巨人と洪水の伝説は「事実」だった!? 禁断のエノク書が示す堕天使と人間のハイブリッド神話
外典としてタブー視される「エノク書」には、神々と人類の禁断の関係が記されている!
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ホモサピエンスを含む現在の霊長類の進化の傍流に、巨人族が存在していたのだろうか? 米ネバダ州には「ラブロックの巨人」の伝説が語り伝えられている――。
世界各地の文化で“巨人伝説”が語り伝えられているが、その中には種族としての“巨人族”の伝承もある。米ネバダ州パーシング郡ラブロックの洞窟で発見された巨人にまつわる伝説もその一つだ。
1910年頃、ラブロックの2人の鉱山労働者、ジェームス・ハートとデビッド・ピューは鉱山帯の一部にある入口がほぼ塞がっている洞窟の存在を知った。後にここは「ラブロック洞窟」と呼ばれるようになる。
よく観察してみると、洞窟の入口の狭い隙間からコウモリが出入りしており、洞窟の中がコウモリの巣窟になっていることは明らかだった。
当時、鳥やコウモリの排泄物が堆積して固まってできるグアノ(guano)は貴重な肥料源であり、火薬の原料にもなっていた。コウモリの巣窟であるこの洞窟の中には豊富なグアノの存在が予期された。
ビジネスチャンスを確信した2人は、洞窟の入口を拡げて奥に入ってみた。すると案の定、大量のグアノが堆積していた。彼らはツルハシとシャベルを使ってグアノの堆積層を剥ぎ取る作業を進め、約250トンものグアノをサンフランシスコの「ハワイアン肥料会社」に売り捌き、ひと財産を築いたのだった。
彼らはグアノの採取に夢中であった一方、洞窟では古代人のものと思われる遺骸や古代の生活用品のような遺物も発掘されたことから、少し困惑しつつも大学関係者に伝えた。そして1912年、カリフォルニア大学人類学部の考古学者たちがラブロック洞窟の本格的な調査に着手したのである。
調査チームが洞窟の奥深くに進んでみると、数十体の古代人の遺骸に遭遇することになった。驚いたことに遺骸の中には一般的な人間のサイズよりもかなり大きいものがあった。
2体のミイラ化した“赤毛の巨人”のうち、1体は身長1.98メートルの女性で、もう1体は身長2.44メートルを超える男性だった。この洞窟にかつて“巨人族”が生息していたのだろうか。これらの遺骸は後に「ラブロックの巨人」と呼ばれるようになる。
2回目の発掘は1924年に行われ、工具、骨、かご、武器など、合計で約1万点もの考古学的標本が発見された。
報告書によると、この時は平均身長のミイラ60体が発掘され、そのほかにアヒルの置物(羽毛がまだ付いているものとしては世界最古のものの一つ)と、長さ38センチを超えるサンダルが発掘された。また、洞窟の壁には平均的な人間の2倍の大きさの手形も数多く刻まれていた。さらに、外側に365個、内側に52個の切れ込みが入ったドーナツ型の石も発見されており、一部の科学者はこれはカレンダーだと考えている。
放射性炭素年代測定では、紀元前2030年に遡る植物材料、紀元前1450年に遡る人間の大腿骨、紀元前1420年に遡る人間の筋肉組織、そして紀元前1218年に遡る籠細工が特定された。
このことから考古学者は、ラブロック洞窟の“居住”は紀元前1500年に始まったと結論付けた。今日の人類学者は、この地域に住んでいた人々の文化を「ラブロック文化」と呼び、約3000年続いたと考えている。また、多くの考古学者はラブロック文化がその後に北パイユート文化に取って代わられたと解釈している。
それにしても、2回目の調査で気になるのは“赤毛の巨人”が発見されなかったことだ。
懐疑論者らは、この地域のミイラの遺体の頭髪が黒ではなく赤毛になっているのは、埋葬後の土による化学的変化が原因である可能性が高いと主張している。
また、ネバダ大学で行われた研究によると、最初に発見された“赤毛の巨人”の身長は約1.83メートルで、主張されているような長身(2.44メートル)ではなかったことが報告されている。ラブロック洞窟に住んでいたのは巨人族ではなかったのだろうか。しかし、38センチのサンダルと、壁の大きな手形をどう理解すればよいのか。
実は、ネバダ州の一部に住むネイティブアメリカンの部族であるパイユート族には、「シテカ族」と呼ばれる“赤毛の種族”についての伝承が残されている。
パイユート族の指導者の娘で歴史研究者のサラ・ウィネマッカ・ホプキンスの1882年の著書『Life Among the Piutes: Their Wrongs and Claims(パイユートの生活:彼らの間違いと主張)』によると、シテカ族は「凶暴で、非友好的な性格」と説明されている。
シテカ族の「シテカ(Si-Te-Cah)」とは、北パイユート語で「トゥール(水草)を食べる人」を意味し、彼らはこのトゥールを使ってイカダを作り、水辺を移動していたという。そして、シテカ族は約3000年前にこの一帯に侵攻し、パイユート族を含む周辺の部族に戦いを挑んだのである。
長年にわたる戦争の後、一帯の部族は団結して共同戦線を築き、シテカ族をラブロック洞窟へと追い込んだ。パイユート族は敵に洞窟から出てきて戦うよう要求したが、彼らは拒否した。
部族連合は洞窟の入口に火を放ち、奥に向かって矢を撃ち続けた。煙で息も絶え絶えの数名が出てきたが矢の攻撃で命を落とし、残りは生きたまま洞窟の奥で焼かれるか窒息死、シテカ族は全滅したのである。その後に洞窟の入口は崩壊し、コウモリだけがアクセスできる隙間だけを残して塞がれ、人々から忘れ去られたのだった。
カリフォルニア大学の調査で、このパイユート族の伝説は本物であるとの憶測が生まれることになったが、著書ではシテカ族は赤毛ではあるものの、巨人であったとの言及はないようだ。
2回目の調査では特に巨人の遺骸は発見されなかったことから、彼らの中に個体として巨人だった者がいたかもしれないが、シテカ族自体が巨人族というわけではなかったのかもしれない。
現在、ラブロックで発見されたオリジナルの遺物の多く(巨人は除く)は、ネバダ州ウィネマッカにある自然史博物館で見ることができる。アヒルの置物などのオブジェクトは、ワシントンD.C.の「スミソニアン博物館」に収蔵されており、籠や骨は「ネバダ州立博物館」に所蔵されている。巨人族がいたかどうかにかかわらず、ラブロック洞窟は考古学的文脈において重要な史跡であることに違いはない。
カリフォルニア大学の「フィービー・A・ハースト人類学博物館」が2005年に発表した研究論文では「ラブロック洞窟は、何年にもわたって破壊されてきたにもかかわらず、北米考古学の歴史の中で最も重要な遺跡の一つです」と言及されており、1984年には正式に史跡にも指定された。
はたして、3000年前にこの地に巨人族が暮らしていたのだろうか? そしてラブロック洞窟が彼らの“終焉の地”であったのか。この「ラブロックの巨人」に今後新たな展開が待っているのか、気に留めておいてもよいだろう。
【参考】
https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-13268797/giant-skeletons-sandals-nevada-cave.html
https://www.ancient-origins.net/ancient-places-americas/lovelock-cave-003060
仲田しんじ
場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji
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