サイトにも、公式Xアカウントにも、その情報はほとんど見つけられない。かろうじて、チラシの裏や文化人の推奨コメントに「AGHARTA=アガルタ」という言葉がさりげなく出てきているが、それ以外は不思議なほど黙殺されているのだ。何か事情があるのか?

     このままでは、地球空洞説に一過言あるムー民がこの映画の存在に気づかず終わってしまうかもしれない。そんな危機感を覚え、今回取り上げるに至った。

    村山槐多とは?

     映画のムー的見どころを紹介する前に、まず村山槐多のプロフィールを簡単にご紹介しよう。

    〜村山槐多について〜
     1896年生まれの大正時代の画家。従兄に画家の山本鼎がおり、実母が作家・森鴎外の家で女中をしていたりなど、文化的・芸術的に恵まれた環境に育った。ちなみに「槐多」の名前は、森鴎外が付けたという逸話もある。
     槐多は10代から絵の才能で頭角を表し、山本鼎に勧められて画家を目指す。その作品は、ガランス(深紅色)を多用した独特の生命力に溢れた画風で、二科展、日本美術院展などに入選。詩作や小説執筆も行い、若くして異色作家として注目される。
     しかし、有り余る才能と情熱を持て余したのか、天才が背負う衝動性の宿命か、破天荒な放浪生活を送った末、流行性感冒(スペイン風邪)で1919年2月20日に死去。享年22。

     …というわけで、天才としてはスタンダードに破滅型の人生を送った人だった。とにかく情熱的に生き急ぎ、その熱をぶつけられた作品群は後年の芸術家に多大な影響を与えている。なんせ没後100年以上が経っても、令和のクリエイターの創作意欲を刺激して映画を作らせるくらいである。

    「アガルタ」と「地球空洞説」

     それでは映画本編について、ムー的見どころを中心にお伝えしよう。

     物語は、特殊な帯域の音を聴きとる能力のせいで自らを槐多と同一視している男・槌宮朔と、人体実験から逃げてきた4人の超能力者、そして主人公・法月薊が出会うところから始まる。物語序盤、彼らは槌宮朔の運転する車に乗り込み、東京を出る。この辺はロードムービー風の流れだ。全員、少々変わった人というだけで。

     メンバーの中で元から村山槐多を知っていたのは槌宮朔と法月薊だけだが、4人の超能力者たちもその作品に魅入られていき、最終的に全員が槐多の才能に憧れを抱くようになる。本作で「超能力者」が「天才」に憧れる図式になっているのは、この手の作品としては意外と珍しくて面白いポイント。

     そしてストーリーが20分ほど進んだとき、「この車はどこへ向かっているの?」と聞かれ、槌宮朔はハンドルを切りながら「アガルタ」と答えるのだ。そして傍らのカーナビ画面に、「AGHARTA」の文字が浮かぶ。

     70年代にムーブメントを起こしたアングラ文化を彷彿とさせるサブカル・アートの要素が散りばめられていたスクリーンに、いきなり「AGHARTA」の文字が現れる。ムー民的には、突然身内が出てきたようなもの。「え? あのアガルタが何か…?」と驚いてしまうこと請け合いだ。 

     ここで、登場人物たちによって地球空洞説とアガルタについて説明がなされる。手厚い補足で、一般の観客を置き去りにしない。せっかくなので、本記事でも簡単に紹介しておこう。

     まず地球空洞説とは、かつて天動説や地動説と並んで提唱されていたものだ。17世紀の天文学者、エドモント・ハレーが論文で発表した。ハレーは地球の内部は空洞であり、そこは居住可能な空間であると考えた。そこから派生して、地球の内部空間には理想都市があり、超人的な特異能力を持つ人々が暮らす高度な文明が存在するという概念が唱えられるようになる。その都市の名前がアガルタ(AGHARTA)だ。アガルタは昔から東洋のどこかの地底にあると伝えられ、ナチス・ドイツも調査を行ったという。一説によると、その入り口はチベット自治区の区都ラサにあるポタラ宮殿に存在するとも言われている(詳細はこちら https://web-mu.jp/history/9751/)。

     映画「火だるま槐多よ」では、このアガルタへの入り口が神州・日本にあったとはっきり言い切っており、実際にその入り口に立つところも描かれているのだ。ここで言っているアガルタとは、地球内部の亜空間のことではないか? とピンとくる人も多いのではないだろうか。

    地底に理想郷がある…というのか?

    電気ショック、薬物、音……で「覚醒」!?

     そしてもう1つ、本作で注目したいのが「音」だ。

     本作には2種類の人体実験が出てくる。1つは4人の超能力者たちが受けた「サイキック・ドライヴィング療法」で、電気ショック、LSD等の薬物大量投与、感覚遮断、睡眠療法などを組み合わせて被験者の行動を退化させ、その人間の「神経を変える録音メッセージ」を聴かせ続けるというものだ。

    サイキック・ドライヴィング療法中を受ける4人の超能力者たち。これにより、あえて“普通”の人間に近づけているという。その目的は一体…?

     もう1つは「サイバーウェーブ」と呼ばれ、槌宮朔の実父がしていたという、音響が人体に与える影響の研究実験。どうもこれの影響で、槌宮朔は槐多の声を受信するようになったらしい。

    槌宮朔は、自分と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれない帯域の音を加工して作り出し、それを流して歩いている。

     両者の実験に音が使われており、いずれの被験者も、人間の可聴帯域(20Hz~20kHz)より外の音が聴こえているという。

     音響心理学や聴覚心理学では、音が人間の知覚や精神、感情に与える影響が研究されており、槌宮朔の実父もこの分野の人と思われるが、実はオカルトの文脈でも音は無視できない存在だ。昔から言われるのは、人間の可聴帯域外である19Hzの低周波音が、霊的なものの目撃など超常現象体験を引き起こす可能性があるというもの。映画の中でも、槌宮朔の聴いている音が低周波っぽいような描写がされている。

     この辺り、MKウルトラ計画などを想起して、なかなか考察しがいのある要素が多い。ぜひ本編を見て色々発見してほしい。

    キーワードはガランス! 映画館に行く前に槐多の絵を見て

     さて、映画のムー的見どころはそんな感じなのだが、ここからは、映画を見るなら必ず知っておくべき情報をご紹介したい。画家・村山槐多について語るときに欠かせない要素「ガランス」についてだ。これを知らないと、映画の楽しさが半減してしまう。

     ガランス(Garance)とは、フランス語で植物の「茜」や「茜色」のことを指し、槐多は自分の作品にこの深い赤色を多用した。とにかく「槐多とくればガランス」なのである。

    映画タイトルロゴの色もガランス。

     生前、槐多は「世界は、赤だ。青でも黄でもない」という言葉を残している。天才には色の三元色がそう見えるらしい。まさに槐多が画家として生きた世界を表している一文だ。

     そして映画「火だるま槐多よ」の大きな見どころは、このガランスが動いていること。槐多が、景色や建物や人肌にまで塗ったガランスの赤が、「実写映像」ではどのように表現されるのか。さまざまなシーンで、映像的なガランスの美しさを堪能できる。

     この辺り、槐多の作品を知るのと知らないのとでは視聴感が雲泥の差であろうから、ぜひ映画鑑賞前に槐多の絵をいくつか見ておくことを勧めたい。

    特に、実写で人肌をガランスにするとこうなるのか、というのを目の当たりにできるのが良い。

     なお、映画のタイトル「火だるま槐多よ」は、高村光太郎の詩から付けられている。友人の槐多が死んだ数年後、高村光太郎は「村山槐多」というタイトルの詩を詠んで哀悼を表した。

    「いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。強くて悲しい火だるま槐多。」(高村光太郎「村山槐多」より一部抜粋)

     破滅的で情熱的だった槐多の生き様を表現するにあたり、ガランスとシンクロする「火だるま」という言葉を持ってきた高村光太郎もまた、紛れもない天才である。

    アガルタへの入り口を見に行こう

     本作の主人公・法月薊は、槐多の絵「尿する裸僧」を初めて見た時の衝撃を、「彼が19歳の時に描いたこの絵を見たとき、22歳で死んでしまったこの画家の、22年間の熱量を探りたいと思ったの」と語る。佐藤監督の槐多に対する思い入れがそのまま表れているようだ。

     村山槐多というモチーフを共有したことがきっかけで、6人の登場人物はつながり、アガルタの地へ近づいていく。その結末は、ぜひ映画館で見届けてほしい。かつての地球空洞説をひもとく亜空間の存在、そして低周波音が超常現象体験を引き起こす可能性を示唆する映画として見ると、本作はまた別の輝きを帯びてくる。青でも黄でもない「赤い世界」にあるアガルタへの入り口を見に行こう。

    書ききれなかったポイントを詰め込みました。絵=杉浦みな子

    公開情報

    「火だるま槐多よ」
    出演:遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 佐野史郎
    監督:佐藤寿保 脚本:夢野史郎 音楽:SATOL aka BeatLive、田所大輔
    配給:渋谷プロダクション
    2023/日本/カラー/5.1ch/1:1.85/102分
    ©2023 Stance Company / Shibuya Production

    12月23日(土)〜1月12日(金)新宿K’s cinema他全国順次公開

    <映画公式サイト>
    https://hidarumakaitayo.com/
    <映画公式X>
    https://twitter.com/hidarumakaitayo
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    杉浦みな子

    オーディオビジュアルや家電にまつわる情報サイトの編集・記者・ライター職を経て、現在はフリーランスで活動中。
    音楽&映画鑑賞と読書が好きで、自称:事件ルポ評論家、日課は麻雀…と、なかなか趣味が定まらないオタク系ミーハー。

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