マヤ、アステカの民に文明を授けた羽毛を持つヘビ「ケツァルコアトル」の謎と再臨の悲劇

文=出口優 写真=辻丸純一

    かつて、広大なメソアメリカ地域は、オルメカ、テオティワカン、マヤ、トルテカ、アステカなど、独自の発展を遂げた数多の文明が興亡を繰り返す、一大文明圏であった。 そんな異なる文明間において、「羽毛を持つヘビ」という奇妙な姿で描かれた、共通の神の存在が見られるのだ。

    メソアメリカ全域で広く信仰された主神

     メキシコからユカタン半島全域を含む中央アメリカ北西部にかけてのメソアメリカ地域では、紀元前13世紀ごろから、スペイン人に征服される16世紀までの、実に2900年にもおよぶ長期にわたって、マヤやアステカに代表される数々の文明が盛衰を繰り広げていた。

     エジプト文明やメソポタミア文明などの、いわゆる世界四大文明とは違い、メソアメリカに地域を貫く大河は存在しない。密林や乾燥した平原、湿潤な海岸地帯など、自然環境も多彩で、それぞれの地域において独自に発達した文明が相互に影響し合うという、特異な文明圏である。

     この地域の文明でもっとも有名なのが、冒頭にも挙げたマヤ文明であろう。
     同じアメリカ大陸ということもあり、南米に興ったインカ帝国と混同されることも多いが、インカとの大きな違いは、マヤをはじめとするメソアメリカの文化圏においては、全域を支配した一大帝国というものが存在しなかったという点だ。
     メソアメリカ最後の文明にして、大帝国を築いたとして知られるアステカでさえも、その版図はメキシコ中部を中心とした範囲にすぎない。
     しかし、各地に栄えた文明都市同士の交易や侵略などによる相互交流によって、メソアメリカ文化圏には、たくさんの共通点が見られるのだ。

     巨大な神殿ピラミッドの建設、精緻な天文学と数学の知識、複雑な暦の使用など、いくつも挙げることができるが、神話や信仰もそのうちのひとつに数えられる。

     メソアメリカでは、自然現象と動物などが結びついた神々が信仰されていた。中でも重要な神が「ケツァルコアトル」である。

     その名は、ナワトル語(メキシコ地域で使われた言語で、アステカの公用語でもあった)の「ケツァル(美しい羽毛を持つ鳥)」と「コアトル(ヘビ)」を合わせたもので、「羽毛を持つヘビ」という意味になる。

    7~11世紀ごろ、メキシコ中部に栄えたショチカルコ遺跡にある「羽毛のヘビの神殿」。基壇部分には、ケツァルコアトルの見事なレリーフが残されている。

     ケツァルコアトルはさまざまな性格を併せもつ神だ。基本的には、風の属性を持ち、雨や暴風をもたらす存在と考えられており、トルテカに伝わる神話では、「人類を創造し、大切な食べ物であるトウモロコシや知恵をもたらした神」として描かれている。

     この神が、メソアメリカ地域で最初に登場したと見られるのは、紀元前後から7世紀ごろまでメキシコ中部に栄えていたテオティワカンだ。

     ここにケツァルコアトルを表すという、羽毛に覆われたヘビと、雨の神トラロックの頭部が施された、その名も「ケツァルコアトルの神殿」がある。

    メキシコシティの国立人類学博物館に展示されている、テオティワカンの「ケツァルコアトルの神殿」の復元建造物。牙を持ち、とがった顔のまわりに羽毛をたたえているのがケツァルコアトル神、中央に2つの目を持つ四角い顔がトラロック神だ。

     この「羽毛を持つヘビ」のイメージが、さまざまな神話や信仰とともにメソアメリカ一帯に広まり、重要な神として崇められるようになったのではないかと思われる。

    ケツァルコアトル神はさまざまな姿で表されている。これはワシの足を持つ戦士が「羽毛のあるヘビ」(ケツァルコアトル)の上に乗っている様子を表した、カカシュトラ遺跡の壁画。
    アステカの風の神「エヘカトル」の像。ケツァルコアトルの神性の一面を表している。
    メキシコのカリストラワカにある円形ピラミッド。とぐろを巻いたヘビのような構造は、ケツァルコアトルを表すという。
    マヤでは「羽毛を持つヘビ」の神は「ククルカン」と呼ばれていた。チチェン・イツァ遺跡の「ククルカンの神殿」は、春分と秋分の日に、太陽の光とピラミッドの階段の影によって、ククルカンの姿が浮かびあがるように正確に設計されている。

    アステカを滅亡に導いたケツァルコアトルの伝説

     テオティワカンにほど近いところに、トゥーラという遺跡がある。ここは、テオティワカンの崩壊前後と時を同じくして栄えた、トルテカ文明の中心都市と考えられている。

     このトルテカでもケツァルコアトルは文化神として信仰されていたが、ここに、のちのアステカ帝国崩壊のきっかけになったという興味深い伝承が残されている。

     ――その昔、トルテカの都トゥーラに、ケツァルコアトル神と同じ名を持つ神官がいた。彼は残忍な生け贄の儀式を否定し、人々に慕われる存在だった。
     これを面白く思わなかった妖術師のテスカポリトカたちは、ケツァルコアトルを騙して酒に酔わせ、彼に失態を演じさせてしまう。
     テスカトリポカたちに陥れられ、民の人望を失ってしまったケツァルコアトルは都を去ることになるが、このとき、いつか自分が追放された「一の葦(あし)」の年に帰還し、失った王座に復活する、といい残していったという――。

     1519年、マヤを征服したスペイン軍の侵攻の手は、やがてアステカの地にまでおよぶ。

     当時一大帝国を築いていたアステカの皇帝モクテスマは、抵抗するどころか、侵略者であるスペイン人たちを、豪華な贈り物とともに最敬礼で迎え入れてしまう。
     結局、それがきっかけとなって、アステカはスペイン軍によって陥落させられてしまうのだが、モクテスマの不可解な行動こそ、先のトルテカの伝承がもとになっているのだ。

     メソアメリカでは、時間はあるサイクルで一巡すると考えられている。トゥーラを追われたケツァルコアトルが戻ってくるといった「一の葦」の年、奇しくもそれがこの1519年にあたっていたのである。
     さらに、ケツァルコアトル神は「白い肌をしている」という伝承がある。一説によると、初めて「白人」であるスペイン人を見たアステカの民は、ケツァルコアトル神がやってきたものと思いこんだため、丁重に迎え入れてしまったのだという。

     アステカでは、トルテカ人は偉大な民族と考えられていた。そのトルテカの都を追われたケツァルコアトルの執念が、自身の復活を予言していた年に、スペイン人の侵略を招いたのであろうか。

     いずれにしろ、この不幸な偶然がメソアメリカ最後の文明を破滅へと導いたのである。

     文明をもたらした温厚な神として語られる一方で、暴風と雨を呼ぶ猛々しい面も併せもち、メソアメリカであまねく信奉された神、ケツァルコアトル。「羽毛を持つヘビ」という合成イメージさながらに、複雑なその性質は、いくつもの文明を育んだこの地の特性をも表しているといえよう。

    マヤではケツァールは「神の鳥」として、さまざまな意匠に用いられている。写真は蓋にケツァールが施された容器で、生命の甦りの願いを表している。
    ケツァルコアトルの「鳥」の部分を構成するケツァール。中米の一部に生息する希少な鳥で、胸の赤い羽毛は、侵略者たちに虐殺されたマヤ人たちの血で染まったという伝説がある。
    ボナンパック遺跡の壁画に描かれた王族。オスのケツァールの尾羽で作った冠をかぶっている。美しい緑の羽根はマヤでは装飾品として珍重され、ケツァールを殺すことは禁じられていた。

    (月刊ムー 2008年11月号記事を再編集)

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