密林に眠る南米ラタナバ遺跡/MUTube&特集紹介  月刊ムー2023年11月号

文=有賀 訓

    グラハム・ハンコックが語るヤンガードリアス文明の都か!? 定説とされてきた人類文明誕生期をはるか昔へシフトさせる、驚きの超古代歴史遺産を三上編集長がMUTubeで解説。

    ジャングルから見つかった幻の古代都市遺跡

     航空機によるLiDAR探査と、その画像データにもとづく追跡調査で「ラタナバ遺跡」の存在が明らかになったのは、昨年6月。このプロジェクトを計画実行したのは、これまで歴史・考古・地質学などの分野で実績を積んできた、ブラジル国内に十数か所の支部をもつという民間学術組織「ダキラ研究所」だった。調査対象地は、南米大陸の真ん中に位置するブラジル中西部の「マットグロッソ州」。この1州だけでも日本列島の2倍以上の広さがあり、18世紀から樹木の乱伐と農地開墾が続いてきたにもかかわらず、今なお半分以上の面積に熱帯雨林のジャングルが生い茂っている。
     2021年後半から始まった初期調査では2機のセスナを駆使し、レーザー照射に適した2000メートル前後の高度から各地を探査した。その結果、とくに人の立ち入りを拒む深いジャングル地帯が多いという同州の南部地域で、謎の画像パターンが捉えられた。それが、緑のベールに隠された道路網など、失われた古代都市らしき廃墟群……すなわちラタナバ遺跡だった。
     あらかじめ説明すると、マットグロッソ州の南部は国境線をはさんだ西側のボリビア領とともに大アマゾン河の源流域に位置している。筆者も過去に5回ほどボリビア側の源流域を訪れ、上空5000メートルからマットグロッソの雄大にして単調な風景を眺めたことがある。この地域は地平線の彼方まで緑の大森林と茶色のサバンナが広がり、中小河川が蛇の群れのように絡み合っている。地上から見た川の両岸沿いには乾期の水面から20メートル近くせり上がった、幅1~2キロメートルほどの台地がアップダウンをくり返して連なっている。これらの丘陵地形は、かつて内海だった南米大陸の中央部がアンデス造山運動とともに隆起し、長い年月をかけて雨期の強い水流が削り出したものだ。その浸食作用は今も続き、台地の縁回りから低地に向けて無数の谷筋と尾根筋が延びている。ラタナバ遺跡は、そうした複雑な丘陵ジャングル地形のひとつから見つかった。
     ただし、この大発見は決して偶然的なものではない。あらかじめ調査チームは、マットグロッソ州南部地域で語られてきた「大昔に巨人たちが森の奥深くに町を築いた」という伝承に注目していた。その幻の町の名が「ラタナバ」だが、もはや意味を知る者はだれもいないという。
     ダキラ研究所のサイト発表によると、これまでに計測したラタナバ遺跡の面積は約95ヘクタール(約1平方キロ)。その範囲内に掘られた碁盤の目状の水路が推定30か所の土地区画を囲い、さらに各区画内に敷かれた道路網の総延長距離は16キロ以上。ネット上に発表された1点のラタナバ遺跡画像を見ると、凹凸部分を強調するために上下の寸法を引き延ばしているが、元々かなり深く地面を掘り下げた様子がわかる。水路の幅も優に20メートルを超し、大型の船でも行き交えただろう。こうした全体構造から浮かび上がるのは、外部との行き来を主に舟に頼った古代水運都市の姿だ。この都市は、アマゾン河を経て大西洋にまでつながっていた。今では運河網の先は消滅しているが、むしろこの状態が、後ほど述べるラタナバの都市がフル稼働していた年代を探る手がかりになる。

    そびえ立つ巨大石塔と謎の地下トンネル

     これまで人跡未踏の大秘境と誤解されてきたアマゾン源流域に、失われた古代都市が栄えていたことを示す物証は運河網の痕跡だけではない。調査チームが最初に上空2000メートルから探知した“怪しい地上構造物群”のうち、低空からの追跡調査で圧倒されたのが、信じがたい高さにそびえ立つ「石組みの塔」だった。
     確認された最も高い石塔は71メートル、2番目が49メートル。それぞれ根元の幅は14メートルと7メートルで、天に向かって細長く突き出ていた。その四角錐型のデザインは古代エジプトの「オベリスク」にも似ているが、南北アメリカ大陸ではオベリスクの発見例はない。ラタナバ遺跡の2基の石塔は全体がツタ草などの植物で覆われ、ところどころに人工物と判断できるブロック状の石材が露出している。規則的に配置した窓やバルコニー、内部の階段へ続く扉らしき設備も残り、きわめて慎重にバランスを保ちながら石材を組み上げた様子がうかがえる。
     他にも遺跡の全域に緑の突起物のように見える中小の石塔が数多くあり、どれも1辺10メートル以上の石造建築の壁際または屋上から立ち上がっている。最も高い71メートルの尖塔の下にも豪壮な大型石造建築が横たわり、それは最も重要な宮殿か神殿かもしれない。
     もうひとつ挙げておくと、ラタナバ遺跡の建設者たちは、そびえ立つ石塔だけでなく「地下空間」にも強いこだわりがあったようだ。なぜなら、直径10~20メートルの円い縁部分を石材で補強した深いタテ穴、地下トンネルの出入り口らしきものが、遺跡のあちこちに残っているからだ。今のところ、運河で四方を囲った地上区画をつなぐ橋の痕跡は見当たらないので、深い地中に移動用の通路を築いた可能性もある。南米各地の考古学調査が進むにつれて、先住民文化の拠点に建つ大多数の神殿地下には、何キロもの長いトンネルが掘られた事実が明らかになった。その背景には地下世界を支配する神々や精霊への信仰が関係していたようだが、ラタナバ遺跡にも共通した神秘思想があったのだろう。
     ところが、中南米の古代建築物を代表する広い基壇上に石材を何段も重ねた「階段式ピラミッド」は、ラタナバ遺跡にはただの1基も見当たらない。その代わりに情熱を注いだのが、より難しい工事技術が必要な巨大石塔だった。このブラジルの秘境に眠る特異な都市を築いたのは、いったいどのような人々だったのか? ここで重要になるのが、いよいよ「年代」についての謎解きである。
     ラタナバ遺跡の1平方キロという空間スケールは、それだけでも十分に古代都市と呼ぶに足るものだ。しかし残された運河と石造建築物のスケールから考えると、最盛期の都市面積はもっと広く、周辺の丘陵地にまで及んでいたに違いない。前節で述べたように、かつて現在の遺跡範囲1平方キロから外側にあった運河網と丘陵地は、長い年月のうちに激しく浸食され、昔の全体像の復元は不可能だろう。
     問題は「長い年月」の意味するところだ。アマゾン源流域の地形は、今も雨水と河川氾濫によって姿を変えつづけている。その浸食スピードに筆者も以前から関心があり、アマゾン取材のたびに、現地の大学研究者、地方行政関係者、先住民農家などに意見を求めた。具体的には、蛇行する川の流れが変わり、岸辺が崩れて孤立した「三日月湖」ができるまでの一般的な年数をたずねたのだ。しかし、それぞれの答えは最短数か月から最長1000年と幅が大き過ぎ、とても納得できるものではなかった。

    続きは本誌(電子版)で。

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