サントリーニ島=アトランティス説! ミノア噴火で超文明が滅んだ?/アトランティス遺産

文=遠野そら

    古代のミノア噴火によって中心部が海に沈んだ、ギリシアのサントリーニ島。その顛末はアトランティス伝説と一致するのだ。

    紀元前1600年のミノア噴火

     激しい地震と大洪水が起こり、一昼夜の間にあなたたちの(古代アテナイ)軍は瞬く間に地中に飲み込まれ、またアトランティス島も同じようにして海の深みに消えてしまった——『ティマイオス』25D

     海の中に消えた伝説の大陸、アトランティス。古代ギリシアの哲学者・プラトンが著者『ティマイオス』と『クリティアス』にその名を記してから2300年以上の時が過ぎた。いまだアトランティスの謎は解けていないが、比定地として根強い支持を集めているのが地中海に浮かぶ島「サントリーニ島(ティラ島)」である。

    サントリーニ島。写真=PIXABAY

     まず、サントリーニ島=アトランティス説の根拠の1つとして挙げられているのが、紀元前1600年頃にサントリーニ島で起きた大規模な火山爆発「ミノア噴火」である。この噴火の影響でサントリーニ島の中央部は吹き飛び、噴煙と火山雷は成層圏にまで到達。地面は割れるほどに揺れ、高さ35〜150mの大津波が近郊の島々を襲ったという。
     まさに人類史上最大級の火山噴火なのだが、これがアトランティスの最期に驚くほどリンクしているのだ。
     プラトンは噴火について直接触れてはいないものの、これだけの大災害である。アトランティス滅亡を連想してしまうのは自然の流れだろう。しかしながらサントリーニ島や近海のクレタ島ではアトランティスとの関連が疑われるミノア文明の存在があることから、この類似性は無視できないとする研究者は非常に多い。

    クレタ島南部の古代都市で発見されたファイストスの円盤(紀元前1700年頃)のA面。ミノア文明の文字「線文字A」が刻まれているが、いまだ解読不能である。引用=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/100100531/

     ここで1つ興味深い研究発表を紹介したい。これは2020年にハンガリーのエトヴィシュ大学の研究チームのが発表したミノア噴火以前のサントリーニ島の想像図である。

    ミノア噴火以前のサントリーニ島の想像図。A,Bは最小値と最大値でその大きさに差はあるものの、アトランティスの首都ポセイドニアを連想させる形状である。引用=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0377027319306316

     初めにいうが、これは火山学と地熱研究を目的としたものであり、アトランティス研究ではない。火山学、地形学、考古学の観点からミノア噴火前の構成要素を検出し、堆積物やフレスコ画などから当時のサントリーニ島の地形を再現したものだ。

     だが、いかがだろうか。このシルエットにアトランティスの首都ポセイドニアを連想したのは著者だけではないだろう。

    噴火による地形の影響を表した図。Aが紀元前1600年頃に起きたミノア噴火以前のサントリーニ島。Dが噴火後の今のサントリーニ島である。引用=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0377027319306316

     研究チームによると、サントリーニ島は元は円形の島であったが、紀元前2万2千年前に起きた大規模な火山噴火により中央部が陥没したと結論付けているが、丘を囲み土地を割ったという首都ポセイドニア創造神話にも酷似しているのはただの偶然なのだろうか。

    サントリーニ島=アトランティス説

     しかしながら、サントリーニ島をアトランティスの遺産とするには決定的な遺漏が指摘されている。

     それはプラトンの伝えるアトランティスが海中に消えた年代とその位置関係である。プラトンによればアトランティス滅亡は約9000年前、今から約1万2千年前のこと。ミノア噴火の詳細な時期についてはいまだ調査段階ではあるものの、紀元前1600年頃とされるミノア噴火と大きなズレが生じているのだ。
     また位置についても、プラトンはアトランティスを「ヘラクレスの柱の向こう」と記しているが、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)から見ると、地中海はその内側。ヘラクレスの柱より向こうにはならないのである。

     この2つはサントリーニ島=アトランティス説が浮上するたびに論点となっているが、「失われたアトランティス」の著者であるメンジーズ氏によると、解決の糸口はすでに見つかっているという。

     まずその年代についてメンジーズ氏は、単純にエジプト数字の100を1000に間違えた「誤訳」としている。事実、首都ポセイドニアの大きさを再計算したところ、ミノア噴火以前のサントリーニ島と同じ大きさであったことから、単純なミスである可能性が高い。位置関係については、ヘラクレスの柱を越えてもなお巨大な帝国を築いていたアトランティスの支配力を示唆していたとすれば、何も不思議はない、と述べている。

    中央部が大きくえぐれた形のサントリーニ島。引用=www.volcanodiscovery.com

     そもそもアトランティス伝説は紀元前590年ごろ、ギリシアの政治家ソロンがエジプトの司祭から聞いた話が始まりである。そしてギリシアに帰国したソロンが友人のドロピデスへ話し、ドロピデスが息子のクリティアスへ、そしてクリティアスがその息子へ、と三代にわたり語り継がれていた内容を、プラトンが最終的に対話篇として残した、という経緯がある。エジプトの司祭が誤訳したのか、それともソロンかは不明だが、伝えられるうちに話が誇張されていたとしてもおかしくはないだろう。

     そしてメンジーズ氏の説を元にソロンの時代から起算すると、アトランティスが海の中へ消えた時期は紀元前1490年頃という結果となる。するとミノア噴火の時期にかなり近くなるのではないか。

     プラトンは対話篇『ティマイオス』を未完で終えていることから、その続きを我々が知ることはできない。しかし、アトランティスが海に消えた後もなお、彼らの文明の痕跡がどこかに存在し続けている、そんな気がしてならないのだ。

    「失われたアトランティス」ギャヴィン・メンジーズ 著 , 松本剛史 訳(扶桑社) https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594091644

    遠野そら

    UFO、怪奇現象、オーパーツなど、海外ミステリー情報に通じるオカルトライター。超常現象研究の第一人者・並木伸一郎氏のスタッフも務める。

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