異形の神・ひょうたん様が巨大ワラジで練り歩く! 大分・豊後大野の「ひょうたん祭り」/奇祭めぐり
巨大なワラジをはいた異形の神が練り歩く大分の奇祭「ひょうたん祭り」。ひょうたんは神仙世界のメタファーなのか、あるいは密かに伝えられたキリシタン信仰のシンボルだったのか……!?
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いかつい鬼が走り回り、白い粉が乱れ舞う……!毎年2月、愛知県豊橋市で行われる天下の奇祭「豊橋鬼祭」に隠された古代秘史とは?
「アーカーイ!」という掛け声とともに、“異形なるもの”が猛然と走ってきた。その姿は、全身赤の装束で固めた筋骨隆々の巨体。大きな乳首がある胴体を白い太紐でかがり、虎の皮の褌を締め、腰に橙(だいだい)付きの御幣を挿し、手に赤銀縞の撞木を持っている。さらに、金髪を後ろに長く垂らし、角の生えた厳つい面を被っている。すなわち、恐ろしい赤鬼だ。
裃姿の男達を従えた鬼は、神社の参道を突き進み、やがて鳥居の外へ飛び出した。まさに「鬼は外」だが、節分のように豆は撒かれない。しかし次の瞬間、代わりに飴と白い粉が大量に撒かれ、煙幕と化して境内を飲み込んでいった――。
過日、この不思議な光景が見られたのは、東三河に春を告げる伝統行事「豊橋鬼祭」。
愛知県豊橋市の中心部、八町通に鎮座する安久美神戸(あくみかんべ)神明社で、毎年2月10日・11日に行われる例祭だ。平安時代から1000年以上の歴史を誇り、あの徳川家康が見物したとも伝えられ、民俗学的に大変貴重とされている。
もともとは、年初めに田楽で豊作を祈る農村祭礼であったが、いつしか日本建国の神話などが結び付き、地域の象徴的な都市祭礼に発展。宵祭と本祭の2日間にわたって、氏子各町が五穀豊穣や無病息災を願い、古式ゆかしい諸神事を厳粛かつ盛大に催すようになった。
神事の核にして最大の見せ場は、何といっても本祭の「赤鬼と天狗のからかい」。
悪戯好きな“暴ぶる神”の赤鬼と、それを懲らしめる“武神”の天狗が、参道で神話の戦いを再現するのである。冒頭もこれに関係し、鬼祭が「天下の奇祭」と呼ばれる所以の場面なのだ。
そんな「からかい」の深意を探るべく、2025年2月、筆者らムー取材班は、祭りに染まる豊橋の街を訪ねたのであった。
宵祭の2月10日――立春過ぎの余寒に震えながら、朝から神明社境内で待っていると、午前10時に青鬼が出現。
「アーオーイ!」と叫ぶ裃姿の警固衆に囲まれ、鳥居から拝殿に向かって参道を走ってきた。赤鬼より少し細身な青鬼は、拝殿前の儀調場(ぎちょうば、八角台)に乗り込み、まずは「岩戸舞」を奉納。
タヂカラオ(手力雄命)がモデルの青鬼と、アメノウズメ(天宇受賣命)などに扮した古代服の少女3人が、「イヤサカホイホイ」と繰り返す歌と囃子に合わせ、「天岩戸開き」の神話を演じるのだ。これは、神明社の祭神や由緒とも関係がある。
社伝によれば天慶3年(940)、平将門の乱の平定を喜んだ朱雀天皇により、三河国の飽海(あくみ=安久美)荘と呼ばれた当地が、神領(神戸)として伊勢神宮へ寄進された。その際、地域の繁栄を祈り、アマテラス(天照大神)を勧請したのが創建という。
さて、舞を終えた諸役は、壇上から「タンキリ飴」の袋を一斉にばら撒いた。この飴は縁起物で、食べると厄除けになり夏病みしないとされ、多くの参拝者が必死に拾う。筆者もつい沢山頂戴した。
その後、青鬼らは再び走りだし、すぐに境外へ出て行った。青鬼を先頭に警固衆が続き、少し遅れて、子供達が白い粉(小麦粉)を撒き散らしながら追従。この粉も浴びると厄除けになるとされ、付近の人々や道路は真っ白と化す。
攻めた取材のせいか、同行のwebムー・望月編集長も早々に白くなっていた。
青鬼一行は、御旅所の談合神社(談合宮)に向かうのだが、その道中は「門寄(かどより)」という町内廻りとなる。なんと、200軒以上もの氏子の家や店などに立ち寄り、厄除けを祈願するのだ。
訪問先では都度、鬼が飴を差し出し、それを主人が丁重に受け取る「御手自(おてずか)」の儀式が行われる。この時、鬼に頭を撫でてもらうと厄が落ちるとされ、順番待ちの行列が出来ることも。
とりわけ、病院と幼稚園の門寄は盛況で、多くの人々が御利益を授かった。どうやら当地の鬼は、福をもたらす来訪神としても親しまれているらしい。また、地元名産品(竹輪など)の老舗商店はともかく、コンビニまで厄祓いに立ち寄ったのは意外であった。事前に希望すれば、氏子町内の割とどこでも訪れるそうだ。
それにしても、重い装束を身に着け、何時間も走り続ける訳だから、青鬼の運動量は相当なものである。一応、氏子各町には「会所」と呼ばれる施設が点在し、時折そこで休憩を取るものの、せいぜい5分程度でまた走り出す。非常に大変そうだが、聞けば、青鬼に扮しているのは地元の中学生だという。
少子化が叫ばれて久しい中、鬼祭(特に宵祭)では、このような子供達の活躍が随所に見られる。世代を超えて地域の絆を深めることで、貴重な伝統行事が脈々と受け継がれているのだろう(青鬼自体は、昭和に誕生した比較的新しい存在らしいが)。
一行は午後1時頃、談合神社に到着。殿内で再び岩戸舞が披露された。「鬼のように忙しい」とは、まさにこのことだ。しかし以降も門寄は続き、神明社での舞納めを途中行いつつ、青鬼は夕方まで街を駆け巡ったのである。
本祭の2月11日――神明社境内では、午前8時からの「日の出神楽」を皮切りに、神事が粛々と進行。神社本庁の献幣使(けんぺいし)、氏子崇敬者らが拝殿に多数参列し、神職による祝詞、舞姫による浦安の舞などが奏ぜられた。
さらに昼過ぎには、「小鬼地踏行事」や「厄除け飴撒き行事」、「御的神事」などが執行され、祭りの熱気が高まっていった。そのうち、「小鬼地踏行事」は、小鬼(子鬼)が足で大地を踏み鎮め、神前を清めるというもの。
この小鬼は、赤鬼を小柄にした感じの姿で、小学生の男子が扮している。子供とはいえ、所作やしきたりは赤鬼と大筋同様らしく、背負う歴史の重みは大きい。小鬼は健気にも、しばらく参道を飛び跳ねると、タンキリ飴と白い粉を撒き散らしながら、警固衆とともに境外へ走り去った。彼らもまた、門寄に向かったのだ。
こうした諸神事が行われる中、境内の東側では、大榊の横に黒鬼が佇む。その姿は、穏やかな表情の面を被り、長い黒髪を垂らし、松の大紋がある白黒の上衣、白い着附に大口袴を着用。そして、衣の袖で人々の頭を次々に撫でて、厄払いを行っている。
あまり目立たないものの、黒鬼は神事を見守る警固役にして、一番位が高い重要な存在らしい。なお、ここまでに紹介した異形達の神面は、いずれも令和改元を祝して、2019年から順次新調されてきたもの。今年の鬼祭では、直前に完成した黒鬼面をもって、全ての新面が初めて出揃ったという。図らずも、祭りの長い歴史のなかで、重要な節目に立ち会えたようだ。
神面についてさらにいえば、神明社には、室町時代に今川義元が寄進したと伝わる、赤鬼と天狗の古面(神宝)も残されている。この古面は、かつて「からかい」に使われ、鬼祭の存在を明示する最古の物証と見られているそうだ。面の寄進は、その時代背景が乱世であることを思うと、三河国の平安・繁栄を祈念して行われたのかもしれない。
かような先人達の思いや願いを引き継ぎ、いにしえの神々の戦いは、また新たな時代を迎えたのである。
(後半へつづく)
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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