江戸の獣人UMA!?武士60人がかりで仕留めた凶悪怪獣の伝説/大江戸怪獣録
江戸時代は、じつに多くの絵が描かれた時代だった。そうした史料にはUMAなのか妖怪なのか、何を描いたものなのか判別しがたい「奇妙な絵」がある。それら「大江戸怪獣」をひろいあげ、令和の世に送り出そう。
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今年、53年ぶりに地元に帰ってきたヒバゴンの足跡。これを好機と捉え、現地を取材し、かつての騒動をもう一度検証した筆者。そこで見えてきたヒバゴンの正体とは?
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1970年代に広島県庄原市西城町に現れたUMAヒバゴン。そのヒバゴンの足跡(の石膏型)が披露されるイベントが、2023年5月26日に現地でおこなわれた。
この日、53年ぶりに帰ってくるヒバゴンの足跡に町はお祝いムード一色だった。そして、ついに木箱に収められた足跡が私たちの前に現れると、盛り上がりは最高潮に達した。足跡の大きさは、全長21センチ、幅13センチである。
お披露目会には、当時ヒバゴンの捜索に入った神戸大学探検部の大磯ユタカさん、UMA研究家の中沢健さん、元類人猿相談係の恵木剋行さんらが参加した。
恵木さんによると、ヒバゴンの足跡の最初の発見は1970年10月5日、県民の森だった。発見の2日後に連絡があり、役所の類人猿相談係と警察署員が現地に出向くと石膏で足型をとった。だが、2日間のうちに県民の森の作業員が触れてしまったことで、この足跡は発見時と比べて歪んでしまっていた。
その約2か月後の12月16日、比和町吾妻山池の原でヒバゴンの足跡が発見されたと連絡があった。再び類人猿相談係と警察署員と出向き、今度は鮮明な足跡を採取することができた。
その後、ヒバゴンの足跡の石膏型は庄原警察署の所長室に置物の一つとして保管されていたのだが、このたび警察署の粋な計らいで西城町の観光促進に役立てばと、西城町観光協会に贈呈される運びとなったのだ。
足跡の発見と同時期、ヒバコンの目撃情報もいくつか登場しており、全身毛だらけ、2足歩行、人間くらいの大きさ、と複数の共通点があったことから、目撃されたのは同一の個体だと考えられている。
ヒバコンの登場以降、西城出身の人が都会に出た折に「私の故郷はヒバゴンの町です」と話すと、場は大いに盛り上がったそうだ。現在の西城町は過疎化が進んでいるが、都会に出た人たちと故郷の西城町をつなぐアイテムとして、ヒバゴンが重要な役割を担っているのは間違いないという。
UMA研究家の中沢健さんによると、ヒバゴンの足跡は北米のビックフットと比べると小さく、そのことが逆に真実味につながっているという。
また、かつて神戸大学探検部に所属していた大磯さんは、ヒバゴンの新聞報道を見てすぐに調査隊を組織し、現地へと向かったと当時を振り返る。調査隊は1970年9月に予備調査として現地の聞き込みなどを行い、10月に本調査として柚木を中心に調査したという。
当時、調査隊は4人のヒバゴン目撃者から話を聞いたが、皆が心の底から怖がっていたという。調査初期から地元の人々は協力的で、新聞記者や学校の先生、駐在さんからも情報提供があり、この地域には何かがいると確信したそうだ。そのため、目撃者たちが嘘をついているという声を聞くと非常に悲しい気持ちになるとのこと。
その後、調査から長い年月を経て自分の中でもヒバゴンの存在は薄れていたが、数年前にラジオ放送でヒバゴンの目撃から50周年を迎えることを知った大磯さん。西城町の風景を思い出して懐かしさのあまり観光協会に連絡し、それがきっかけとなり、50周年記念のパンフレットに登場したり今回のお披露目会に出席する運びとなったそうだ。
さて、ご存知ない読者のためにUMAヒバゴンの特徴について、ここで確認しておこう。
ヒバゴンは身長1.5~1.6mのわりに体重80~90kgとガッシリした体つきで、顔は逆三角形、目は大きくギョロッとしている。全身は黒に近い茶褐色、または灰色の毛に覆われ、頭の毛は逆立っている。前屈みで歩き、手が長いなどの情報もあるが、人に危害を加えたという記録はないという。
ヒバゴンは、山中で目撃されることが多い。50年前は植林が進められており、木々は植えたばかりで背丈が低かったので現在より見晴らしがよかったことも関係しているのではないだろうか。
そして特に不思議なのは、ヒバゴンが限られた期間に、限られた地域で目撃されている点だ。既存の生物の見間違えであれば、他の地域での目撃報告もあるはずだし、目撃報告が絶えることはないはずではないか。また、目撃者の多くは現地に暮らす大人であり、野生動物は普段から見なれている人々だ。よく言われるニホンザルの見間違いなどではなく、やはり未知の生物がいたのではないか。
2023年5月27日、筆者は実際にかつてヒバゴンが目撃された現場へと足を運んで調査した。
ヒバゴン騒動当時に比べて道幅は広く整備され、木々も植林された当時と比べると立派に育っている。現在は健全な森林保全のため、木々を伐採し薪を作る活動がおこなわれているほどだ。
まず、最初の目撃報告がある現場へと向かうことにした。
1970年7月20日の午後8時頃、六野原ダム付近で農業を営む男性が軽トラックで帰宅途中、道路を謎の生物が横切って山に逃げこむのを見たとされる場所だ。その生物は、サルにしては身体の大きすぎる獣だったという。しかも、逃げ込んだ山の斜面の雑木や雑草は力強く踏み倒されていたのだ。
現在も、六野原ダム付近には逃げ込んだ斜面がそのまま残っており、目撃当時の緊張感を感じることができた。
次に、2番目の目撃報告があった場所へ。
1970年7月23日の朝5時半頃、最初に目撃された六野原ダムから300mほど離れた場所で、農業を営む男性が草刈り中に「ドスーン」と大きな音がしたことから見てみると、異様な生物がいた。男性は、恐怖から急いで家に逃げ込んだという。
その出現場所を調査したところ、やはりかつて植林がおこなわれていた場所だった。もともと大自然であった場所に林業や森の開発が始まり、ヒバゴンに何かしらの影響を与えたのかもしれない。
そして、3番目の目撃報告があった場所へ。
1970年7月30日の午後8時5分頃、目撃者は田んぼに水を引き入れようと水門に向かう途中だった。すると約20メートル先のあぜ道を、人影のようなものが歩いていた。親戚のおばさんだと思い、近づき「気をつけんとあかんよ」と声をかけたが、返事がない。そこで顔を覗き込むと、なんとゴリラそっくりだった。恐怖と驚きのあまり、その場から一目散に逃げ、軽トラに乗って100mほど先の親戚の家へと飛び込んだという。
しかし、目撃現場へと調査に行った筆者は、さらに驚くべき話を聞かされることになる。
3番目の目撃報告があった現場は、のどかな田園風景に民家が3軒点在している。目撃者の分家にあたる近所のお婆さんに会うことができ、さっそく取材を行った。ご自身はヒバゴンを見ていないとのことだが、叔父(目撃者)に本当に見たのかと聞いたところ「疑っているのか」とひどく怒られたという。
お婆さんは、ヒバゴン騒動の当時を振り返り「当時はいろんな人が来て本当に大変でした」としみじみ語る。メディアの人達が、夜も山の中をライトで照らしてヒバゴンを捜索していたので、逆に人間の方が怖かったそうだ。
さらに、驚くべき話が続く。お婆さんが明治時代生まれの祖母からよく聞いた話だが、昔は山に入るとよくツチノコを見かけたという。山に行く時は、タバコが吸えない人でも持って行き、ツチノコが出たら火を着けて煙で追い払ったそうだ。
さらに、現在も大蛇が山の水源地に棲んでおり、時折姿を現すという。ある日、高齢になった叔父さん(ヒバゴンの目撃者)が整備の仕事を後任に任せる事になったが、引き継ぎの時に叔父さんは「あそこ(水源地)には、大蛇がいるから気をつけな」と警告した。当初、後任者は冗談だと思っていたが、実際に行ってみると緑色の大蛇に出くわしたそうだ。
こんな話もある。お婆さんの夫がお客さんに山を案内した時、近道だったことから大蛇の出る水源地を通った。山に不慣れな人ばかりなので途中で休憩を取ったが、その場所にはいくつもの丸太があり、みんなで座ることにした。すると、夫は「それは大蛇だよ」と言い、みんなはビックリして離れたという。そして改めて丸太に目を向けると、五色に光る不気味な大蛇の体の一部だったそうだ。
次に筆者は「県民の森」へと向かった。
施設の造成工事が始まると同時にヒバゴンの目撃が相次ぎ、1970年にヒバゴンの足跡が発見される事件が合計4回起きた場所であることから、この森はヒバゴンとの関係性が疑われてきた場所だ。
「県民の森」を運営する株式会社アグリヒバゴンの支配人である伊折直人さんに取材をする事ができた。
伊折さんはヒバゴン騒動の当時、まだ小学生だった。不測の事態に備えるため、生徒はみんなで集団下校していたが、怖がっているのは大人ばかりで、子供だった自分は内心「ヒバゴンを見たらヒーローになれる」と考え、午後7時頃まで遊んで暗くなってから帰宅して怒られることも多かったそうだ。
実際に伊折さんがヒバゴンと遭遇することはなかったのだが、西城町には不思議な話が多いという。
伊折さんは「巨大なアオダイショウだと思うが」と前置きした上で、丸太と見紛うほど太い大蛇はたしかに存在し、水源地に一人で行ってはいけないと幼い頃から言われてきたらしい。また、約30年前には山で公務員が体長約1mもある巨大ウサギを目撃しているという。さらに、広島県ではすでに野生のリスは絶滅したと考えられていたが、最近になって(自身も含め)目撃が相次いでおり、新聞でも報道されたとのこと。伊折さんは笑顔で次のように言った。
「もしかすると、50年くらいのサイクルで生物が復活することがあるのではないか――。そう考えるとヒバゴンが復活する時も近いのかもしれませんよね」
このように、現地を取材してヒバゴン以外にも数多くの未確認生物の興味深い情報を得ることができた。西城町には、未知の生物が生息できる秘密があるのではないだろうか?
実は、この地域では近年多くの新しい生物が発見されている。ヒバゴンの名前がついた新種の昆虫、「ラトロビウム ヒバゴン」はハネカクシ科の昆虫だ。ハネカクシは、カブトムシやクワガタムシなどと同じコウチュウ目に含まれる昆虫の一群である。この名は、ヒバゴンが暮らしていけるような豊かな自然が末永く守られてほしいとの願いを込めて研究員がつけたそうだ。
2020年6月には、「ヒバヤマヒメコバネナガハネカクシ」が発見された。さらに、2022年には新種のサンショウウオ「ヒロシマサンショウオ」と「ゲイヨサンショウオ」が発見された。この地域は自然が豊かで、まだまだ未発見の生物が潜んでいる可能性があるのだ。
ところで、日本では昔から各地で大ザルの目撃報告があり、新聞にも記事が掲載されることがあった。
1890年8月31日の読売新聞では、現在の宮城県大崎市で大ザルが民家に侵入して食べ物を漁り、住民を負傷させた事件を伝えている。大騒動になり、サルを退治しようと捜索が開始され、柿の木に隠れているところを槍で仕留められた。
1932年2月7日、同じく読売新聞の記事では、現在の群馬県甘楽郡の山中で猟をしていた男性が、熊のような獣が近寄ってきたことを察知して身構えていたところ、「キーキー」と鳴きながら大ザルが襲いかかってきた。男は胸めがけて発砲し、大ザルは痛手を負った。
そして実は、広島県内でもヒバゴン以外の大ザルの目撃情報がある。それは、ヒバゴンの目撃が多発した庄原市西城から70kmほど南下した福山市駅家町坊寺という場所でのこと。ちなみに、この福山市は1980年10月20日に、ヒバゴンと同一種と思われる「ヤマゴン」が出没した場所でもある。
1913年、自宅庭で仕事をしていた男性が、古い柿の木の上から人間でもサルでもない生物が降りてくることに気づいた。それは身長約1.6m、顔も人間と変わらない大きさだが、全身が銀色の毛で覆われている大ザルだったという。
大ザルは柿の木から降りると2本足で立ち上がり、それを見た男性は驚いたが大ザルの方も驚き、しばし睨み合いが続いた。その後、大ザルは逃げだしたが地域をあげた大捕物に発展。追い回すうちに、大ザルは民家のトイレに逃げ込んだところを捕えられた。
やがて、その大ザルは「坊寺の大ザル」と言われるようになったが、旅の人に買い取られていった。売れた分のお金は、捕獲の際に「坊寺の大ザル」が逃げ込んだ民家近くにある朝倉神社のために使うことになった。そして、高さ3mほどの注連柱(しめばしら)が2本建ったそうだ。
それから数年が過ぎたある日、「坊寺の大ザル」を呼び物にした見世物小屋が福山市にやってきた。駅家町からもたくさんの人が見に行ったが、体も小さくまったくの別物だったという。
では、「坊寺の大ザル」はなぜこの町に現れたのか? 当時、遠くの山で軍隊の演習があり、居場所がなくなって町へと辿り着いたのではないかと考えられている。
今回、筆者は「坊寺の大ザル」話の舞台である福山市駅家町坊寺にも実際に足を運んでいる。
実は、現地の民家には今でも大ザルが逃げ込んだトイレが残っている。当時捕り物に関わった人物のお孫さんで、今はこの民家を管理している人物は筆者に次のように語った。
「確かに、大ザルが捕獲されたお話は聞いています」
「子供の頃、お婆さんやお父さんから大ザルの話を聞いてトイレに入るのが怖かったです」
「久しぶりに、なつかしいい話が出きて、うれしい」
前述の通り、(60年の開きがあるが)「坊寺の大ザル」はヒバゴンと同じ広島県に現れ、ヒバゴンと同様に柿の木の近くで初めて写真に撮影された。しかも、両者ともニホンザルよりかなり大きく、素早く逃げるなど共通点が多い。やはりヒバゴンとの関係性を疑うべきではないだろうか。
1877年、東京都品川区でアメリカの動物学者E・S・モーリスによって大森貝塚が発見された。この貝塚は約3000年前の縄文時代後期の遺跡だが、数多くの出土品とともに、今のニホンザルとは明らかに違う大ザルのものらしき顎の骨が発掘された。
モーリスは、この骨を日本伝承の猿神や狒々(ひひ)に通じる物と考えたそうだが、実は日本の縄文時代には現在途絶えてしまった大ザルが存在したのではないだろうか。
そして大ザルは一部のニホンザルと交配し、その遺伝子が今のニホンザルに受け継がれているとしたら――つまり、ヒバゴンにしても「坊寺の大ザル」にしても、ニホンザルの特定の個体で“先祖返り”が起きた結果だったとは考えられないだろうか。
先祖返りとは、数世代以上にわたって現れなかった特定の形質が、子孫に再び現れる現象である。1970年代は環境問題、都市開発が急ピッチでおこなわれ、日本全国で大気・海洋汚染が問題になった。庄原市でも林業促進政策によって多くの山に杉の木が植林されている。しかも、レジャー施設として山を切り拓いて建設された「県民の森」が、まさにヒバゴンの目撃の中心地になっている。
何らかの環境変化が引き金となり、これまで沈黙していた大ザルのDNAが目覚め、先祖返りが起きた結果としてヒバゴンが誕生した――筆者にはそんな風に思えてならないのだ。
ヒバゴン騒動から50余年、地球温暖化とそれに伴う異常気象は危機的状況を迎えている。突然変異的にヒバゴンのような大ザルが再び現れる日もそう遠くないかもしれない。
おかゆう
オカルトライター。現地取材が好き。一般社団法人 超常現象情報研究センター、つちのこ学会所属。
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