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2020年7月に映画化されたH・P・ラヴクラフトの小説『宇宙(そら)の彼方の色』は、”フォーティアン”なーー超常現象に影響されていた!? 怪奇神話と奇現象の開祖ともいえる、ふたりの”創造主”が共鳴した背景を解説する。
「ある日のこと、真っ昼間に白い雲が現れ、空中で次々と爆発が起こり、森の奥深くにある谷から煙の柱が立ち昇った。そして、夜になるまでには、アーカムの人々は皆、空から落ちてきて、ネイハム・ガードナーの土地にある井戸の近くの地面にめりこんだ大きな岩の話を耳にしていたのである」──H・P・ラヴクラフト『宇宙(そら)の彼方の色』より(森瀬繚・訳)
生前、無名であったことは間違いのない事実だが、もはや20世紀アメリカ史に燦然と輝くホラー・フィクションの巨匠であるという評価が、本国においてもすっかり固まった感のあるH・P・ラヴクラフト。ここ20年ほどで、ペンギンクラシックスから注釈付きの作品集が刊行され、Library of AmericaやOxford World’s Classicsにその作品集が収録されたことは、英米におけるラヴクラフト評価の変化を如実に示している。
その彼が、生前に自ら最高傑作と太鼓判を押していた“The Colour out of Space”がこのほど、『カラー・アウト・オブ・スペース-遭遇-』のタイトルで映画化され、7月末日より日本国内での上映が始まった。
“The Colour out of Space”の執筆時期は1927年3月。発表媒体は、ラヴクラフトがしばしば自作品を投稿していた怪奇小説雑誌「ウィアード・テールズ」ではなく、「ヒューゴー賞」の由来となったSF草創期の名物編集者、ヒューゴー・ガーンズバックが編集する「アメージング・ストーリーズ」誌の1927年9月号である。
ホラー作家のイメージが先行するラヴクラフトだが、少年期にはジュール・ヴェルヌに熱中して天文学に興味を抱き、20代の頃には「オール=ストーリー・ウィークリィ」誌に掲載されたエドガー・ライス・バローズの火星シリーズなどの小説に(文句を言いつつも)熱中した、大の空想科学小説ファンだった。ヴェルヌやH・G・ウェルズ、エドガー・アラン・ポーらの古典的SF作品を頻繁に掲載し、E・E・“ドック”・スミスに代表される新鋭SF作家の活躍の場でもあった「アメージング・ストーリーズ」誌に自作品を採用されたことを、ラヴクラフトは小躍りせんばかりに喜んだようなのだが、残念ながら編集部が彼に提示した原稿料はほんの25ドル(これは「ウィアード・テールズ」のような遥かに部数の少ない雑誌の原稿料を下回る金額だった)で、怒り心頭のラヴクラフトは二度と同誌に原稿を送らなかった。
さて、ラヴクラフトの決して多くない作品群の中でも、とりわけSF色の濃厚な本作において、ラヴクラフトは「宇宙からやってきた生命体による侵略行為」というテーマに取り組んでいる。
このテーマ自体は、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』(1898年)によって敷衍した後ではさして珍しいものではなかった(ラヴクラフトは当然、この作品を読んでいた)が、ウェルズが「落下したのは隕石ではなく、円筒形の宇宙船だった」としたのに対し、隕石はあくまでも隕石であったとして、その異常性を丹念に描写した点にラヴクラフトのオリジナリティがあった。
彼が、自分が観た夢からしばしば作品の着想を得た(というよりも夢の内容をほとんどそのまま小説に書き起こしたものが多かった)ことはよく知られているが、彼のメモ書きや大量の書簡を精査する限りにおいて、「宇宙(そら)の彼方の色」の場合には、そうした夢からの影響は特になかったようである。
では、地球外ーー下手をすると、この宇宙の外側からやってきた生命体が、隕石に便乗して飛来するという着想を、彼はどこから得たのだろうか。
そのヒントとなる情報が、彼の文通相手であった詩人エリザベス・トルドリッジに宛てた1930年4月1日付の書簡中に見いだされる。
「地球外の生命(エイリアン・ライフ)が宇宙を漂流してやって来るという来るという発想ほどに、私を魅了したアイディアはありません。それに、『呪われし者の書』や『新たなる地』といった、チャールズ・フォートのエキセントリックな本で、そうした実に胡乱な現象のことを楽しく読んだこともあります。いわゆる〈有機体〉が隕石に乗って飛行するなどという苛酷な手段で天体から天体へと移動するようなことは、実際にはありえないことでしょうが、何とも不可解なニュースが流れることはあるようですね」(森瀬繚・訳)
このような文章に続いて、彼は実際にそうしたアイディアを自分が使った作品の例として、「宇宙の彼方の色」を挙げているのだった。これ以前にも、ラヴクラフトは既に「クトゥルーの呼び声」(1926年8月に執筆)において、宇宙の暗黒の星々から飛来した一群の地球外生物の侵略を描いていたことを考慮すると、わざわざ「宇宙の彼方の色」のタイトルだけを示しているのは実に暗示的だ。何しろ、「宇宙の彼方の色」の執筆に取りかかる直前、ラヴクラフトはチャールズ・フォートの著作に大きな興味を示していたのである。
「ムー」の読者諸兄諸姉には当然ながら周知のことと思うが、チャールズ・ホイ・フォートは20世紀の前期ーーつまり、ラヴクラフトと同時期に活躍したアメリカの作家・奇現象研究家である。作家としては、ラヴクラフトと同じく生前についに芽が出なかったフォートだが、1919年に刊行した『呪われし者の書』がヒットしたことで奇現象研究の大家と見なされるようになり、「フォーティアン現象」という言葉が広まるまでになった。
このあたり、「クトゥルー神話」を創造したラヴクラフトと、フィクションとノンフィクションの違いこそあるが多少似通ったところがあり、実際、ラヴクラフトの後続作家たちの作品において、両者は「人類への警告者・預言者」のポジションで並び称されることが少なくない。
そして、フォートの『呪われし者の書』には、隕石にまつわる現象がいくつか紹介されているのである。
ラヴクラフトが実際にこの本を読んだのは1927年の3月末。ミネソタ州在住の怪奇小説家ドナルド・ウォンドレイ(後にオーガスト・W・ダーレスと共に出版社アーカム・ハウスを立ち上げた人物)から借り受けたのだった。
彼は、ウォンドレイ宛ての1927年1月29日付の手紙に、こんなことを書いている。
「ところでーーきみは、あらゆる驚くべきものが大気中ないしは目に見える宇宙の外側に存在するのだが、科学者たちが結託して真実を隠し、大衆を無知なままにしておく陰謀を巡らせているのだと説く、チャールズ・フォートの奇矯なホラ話を何かしら読んだことがありますか? 私は何年も前から彼の著作ーー『呪われし者の書』や『新たなる地』ーーについてあれこれ聞かされてはいるのですけれど、実際に読んだことがないのですよ。ちょうど最近、読み始めたばかりのロング(訳注:怪奇小説家のフランク・ベルナップ・ロングのこと)が、驚くほど奇妙で想像力をかきたてられる作品なのだと教えてくれるのですけれどね」(森瀬繚・訳)
オカルト書籍の収集家であったウォンドレイが、ラヴクラフトのために『呪われし者の書』を発送したのは、書簡によれば3月21日。ミネソタ州からロードアイランド州まで小包を送った場合、1920年代当時にどの程度の時間がかかったのか、正確な日数は微妙にわからないが、3月27日付のウォンドレイへの手紙で内容について言及しているので、3、4日ほどで届いたのだろう。
ちなみに、ラヴクラフトが詩人・芸術家のクラーク・アシュトン・スミスに宛てた3月24日付の手紙において、彼は「宇宙の彼方の色」を書き上げたばかりだと報告している。ともあれ、フォートの本が手元に来たのは、初稿の完成とほぼ同時であったはず。
しかし、ラヴクラフトと直接面識があり、付き合いの深かったロングから、フォートの本について詳しい話を聞いていたという証言。さらには、「宇宙の彼方の色」を執筆するタイミングで、フォートの本を自分も読んでみたいと考えていたこと。これは、動かしがたい事実なのだ。
では、『呪われし者の書』に紹介されている隕石にまつわる逸話というのは、どのような内容だったのかーー以下が、そのダイジェストである。
隕石現象のカタログ作成者の中で最も注目すべき人物の一人であるR・P・グレッグは、1652年、1686年、1718年、1796年、1811年、1819年、1844年に粘性物質が落下したと記録している。グレッグは『英国協会報告』1860-63のバーズドルフとフライブルクの間で地上近くを通過するように見えた流星について記録している。翌日、雪の中でゼリー状の塊が発見された。
1835年9月6日 ドイツのゴータに隕石が落下した件について「ゼリー状の塊が地面に残った」と記録している。この物質は、観測者からわずか3フィートの距離に落下したと言われる。『英国協会報 Report of the British Association』1855-94中のグレッグからバーデン=パウエル教授への手紙によれば、1844年10月8日の夜間、グレッグの知己であるドイツ人ともう1人が自分たちの近くに光る物体が落下したのを目撃した。翌朝彼らが戻ってくると、灰色がかったゼラチン質の塊を発見した。
『哲学協会報 Annals of Philosophy』12-94によれば、1652年5月にシエナとローマの間で光る隕石と一緒に粘着質の塊が落下した。1796年3月にルーサティア(現ポーランドのラウジッツ)に火球が落下した後に粘着質の物質が発見された。1811年7月にはハイデルベルク近郊で隕石が爆発した後、ゼラチン状の物質が落下した。
『エディンバラ哲学雑誌 Edinburgh Philosophical Journal』1-234では、ルーサティアに落下した物質は「乾燥した茶色いニスの色と臭いがする」ものであったという。さらに、『アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス Amer. Jour. Sci.』1-26-133では、1718年にインドのレティ島に火の玉と一緒にゼラチン状の物質が落ちたと述べられている。
『アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス Amer. Jour. Sci.』1-26-396によれば、1833年11月に起きた隕石の目撃例の多くに、ゼラチン状の物質が落ちてきたという報告も含まれている。新聞報道によれば、ニュージャージー州ラーウェイの地面で見つかったのは「ゼリーの塊」だったという。その物質は白みがかっており、卵の白身が凝固したものに似ていたという。
バージニア州ネルソン・カウンティのH.H.ガーランド氏によれば、見つかったのは25セント硬貨ほどの大きさのゼリーのような物質だった。
A・C・トゥイニングからオルムステッド教授への知らせによれば、ニューヨーク州ウェストポイントの女性がティーカップほどの大きさの塊を見たという。それは茹でたデンプンのようだったという。
ニュージャージー州ニューアークの新聞によれば、やわらかい石鹸のようなゼラチン質の塊が発見された。「ほとんど弾力性がなく、熱を加えると水のように簡単に蒸発してしまった」とのコメントがある。
ハーン博士は隕石の中から化石を発見したと言っている。『ポピュラー・サイエンス Popular Science』20-83には、彼が撮影したサンゴ、海綿、貝殻、ウミユリについての描写があり、それらはすべて顕微鏡で撮影されたものだ。
しかし、ハーン博士は特定の隕石の中に化石を発見したのは間違いないと述べ、その写真も公開している。彼の本はニューヨーク公共図書館にある。写しにはいくつかの小さな貝殻のすべての特徴が明らかに示されている。もしそれが貝殻でなければ、それはカキの売り台の下にあるものでもない。細い筋のような縞ははっきり見えるし、二枚貝が接合している蝶番のようなものまで見ることができる。
1884年5月27日、ノルウェーのティスナスに隕石が落下した。落下地点とされる場所では芝が引き裂かれていた。2日後にそのすぐ近くで「非常に奇妙な石」が発見された。その描写は「その形も大きさも、大きなスティルトンチーズの4番目の部分のようだった」。
1899年5月1日頃、新聞はインディアナ州ヴィンセンヌで「雪のように白い」隕石が降ってきたという記事を掲載した。『月刊天気予報 Monthly Weather Review』(1899年4月号)の編集者は、ヴィンセンヌの地元の観測者に調査を依頼した。編集者によれば、それは石英の破片に過ぎないという。彼は、少なくとも学校教育を受けた人であれば石英が空から落ちてきたと書かない方がいいと言っている。
ライデンの古代博物館には、石英の円盤が所蔵されている。大きさは6cm×5mm×5cm。隕石が爆発した後、オランダ領東インドのプランテーションに落ちてきたものだと言われている。
『カナダ研究所会報 Canadian Institute Proceedings』2-7-198によれば、ダームサラの副長官による特筆すべきダームサラ隕石の報告がある――氷に覆われていたというのだ。しかし、彼によれば関連する出来事の組み合わせはさらに常軌を逸したものだ。この隕石が落下してから数ヶ月以内に、ベナレスでは生きた魚が降り、フルカバードで赤い物質が雨のように降り注ぎ、太陽の表面に黒点が観測され、地震が起き、「いくばくかの長さをもった不自然な暗闇」があり、空にはオーロラのような光が観測された。
以上が、『呪われし者の書』に紹介されている──すなわち、ラヴクラフトも知ることになった、隕石にまつわる奇現象だ。
『新たなる地』の方にもそうした事例が載ってはいるのだが、前著とは微妙に傾向が違い、隕石と地震の関係に触れたものが半分以上を占めている。ラヴクラフトは『新たなる地』をそれほど気に入らなかったらしく、「『呪われし者の書』ほどに興味深くは思えませんでした」(クラーク・アシュトン・スミス宛1927年10月1日付書簡)と評しているくらいなので、本稿では割愛する。
さて、いかがだろうか。
隕石が落ちた後にゼリー状の物質が見つかったという最初の3つの事例ーーとりわけ「熱を加えると水のように簡単に蒸発してしまった」という3つ目の事件については、いやがうえにも「宇宙の彼方の色」における隕石の調査シーンを彷彿とさせる内容だ。
こうした逸話について、ラヴクラフトがロングから話を聞いていた可能性は決して低くないように思われる。初稿を書き上げたばかりのラヴクラフトが、『呪われし者の書』の中に自身の作品と酷似する記述を見つけ、原稿にさらに手に入れた可能性もある。
なお、筆者としては『ポピュラー・サイエンス』が出典とされる、地球上の海産物に似た化石を含んでいたという隕石についての報告にも、大変に興味を惹かれる。何となれば、ラヴクラフトが1931年の春先に執筆した中篇「狂気の山脈にて」には、宇宙から到来した地球の先住種族の化石(?)が発見されるくだりがあるのだが、この種族は海百合に似た腕部を備えていると描写されているのだーー。
ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは、その18世紀英国風の文体への傾倒や、多少なりともアカデミック臭を漂わせている衒学趣味から抱かれがちな「おカタい」イメージとは異なり、W・スコット=エリオットの『アトランティスと失われたレムリア』(1925年)、ジェームズ・チャーチワード『失われたムー大陸』の再刊本(1931年)など、当時話題になったオカルト書籍の内容を節操なく作中に取り込むことで知られる、実に『ムー』的な作家でもあった。
今回のように、チャールズ・フォートの著作と比較してみることで、彼の作品の新たな側面が見えてくることもあるのだろう。ここから先は、読者諸兄諸姉に丸投……お任せしたいところである。
聖イグナチオ・デ・ロヨラの祝日に 森瀬 繚
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