ロニー・ザモラの「ソコロ事件」 疑惑と物証の顚末/並木伸一郎

文=並木伸一郎

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    1964年、アメリカ、ニューメキシコ州で起きた現職警官による第3種接近遭遇事件、ソコロ事件には「その後」があった!

    現職警官が目撃した謎の卵形物体

     古代から今日に至るまで、数多のUFO事件が報告されてきた。真実味がある事例もあれば、既知の飛行物体の誤認などさまざまだ。

     1964年の4月、アメリカはニューメキシコ州ソコロで起きた現職警官によるUFO遭遇、通称「ソコロ事件」は、信憑性の高い「第3種接近遭遇事件」としてUFO事件史に記録されている。なぜなら、多くの物証の存在と目撃証言の信頼性が高いからだ。

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    ザモラ巡査が遭遇した卵形UFOのイメージ。

     ところが2012年9月23日、アメリカのUFO研究家アンソニー・ブラガリアという人物が、自身のブログで一連の出来事は、当時、「ニューメキシコ工科大学(NMIT)に通っていた学生のいたずらだった」と書かれた手紙の存在を明らかにし、事件はフェイクだと発信したのである。彼の主張がきっかけで、事件に疑惑の目が向けられることになってしまったのだ。

     はたして、本当にソコロ事件は捏造されたものだったのだろうか? まずは、事件の概要を見ていこう。

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    ザモラによる、機体に描かれた謎のマークの再現スケッチ。
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    卵形UFOの着陸状況の全景を描いたスケッチ。

     1964年4月24日の午後5時45分ごろ、ソコロの町を北から南へ猛スピードで走る車があった。郡庁舎のわきを車が通過したとき、ソコロ警察署のロニー・ザモラ巡査が暴走車を発見。明らかに制限速度を超えていたため、ただちにパトカーで追跡を始めた。
     追跡すること数分。町はずれに出たところで、ふいに耳をつんざくような爆音が響いてきた。音が聞こえた方角にはダイナマイトの貯蔵庫があったため、さらなる事件の発生を危惧したザモラは、すぐに現場へ向かった。すると、貯蔵庫の方角の空に青とオレンジが混じり合う炎が見えた。
     車が進入できる地点までスタックしながら未舗装の険しい坂道を走らせ、降車して急いで見晴らしのいい丘の上から炎の方向に目を向けた。すると、アルミニウムのように輝く卵形の物体があったのである。
     物体の距離までおよそ160メートル。窓やドアのようなものは確認できないが、物体は横転した車のようにも見える。側面には見たことのない赤いマークもあった。さらに、物体のすぐ側にふたつの小柄な人影が確認できた。ふたりとも白いつなぎのような服を着ているようだった。
     様子を見ていると、そのうちのひとりがザモラに気づき、驚いたような仕草をした。「事故か?」と思ったザモラは物体の側面が見える位置まで車を移動させ、保安官事務所に無線で連絡した。その後、車を降りて荒地を進んでいると、ふいにドアを開閉するような音が2〜3度聞こえ、再び轟音が鳴り響いた。
     すると物体の下部から青とオレンジが混じり合った炎が噴出しはじめたのである。しかし、不思議なことに噴煙のようなものは確認できなかった。
     ザモラはとっさに地面に伏せ、腕で頭を覆った。キンキンと鋭い音が聞こえたが、やがて音は治まった。おそるおそる目をあけると、卵形の物体は浮遊していた。ザモラは慌てて車に飛び乗り、無線で目の前の信じられない光景を警察署のオペレーターに無我夢中で伝えた。そのさなか、怪物体は夕闇に消えていってしまったのである。

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    事件を報じる地元紙(1964年4月28日付)。
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    UFOを目撃したロニー・ザモラ。

    事件現場に残された数多の物的証拠

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     物体が飛び去った後、ザモラの応援要請によって、上司であるチャベス巡査部長を始め、同僚の警察官が召集され、現場検証が行われた。このとき、チャベスは顔面蒼白で現場を見つめるザモラを見て、ただならぬ出来事があったことを察したという。だが、目撃者として現場検証に参加するようザモラを促すことも忘れなかった。
     その後、地面には物体が残した圧迫痕のような“くぼみ”があった。くぼみを見たザモラは、物体が4本の脚のようなもので支えられていたことを思いだす。着陸痕のほかに、周囲の低木が焼け焦げた痕跡も発見された。実際、現場に“何か”が存在していたのは間違いない。
     チャベスは、FBIに報告すると、ただちに調査団が結成され、空軍の公式UFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」も介入することになった。

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    プロジェクト・ブルーブックがガイガーカウンターを用いて調査する様子。

     その後の調査で、ザモラとUFOが遭遇した時間と同時刻に怪光を見た、という報告がソコロ警察署に3件も寄せられていたことが判明。さらに2日後の午前3時ごろ、ソコロから300キロ北のラマデラに住むギャレゴス一家が、卵形の怪物体を砂地近くで目撃していた。付近からは着陸痕と思しき4つのくぼみ、焼け跡、不自然に割れた岩、溶けた瓶が発見された。

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    現場で発見されたくぼみの一部。

     さらに、ブルーブックの調査によって、ギャレゴス一家がUFOを目撃した時間に、付近のガソリンスタンドから低空を飛ぶ卵形の飛行物体が目撃されていた事実も明らかになったのである。

     事件の信憑性を高めたのは、これらの証言や痕跡だけではない。物的証拠がある。実は、物体の着陸地点から微量の金属が発見されているのだ。
     この金属は、NASAによって分析されている。分析を担当したNASAの宇宙船システム部の部長ヘンリー・フランケルは、亜鉛と鉄の成分を有する自然界にはない物質であり、地球上の物体ではない可能性があるという結果を報告した。
     しかし、彼の分析結果はあろうことかNASA当局によって「二酸化ケイ素の誤認」と否認されるのだが、ブルーブック科学顧問のアレン・ハイネック博士は亜鉛と鉄を二酸化ケイ素と誤認することはありえないとし、フランケルが最初に提示した結果こそがまぎれもない真実だと結論している。

     また、土壌の分析結果では、ジェットエンジンなどから噴出される化学推進燃料はいっさい検出されなかった。一部で、ザモラが見た物体は、アポロ計画の月面着陸機のテスト運用の誤認だとする意見もあったが、同時間帯のソコロ上空では航空機の類いが飛行していた記録はなく、誤認説は否定されている。そもそも、当時の航空技術では高速飛行や垂直離陸が可能な航空機は存在していない。

     数多の目撃証言、現地調査の結果を収集したプロジェクト・ブルーブックは、最終的にソコロ事件を“判別不能”と結論づけた。
     しかし、ソコロ事件をきっかけに、もともとUFOの存在に懐疑的だったハイネック博士が肯定派へ転じたという事実が、事件の信憑性の高さを物語っているといえるだろう。
     はたしてソコロ事件は、目撃者に状況分析や証言に信頼をおける現職警官が含まれること、さらに着陸痕などの物証が獲得されたことによって、離着陸、搭乗者が確認された信頼性の高い事例として人々に記憶されることとなったのである。

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    事件現場の全景。見晴らしがよく人が隠れたりすることは困難だろう。

    反証が明らかにする事件の正当性

     さて、前述したUFO研究家のアンソニー・ブラガリアは、一枚の“手紙”から事件を断罪した。そもそもこの手紙は、ソコロ事件に関心を持ったノーベル化学賞受賞者のライナス・ポーリングが、友人のNMITの学長であるスターリング・コルゲートに詳細を尋ねた際に返信されたもので、次のような内容が記されている。
    「事件は、目立ちたがり屋の学生数名が花火を用いて警官を誘導し、“内部にロウソクを立てた気球”をUFOに見立ててからかっただけだ。でっちあげだという判断材料もある」

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    スターリング・コルゲート学長が友人でノーベル賞受賞者ライナス・ポーリング博士に送ったという手紙。

     しかし、手紙をもとに気球説を主張したブラガリアに反論した人物がいる。ソコロ事件のリサーチャーであるトニー・アンギオラである。彼は調査団を結成し、2016年から複数回にわたり、現場で事件の正当性を再検証しているのだ。アンギオラの検証結果を見ていこう。

     まず、ザモラがUFOを目撃した丘だが、現代の車でも丘への進入は困難であり、UFOの着陸地点も当時から未舗装のままで車では進入できないということが確認できたという。また、周囲は見晴らしがよく、人の目を欺いて気球を係留させるための器具の配置や、ふたりの人間が姿を隠すことも不可能であるということも確認された。

     しかも、事件当時、気球説はブルーブックの調査によって、すでに否定されている。当日は最大64メートルの強風が吹き荒れており、強靭な器具で係留させなければ、小型の気球であっても留めることは不可能であることが確認されているのだ。

     さらにアンギオラは、コルゲートに犯人扱いされた学生の取材にも成功している。当時、学生だった人物は、犯人扱いされる理由もわからないと、関与を“全面否定”し、ブラガリアから電話取材を受けた事実も話してくれたという。なんでも、ブラガリアは誘導尋問のように話を進めたあげく、勝手に「いたずらを仕掛けたことを否定しなかった」と、根も葉もないことをブログに書き立てたのだという。

     ここで注目したいのが、ブラガリアが裏づけを取ったのは電話取材のみという点だ。つまり、実際に気球説の根源であるコルゲートをはじめ、関係者と直接会って話を聞いていないのだ。さらに調べたところ、コルゲートが記した“判断材料”の詳細は不明のままで、そもそもブラガリアはソコロを訪れたことすらなかった。ブラガリアは、決定的な証拠もなく、事件を否定していたのである。

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    現在、くぼみのあった場所は石で囲まれている。

    ソコロ一帯はUFOの出現多発地帯だった

     実証検分が行われていないブラガリアの主張に、耳を傾ける必要はない。だが、彼への反証のために行われたアンギオラの調査によって、ソコロ事件の信憑性の高さが再確認された意味では、ブラガリアに感謝すべきかもしれない。

     実は、ブルーブックの調査結果や当時の新聞報道を照らし合わせたところ、ソコロ事件の7年前、同州ホワイトサンズのトリニティ・サイトをパトロール中の憲兵隊が、砂漠の上空を猛スピードで飛行する卵形の物体を目撃していたことが判明した。
     さらに事件後にも、アルバカーキ、ラスクルーセス、アラモゴードのホロマン空軍基地、隣接するテキサス州でも、卵形あるいはフットボール形の飛行物体が、複数回にわたって警察や軍関係者によって目撃されている。1978年7月には、ホワイトサンズで同型の物体が撮影され、同時に無気味な音が録音されていたという記録も発見した。

     これらが物語ることは、同じタイプの飛行物体が同じ地域で繰り返し目撃されてきたという事実である。今回、アンギオラら有志たちの調査によって“発掘”された事実は、ソコロ事件の解明の糸口になるだろう。発生から50年以上が経過しているが、事件の真相が明らかになることを期待しようではないか。

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    2016年から複数回、現場を再検証したトニー・アンギオラ(左)。

    並木伸一郎

    「ムー」創刊当初から寄稿するベテランライター。UFO研究団体ICER日本代表、日本宇宙現象研究会(JSPS)会長などを兼任。ロズウェルやエリア51をはじめ現地調査を重ねて考察し、独自の仮説を「ムー」や自身のYouTubeなどで発表している。

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