死後生存の証拠か、それとも脳内現象か? 「臨死体験」の謎/羽仁礼・ムーペディア

文=羽仁礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、死の淵から生還した人々が、昏睡状態の中で経験したと語る一連のヴィジョンや感覚について取りあげる。

    科学者や医師が挑む臨死体験の謎

     重篤な病や重大事故で完全に意識を失ったり、ときには医学的に死亡と診断された状態から息を吹き返した者たちの中に、昏睡状態の中で展開した出来事を物語る者がいる。
     このように、臨死状態に陥った人間がその間に経験したという事象は「臨死体験」と呼ばれる。アメリカの医師マイケル・セイボムによれば、臨死状態となってから蘇生した患者78人のうち、43パーセントにあたる34名がこの種の経験をしたという。

     いったん死亡した者がその後息を吹き返し、死んでいた間の経験を物語るという例は、日本では平安時代の『今昔物語集』や『日本霊異記』にも収録されているし、古代ギリシアのプラトンも、『国家』において、パンピュリア族の血筋を受けるアルメニオスの子エルが、戦争で死んでから12日目に息を吹き返し、その間あの世とこの世の境を経巡ったことを記している。さらに、柳田國男の『遠野物語』でも似たような話が語られ、松谷みよ子の『現代民話考Ⅴ』には多くの事例が収録されている。
     俳優の加山雄三や石原裕次郎など多くの著名人も、事故や病気で意識を失った際、似たような経験をしたと述べているから、民間伝承、あるいは単なる不思議なエピソードとしては、洋の東西を問わず昔から伝えられてきたことなのだろう。

     その臨死体験が科学者の関心を集め、真剣な研究の対象となったのは、1970年代になって、いずれもアメリカの医師であるエリザベス・キューブラー=ロスとレイモンド・ムーディがそれぞれの患者から聞き取りを行い、多くの証言を集めたことがきっかけであった。
     その後カーリス・オシスやマイケル・セイボム、ケネス・リング、カール・ベッカーなど、医師も含めた大勢の者が臨死体験を研究するようになり、1981年には国際臨死体験研究会(IANDS)も設立されて今日に至る。

    ↑臨死体験研究をまとめたムーディの著書『Life After Life』。ロスが序文を寄せており、全世界で1400万部を売り上げたという。

    死に瀕した人々が物語る“死んでいた間”の体験

     研究が進んで事例が集まるに連れ、体験者が語る内容に、宗教や民族、学歴、年齢や性別、さらには臨死状態に陥った原因にかかわらず、ある程度共通する内容が含まれることが明らかとなった。

     こうした共通する内容は「コア体験」と呼ばれる。コア体験の中身は、研究者によって多少ばらつきがあるが、ムーディは心の安らぎと静けさ、異様な騒音と暗いトンネル、体外離脱体験や光の存在との出会いなど、11の要素を挙げている。

     ムーディによれば、典型的な臨死体験は以下のようなプロセスをたどる。

     体験者はまず、医者が彼、あるいは彼女自身の死を宣告しているのを聞く。続いて耳ざわりな音が聞こえてくる。人によってはぶんぶんうなるような音や物がぶつかった音、風の音などと表現することもある。
     それとほぼ同時に、長いトンネルの中をものすごい速さで動いているのを感じる。これも場合によっては夜道をひとりで歩いていたり、暗い場所にひとりでいるという経験に変わる。それから突然、自分が肉体から抜けだしているのがわかる。
     この体外離脱の状態において、体験者は自分の肉体に施される蘇生措置をつぶさに見ていることがある。泣き伏している親族に、自分はここにいると訴えるのだが、だれも気づいてはくれない。
     ときにはこの状態で、遠く離れた自宅を訪れて母親の様子を見てきたり、上方の視点からしか見えないはずの事物を認識したりする例もある。
     当初混乱していた気持ちは次第に落ち着いてきて、死んだ親戚や友人など、だれかがやってきて彼を助けてくれる。
     それから非常に明るい光と出会う。体験者はこの光を「生きている」と認識し、直接思考のやりとりを行う。多くの場合この光は、死の準備ができているか、人生において何か満足することをしたか問いかけ、体験者はこの時点で自分の生涯をパノラマのように見る。
     そのうちに、水域、灰色の霧、ドア、柵、線、門など、現世と来世を画する象徴的なシンボルが現れる。このときには、体験者は死後の世界を受け入れて、激しい喜びや愛の感情に圧倒されているが、それでも最後は自分の肉体と結合してこの世に蘇生する。

     生還後、体験者は自分の体験を他人に説明しようとするが、完全に説明することはできないもどかしさを感じる。しかし、臨死体験は本人に大きな影響を残す。体験後は性格が穏やかになったり、死を受け入れるようになる、宗教心が高まる、ときには何らかの超能力を得るなどの変化が報告されている。
     一方、このようなコア体験のすべてを体験することはむしろ稀であり、臨死体験にはこうした共通の要素以外に、明らかに民族的・宗教的な差異が現れる部分もある。

     たとえば、ムーディがコア体験のひとつとする不思議な光は、アメリカに比べると日本では出現する頻度が著しく低い。また日本では、花の咲いた野原、花畑や蓮池など、とにかく花が咲き誇っている場所や、川のほとり、川原や橋、舟など、川に関連するイメージがしばしば登場する。
     さらにインドの場合には、地獄の支配者であるヤマラージャやその手下のヤムドゥートに出会う例が多い。
     ときには、意識がはっきりした状態で、死んだ肉親の姿を見るなど、コア体験の一部を経験することもある。

    ↑臨死状態における「コア体験」は民族や宗教による差異があるという。日本人では花畑や三途の川を思わせるようなイメージが多く現れるようだ。

    臨死体験で見る世界は脳の作用による幻覚か?

     ではなぜ、死に直面した人間はこのような体験をするのだろう。そもそも、臨死体験者が語る内容は現実に起きたことなのだろうか。
     蘇生して臨死体験を語る者たちは、真に死の世界を訪れたわけではなく、瀕死の状態ではあるが生きていた、つまり何らかの生理的活動が残っていたともいえる。こうした点をめぐって、臨死体験の解釈は大きく分かれている。

     人間の意識は肉体の一部である脳が生みだしているという立場に立てば、肉体の死後、何らかの人格が存続することはあり得ない。そこで臨死体験なるものも、瀕死の状態に陥った脳が、何らかの作用によって生みだす夢や過去の記憶の歪められた再現、あるいは幻覚という解釈になる。
     そのようなイメージを生みだす要因として指摘されているのが、エンドルフィンその他の脳内物質の作用や酸素欠乏症、停止していた脳が再起動する際の虚偽記憶といったものである。
     さらには、死の苦痛を和らげるために遺伝的にこのようなイメージが脳にプログラムされているとする意見もあるし、暗いトンネルのような場所を移動する体験、いわゆるトンネル体験については、出生時に産道を通って生まれてきた記憶の再現という説もある。

     だが、これらの説のいずれをもってしても、臨死体験の内容すべてを説明することはできないようだ。
     エンドルフィンは「幸福ホルモン」とも呼ばれ、大量に分泌されると幸福感をもたらすことから、臨死体験者がこの上なく幸せな気分を感じることの説明にはなるが、他の体験は説明できない。
     同様に、出生時の記憶という説についても、説明できるのはトンネル体験だけである。また脳内物質や酸素欠乏状態における幻覚は通常不快な内容であるのに対し、臨死体験ではほとんどの者が幸福感を感じ、意識も覚醒時以上に明瞭に保たれていることが多い。
     脳の再起動説に対しては、臨死体験には個のレベルを越えた共通性が見られるという反論が可能であり、遺伝的なプログラム説では、体験中本人が知らないはずの事項を認知する事例の説明ができない。
     確かに大脳側頭葉のシルヴィウス溝(外側溝)を刺激すると、臨死体験に似た感覚を覚えるといわれるが、アメリカの脳神経外科医エベン・アレグザンダーなどは大脳皮質がまったく機能していない状態で臨死体験をしている。

    ↑脳の側面図。臨死体験は脳が生みだすイメージという解釈がある一方で、脳の作用だけでは説明できないことも多い。

    臨死体験は死に際にのみ知覚できる世界だった?

     こうして見てくると、臨死体験は肉体を抜けだした何かが現実に見聞した事実であるとも考えられる。
     肉体の死後も魂は存在し、死後の世界に迎えいれられるという心霊主義の考えに立てば、臨死体験は死後生存や死後の世界の存在を支持する証拠となる。
     つまり臨死体験は、魂が一時的に肉体を離れ、その間死後の世界を訪れてその様子を見てくる現象ということになる。
     臨死体験において頻繁に報告される体外離脱体験も、この立場からは魂が一時的に肉体を抜けだす現象ということになるが、体外離脱に限っていうと、最近では人工的に対外離脱と同じ感覚を生みだす実験もいくつか行われており、必ずしも霊魂実在の証拠とはならないようだ。

     こうした従来の考え方に対し、アメリカの心理学者ケネス・リングなどは臨死体験の説明として、物理学者のデヴィッド・ボームが唱えた「ホログラフィック宇宙論」を持ちだしている。
     論者によって詳細は異なるが、ホログラフィック宇宙論とは、たとえば立体映像(ホログラム)が二次元の印刷物に記録されていながら、レーザー光線を照射すると立体映像が浮きだすのと同様、この宇宙全体にも通常の方法では読み取れないさまざまな情報が重層的に盛り込まれ、隠されているとする考え方である。
     そこでは周波数のみが実態として存在し、すべての事象が互いを包み込む形で不可分の全体として存在する。そうした情報は通常の人間の知覚では認識できないが、死に瀕した特殊な状態になると、通常とは異なる周波数帯の情報にアクセスできるというのだ。
     そうなると過去も未来も距離も無関係で、この世に存在するすべての情報に直接接することができる。

    ↑ホログラフィック宇宙論によれば、われわれの住む地球はもちろん、宇宙全体がホログラムのように情報が投影された幻影にすぎないという。

     考えてみれば、われわれの認識する外界の情報は、脳で処理された、一種の加工情報である。そして脳は一定の限られた範囲の情報しか処理できず、処理できない情報は認識されることもない。古代ギリシア哲学のたとえを借りるなら、肉体という牢獄に捕らわれた魂は、牢獄の狭い隙間からしか外界を認識できないのだ。
     しかし、仮に一時的ではあっても牢から出されることがあれば、外にある広大な世界の存在に気づく。このような状態での体験が臨死体験なのではないだろうか。

     だとすると臨死体験とは、人間という存在や宇宙の本質にもかかわってくる、いまだ解明されていない現象ということになるだろう。

    ↑死の間際に、通常では認識できない周波数帯にアクセスすることで知覚できる世界。臨死体験とはその世界を垣間見た状態なのだろうか?

    ●参考資料=『現代民話考Ⅴ あの世へ行った話・死の話・生まれかわり』(松谷みよ子著/立風書房)、『臨死体験(上・下)』(立花 隆著/文藝春秋)、『いまわのきわに見る死の世界』(ケネス・リング著/講談社)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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