1978年のクウェートに空飛ぶ円盤が飛来していた!アラブ初のUFO事件が警告した中東の社会変動
アラブ初のUFO事件とされる出来事は、1978年のクウェートに飛来した空飛ぶ円盤だった。その超常現象はイスラーム世界でいかに受け止められたのか?
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世界中から寄せられるUFOの目撃や接近遭遇の報告。中には、単に航空機や隕石などを見間違えたものや、捏造された証言・証拠がある一方で、非常に信憑性のある報告も存在する。航空関係者からの報告だ。 彼ら、軍や航空会社のパイロットたちは、厳しい訓練と何千、何万時間ものフライト経験を持ち、だれよりも空を知りつくした、いわば「空のスペシャリスト」である。そんな、スペシャリストの日航機機長と乗員による、UFOとの接近遭遇事件の不可解な顛末を追う。
目次
順調なフライトだった。
1986年11月17日。パリ発の日本航空1628特別貨物便、ボーイング747型ジャンボジェット機は、解禁間近のボージョレヌーボーを満載し、東京目ざして飛行していた。
コックピットクルーは機長=寺内謙寿(当時47歳)、副操縦士=為藤隆憲(同39歳)、航空機関士=佃善雄(同33歳)の3人。寺内機長は航空自衛隊の戦闘機パイロットを経て日航に入社した、総飛行時間1万329時間を誇るベテラン・パイロットである。
その日午前にパリを飛び立ち、アイスランドのケフラヴィク空港で給油後、次の経由地であるアラスカのアンカレッジ空港に向けて飛行中だった。

高度1万600メートルを時速910キロで飛行する機は、アラスカ時間17日午後5時10分(日本時間18日午前11時10分)ごろ、アンカレッジの北北東約770キロ(北緯67度56分/西経141度0分)上空に達した。
「なんだ、あれは?」
寺内機長が突然、驚愕の声を放った。
機の左30度前方4~5キロ、下方650メートルの空中に、異常な帯状の光体を2個認めたのだ。
幻覚でも錯覚でもない。機長は戦闘機パイロットとして夜間の有視界飛行の訓練も積んでおり、視認力には自信を持っている。
「えっ」
為藤副操縦士が返した。
「左前方だ。灯火が見える」
「飛行機の灯火のようですね」
時間が経過しても、2個の光体は同じ位置に見える。どうやら日航ジャンボ機と並行飛行しているらしい。
「ずっとついてくる……」
不安にかられた機長が機を左に旋回させた。すると、2個の光体はジャンボ機の真ん前に瞬間移動し、再び並行飛行するではないか。光体は猛烈な速度で接近して急停止し、Iターンしたかのように、すぐにジャンボ機と同じ速度で飛びはじめたのだ。
しかも眼前に出現した物体の形状は異様だった。いずれも正方形状(実際には円筒形を横から見たものらしい)をしており、中央の黒い縦帯状部分を挟んで、左右にオレンジと白に光る無数の丸い排気ノズルの列が何段も規則正しく重なっている。灯火に見えたのは、その排気ノズルの光だった。


サイズはDC8型ジェット機の胴体(全長約48メートル)と同じくらいで、ジャンボ機の前方200~300メートル付近を“小熊がじゃれ合うように”飛んでいる。
方向転換するたびにノズルの列が放つ光は強まり、2個がきれいに揃って上下左右にパッパッと動き、光が強まったときは炭火がはぜるような火花が散った。
ときに、瞬時のうちに数百メートルも移動するなど、重力を無視した飛行もした。そのおり、排気ノズルが逆噴射したかのように光は強烈に明るくなり、コックピット内は真昼のように明々と照らしだされて熱も感じた。

クルーの不安感はいよいよ募る。
午後5時19分、機長は副操縦士に命じた。
「管制塔に連絡し、レーダーで確認してもらえ」
「了解」
副操縦士がアンカレッジの飛行管制所に問い合わせる。
「こちらJAL1628特別貨物便。2機の未確認飛行物体が機体の前方にいる。確認を頼む」
直後、管制塔から返事があった。
「機長。管制官からです。レーダーでは確認できないようです」
「ならば、あれはいったいなんなんだ……」
管制官との交信の途中、激しいジャミング(電波妨害)が起こり、以後およそ15分間、VHF電波の送受信ができなくなった。
機長はオートフォーカスのカメラで撮影を試みた。だが、暗すぎて焦点が合わない。マニュアルにして再度試みたが、今度はシャッターが下りない。
通信の途絶やカメラの異常は、UFO遭遇時にしばしば報告されるEMP(電磁衝撃波)効果だったのかもしれない。
数分後、2個の正方形状物体は左前方40度の方角へ遠ざかって消えた。が、事件はこれで落着したのではない。それからおよそ5分後、機長は十数キロ前方の雲のなかから出現した青白い光、すなわち第3の未確認飛行物体を視認するのだ。
「さっきのとは別のUFOらしい。気象レーダーを使って確認する」
機長が気象レーダーをオンにした。気象レーダーでは、金属の物体は赤く、雲などは緑に映る。その日、アラスカ上空に雲はなかったにもかかわらず、レーダーは進行方向7~8マイル(約12・6~14・4キロ)の空中に緑色の巨大な物体を捉えた。その大きさはジャンボ機(全長約70メートル)の20倍もあったという。

一方、地上ではアンカレッジ飛行管制所が米空軍のエルメンドーフ地区作戦管制センター(ROCC)に緊急連絡し、レーダーで何か追跡していないか、と問い合わせていた。
ROCCの返事は「トランスポンダー・シグナル(応答機信号)のないエコーが返ってくる」というものだった。トランスポンダー・シグナルがないとは、レーダーで捉えた物体は航空機ではないという意味である。
ROCCが”航空機でないエコー”を捕捉した位置は、日航ジャンボ機の気象レーダーが捉えた物体のそれとほぼ一致していたばかりか、アンカレッジ管制所のレーダーも同じ位置付近に同じ物体を捕捉していたのだった。
その謎の物体はやがて遠ざかっていき、夜空にまたたきはじめた星々にまぎれて見分けがつかなくなった。
だが、ジャンボ機がアラスカ中央部のフェアバンクス上空に差しかかったとき、3人のクルーは愕然とする。市街地の灯火に照らされた巨大物体のシルエットがいきなり浮かびあがったのだ。
2隻の航空母艦を重ね合わせたような形状をしており、全体的には土星に似ていた。大きさはジャンボ機の数十倍。寺内機長は、最初に視認した2個のUFOの母船と見なし、航空母艦にたとえた。


クルーは戦慄した。とてつもない恐怖感が襲いかかってくる。
「機長。どうしますか」
副操縦士が機長に訊いた。
「管制官に連絡してくれ。回避手段をとりたい」
「了解。こちら、JAL1628特別貨物便。巨大な未確認飛行物体に遭遇。回避したい……」
副操縦士と管制官が交信する。
「機長。管制官は、360度旋回してみてはどうか、と……」
機長は指示どおり、すぐさま機を360度旋回させ、高度も1200メートル下げた。だが、巨大物体は7~8マイルの距離を保ってどこまでもついてくる。

午後5時39分、巨大物体はようやく姿を消した。ROCCが「日航機の近辺に異常なターゲットを捉えた」と通告した直後のことだった。
5時40分、管制官から副操縦士に通信が入る。
「機長。軍にスクランブル(迎撃機の緊急発進)を要請したいか、と言ってきましたが……」
機長は迷った末、高度な技術を持った相手に対し、何か変なことをされては申し訳ない、と判断して断った。
同じ刻限、アンカレッジ空港を離陸したユナイテッド航空機がフェアバンクス北方に向かって上昇中で、高度8700メートルに達しつつあった。
日航機の飛行高度9300メートルに近いので、管制所はユナイテッド航空機のパイロットに、日航機の後ろに飛行物体がいるかどうか、と確認を依頼した。だが、同機が確認可能な空域に接近したときには、巨大物体はすでに消えていた。
その後、ROCCは短時間ながら、再び同じターゲットを捉えた。日航機のクルーも背後に接近した巨大物体を再び目撃したが、燃料の残量は少なく、アンカレッジ空港で給油しなければならないリミットが迫っていた。
午後6時24分(日本時間18日午後0時24分)、同機は空港に着陸した。巨大物体はその直前に姿を消した。
この日航ジャンボ機UFO遭遇事件が明るみに出たのは、およそ1か月半を経た12月30日だった。寺内機長がロンドンのパブで友人にこの話をしていたおり、居合わせた共同通信の記者が小耳に挟んで取材・配信した結果、世界に報道されて一大センセーションを呼んだのである。
寺内機長はマスコミの取材攻勢にさらされ、関連ニュースも連日のように報じられた。


だが、事件が公表されて間もなく、アメリカの権威ある航空専門誌「エビエーション・ウィーク・アンド・スペース・テクノロジー」に、寺内機長は惑星を誤認したのではないか、とする否定的見解が掲載された。
「当日、寺内機長が未確認飛行物体を目撃したのと同じ位置に木星があって明るく見えた。最初に目撃した2個の光体は木星と、木星の右下に位置していた火星を見誤った可能性が高い」
ベテラン・パイロットは確かな”目”と、一般人をはるかに凌駕する”知識”と”技量”を持っている。
ところが、飛行時間が1万時間を超える寺内機長のきわめて具体的な目撃証言、さらにはレーダーコンタクトの事実をまったく無視したこの記事を機に、日航機UFO遭遇事件の熱気は一気に冷めてしまう。
副操縦士と航空機関士の証言も揺れた。副操縦士は「光は見たが、飛行物体の形は確認していない」、航空機関士は「何も見ていない」と語った。同じ操縦室にいたはずなのに、証言はなぜ食い違っているのか……。
それだけではない。寺内機長はその後、地上職に配置転換された。利用客に不安を覚えさせる発言をしたこと、存在しえないものを見たという精神状態を懸念されたためといわれる。
ベテラン機長が地上職に異動させられるという不可解な人事でありながら、人事に敏感で強い発言力をもつといわれる日航の労働組合は何の異議も唱えなかった。

このUFO目撃事件は航空機の安全運航に影響があると見なされ、アンカレッジ空港着陸後、寺内機長はアメリカ連邦航空局(FAA)による事情聴取を受けたが、アルコールや薬物の影響下になかったことが確認されているにもかかわらず、である。
数年後、パイロットに復帰したものの、事件については口をつぐむようになった。事件からおよそ20年後、定年退職していた寺内元機長は「週刊新潮」の取材を受けたおり、「もう関わりたくないというのが本音だ」と語っている。
「週刊新潮」が改めて取材したのは、2007年11月12日、アメリカ・ワシントンDCの全米記者クラブで開かれた記者会見で、日航機UFO遭遇事件に関して衝撃的かつ驚愕的な事実が明らかにされたからだった。
この記者会見は「ディスクロージャー・プロジェクト(情報公開計画)」の一環として、世界規模の本格的UFO調査をアピールする目的でセッティングされたもので、各国の元政府高官、元軍幹部、元NASA関係者、航空界のUFO体験者ら30人ほどが実名で出席していた。
その出席者のなかに日航機UFO遭遇事件を調査したFAAの航空機事故調査部の元ワシントン支部長ジョン・キャラハンがおり、長い沈黙を破って驚くべき真相を暴露したのである。
「この書類はUFO出現ファイルです。1986年11月17日に起きた航空機のUFO遭遇事件についての記録です。アラスカ上空で日本の貨物機が遭遇したUFOを米軍のレーダーも捉えていました」

冒頭にそう語ったキャラハンは、引きつづいて米政府が行った隠蔽工作を暴いた。
──事件を重大視したFAA長官のエンゲン提督は、翌日、CIAの要員3人、FBIの要員3人、レーガン大統領(当時)サイドの科学者3人ほかをFAAの会議室に集め、レーダーの証拠ビデオ、日航機と航空管制官との会話のテープ、その他あらゆるデータ・ボックスから打ちだされたデータを提示し、緊急会合を開いた。
そこでどのような会話が交わされたかについて、キャラハンは詳細を語っていないが、出席者全員がデータを貪るように見て異常に興奮していたという。
そして会合の最後に、CIAのメンバーのひとりがいった。
「レーダーで30分間もUFOを捉えたのは初めてだ。国民にUFOと遭遇したと公開したら国中がパニックに陥る。したがって、この会合はなかったことにし、この出来事も記録にはいっさい残さない。絶対に口外しないことを出席者全員に宣誓してもらう」
CIAのメンバーは、ほかに証拠がないことを確認し、提示されたすべての証拠を没収したうえで、レーガン大統領に報告した。
その後の経緯については不明だが、レーガン大統領はこの事件をトップシークレットとして扱い、日本政府を通じて日航の関係者に圧力をかけたといわれる。


それが寺内機長の人事異動につながり、寺内機長の口をつぐませたのではないか。副操縦士や航空機関士の証言の食い違いも、圧力を受けてのものと解すれば納得できるような気がするのだが……。
参考資料=『UFO-X-ファイル』(竹本良+開星文明著/三一書房)、「パイロットが遭遇したUFO事件」(南山宏/「ムー」333号所収)ほか
(月刊ムー 2010年9月号初出)
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