なりすまし事件と富士山噴火の真相ーー漫画家「たつき諒」が未来予言を語る!/中村友紀
1996年に発売された漫画『私が見た未来』。東日本大震災の日を的中させたとして、インターネットの世界では大きな話題となった。その作者であるたつき諒氏が、20年の沈黙を破り、自らの予言や予知夢について解
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名女優マリリン・モンローが所持していた「秘密の日記」の謎に迫る。JFKとも関係したマリリン・モンローは、UFOと異星人の関係を書き残していたーー。
セックスシンボルとして世界中を魅了したアメリカの女優、マリリン・モンロー。1962年、36歳の若さで世を去った彼女の死因は、睡眠薬の主成分であるバルビタールの過剰摂取による急性中毒死とされている。だが、自殺と断定するにはあまりに不可解な点が多く、死の真相については数多くの仮説が唱えられてきた。
実は、謎を解く鍵を握るといわれるものがある。モンローが“秘密の日記”と呼んでいた「赤い手帳」だ。だが、日記替わりにしていたこの手帳が彼女の死期を早めたとされているのである。
なぜか?
実は、モンローが手帳に書き残していたのは日々の出来事だけではない。当時のアメリカ政府の機密事項、さらには国家の根幹を揺るがす不都合な真実まで記されていた。それゆえ、情報の流出を恐れる者の手で亡き者にされたという噂が囁かれているのだ。
実際、彼女の死後、赤い手帳は行方不明となっている。この事実こそ主張の論拠であり、同時に謎を解く鍵とされる所以だ。だとしても、なぜモンローは機密情報を知り得たのか? なぜ消されなければならなかったのか? 本稿ではそのミステリアスな死の真相を追い、事件の背後にある闇の存在を明らかにしていきたい。
マリリン・モンロー(本名ノーマ・ジーン)は、1926年6月1日、カリフォルニア州ロサンゼルスの母子家庭に生まれた。19歳でモデル活動を始め、終戦後に20世紀フォックスから女優デビュー。下積み時代を経て、『紳士は金髪がお好き』や『七年目の浮気』の大ヒットで、名実ともにトップスターの仲間入りをした。
だが、華やかな女優業とは裏腹に、私生活は順調ではなかった。3度目の結婚をした1956年ごろから、モンローは精神的に不安定な状態に陥るようになったのだ。睡眠薬に頼り、精神病院に入院することもあった。その最中、彼女の運命を変える出会いが1959年(諸説あり)に訪れる。ときの大統領、ジョン・F・ケネディとの邂逅である。
ケネディの妹パトリシアの夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラを介して出会ったふたりは、たちまち恋に落ちる。ほどなくして、マリブ海岸のビーチハウスやニューヨークの大統領専用ペントハウスで逢瀬を重ねるようになり、ケネディにとってモンローは文字通り特別な存在となった。
気を許したケネディは、ベッドで愛を囁くだけでなく、内政事情や国家機密まで彼女に話していた。一方のモンローは、愛の証として大統領との会話すべてを手帳に書き残していたのである。
モンローに溺れる大統領を見かねたFBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーは、彼にある忠告をする。それは“ビーチハウスにマフィアの盗聴器が仕掛けられ、ふたりの情事が録音されている可能性がある”というものだった。
実は、ケネディ家はマフィアと繋がりが強く、彼らの後ろ盾で大統領選に勝利したといわれている。だが、ケネディ政権で司法長官に就任した弟のロバート・ケネディはマフィアの取り締りを強化。これに対し、大統領とモンローの関係を知ったマフィアのサム・ジアンカーナが、取り締まり緩和の取り引き材料にしようと周囲を嗅ぎまわっていたのだ。
現役大統領と人気女優の不倫関係が露呈すれば、アメリカは国としての威信を失い、ケネディは反逆罪に問われる可能性すらある。フーヴァーはそれを憂慮したのだ。これがきっかけとなり、ふたりの関係は終焉を迎えることになった。
しかし、諦めきれないモンローは、ホワイトハウスへ何度も電話をかけ、何通もの手紙を出す。大統領は、弟のロバートを仲裁役に収拾しようとしたが、あろうことか弟もモンローと関係をもってしまう。そして、ロバートとの関係も破綻したことで、彼女の精神状態はいっそう不安定となる。薬物とアルコールに依存し、その影響で主演映画からの降板を余儀なくされた。
それでも断ち切れなかったモンローは、1962年8月6日に記者会見を開き、すべて暴露することを決意した。
だが、前日の午前3時30分、ロサンゼルスの自宅でモンローがうつぶせで倒れているところをメイドが発見。かけつけた主治医によって死亡が確認された。右手に電話の受話器が握られたまま、サイドテーブルには睡眠薬の瓶が転がっていた。受話器を握っていたにもかかわらず、前日から死の直前までの通話記録すべてが抹消されていた。
同時に彼女が常に携えていた手帳も消失していたのである。
通話記録や手帳の行方以外にも謎は多い。
そのひとつが、彼女を死に至らしめた睡眠薬の摂取法だ。監察医のトーマス・野口博士は、死因は睡眠薬に含まれるバルビツールの過剰摂取による中毒死と断言している。だが、胃の中からは錠剤類の残留物は検出されておらず、現場からも経口摂取のためのコップやボトルも発見されなかった。つけ加えれば、注射器類を使用した痕跡もない。だとすれば、どうやって致死量の睡眠薬を摂取したのか? これについて博士は、結腸に鬱血と紫色の変色があることから、睡眠薬カプセルの中身を水に溶かし、肛門から投与したと推測している。
ただし、それを行ったのはモンロー本人ではない可能性が高い。なぜならば、外景所見で彼女の背中、腕、脚の裏側に圧迫された跡が認められたかだ。つまり、何者かがモンローを押さえつけ、肛門から薬を投与したのかもしれないのである。
不審に思った野口博士は検査の継続を申請したが、すでに臓器が処分されていたばかりか、手を引くよう上から圧力を受け、うやむやのうちに検視は終了した。だが、就眠前に必ず閉めていたカーテンが開いていたというメイドの証言もあることからも、モンローの部屋に侵入者がいた可能性は高い。だとすれば、いったい何者なのか。
実は、1990年代、モンローの死に関する調査をしていたジャーナリストのミロ・スぺリグリオという人物が、情報開示法で公開されたCIAの資料の中から、ある極秘文書を発見している。その文書とは、モンローの電話の盗聴報告書だ。
1962年8月3日、モンローが亡くなる数日前に提出された文書で、親密な関係にあったケネディ兄弟が、「大統領による、宇宙からきた物体を調査する秘密基地の視察」を含む重大な機密情報を彼女に漏らしていたことが記録されていた。
さらに、モンローの友人でジャーナリストのドロシー・キルガレンとの電話のやり取りの中で、一部始終を書き留めた“秘密の日記”があり、その内容を記者会見で公表し、同時に新聞で公開するとモンローが打ち明けていたこと、「“大統領の秘密基地の視察”とはロズウェルに墜落したUFOに関するものでは?」とキルガレンが指摘したことまで明記されていた。
報告書に対処策の記述はないが、記者会見の情報を摑んだCIAが口封じに動いた可能性は高い。つまり、この機密文書の存在は、モンローの死とCIAの関与を結びつける状況証拠だといえる。口封じの目的はただひとつ、“赤い手帳に記された国家機密”の保護だろう。
気になる手帳の中身だが、漏れ伝わる情報では「政府と軍が墜落したUFOと異星人の死体回収事件の調査事実」「人類を月に向かわせる計画どころか、すでに異星人が地球に侵入している事実」「その事実確認のための秘密基地エリア51の訪問日程」、そしてのちに実行された「JFK暗殺を目論む人物の名前」などが克明に記されていたという。
当然ながら、この文書についてCIAは反応していないが、関与を疑われる状況証拠はいくつもある。その筆頭となるのは、いうまでもなくケネディ大統領の暗殺だ。事件の真相については諸説あるが、注目したいのは当日に予定していた演説の“遺稿”である。
それが地球外生命体との共存を訴える内容であることは有名だが、UFO問題の情報開示は一大統領の意思で決定されるべきではない、国家レベルの問題だ。大統領自身が読み上げたときの影響力を懸念し、国の番人であるCIAが手を下しても不思議はないだろう。
さらに、モンローの友人であるドロシー・キルガレンも実に不可解な死を遂げている。彼女は友人の死の真相とともに、ケネディ暗殺事件も独自に調査していた。“実行犯”オズワルドを殺したジャック・ルビーに接見し、事件の報告書に公然と疑問を呈していたのだ。
だが、その調査報告をテレビ番組で公表する1週間前、1965年11月8日、自宅で死亡が確認された。バルビツールとアルコールを同時服用したことが死因とされるが、詳細は不明。死の直前、彼女は「事件の真相にたどり着けそうだ」と周囲に語っていたことから、謀殺の可能性が指摘されている。
彼女と番組で共演予定だった元キューバ大使夫人のフローレンス・プリチェット・スミスは、ドロシーの死から2日後に怪死を遂げている。夫人は、当日公表される資料のコピーを渡されていたが、死後それが発見されることはなかった。そして1968年、弟ロバート・ケネディ暗殺。大統領選の最中に起きた暗殺事件は兄以上に不可解な点が多く、政府筋の隠蔽工作が疑われているのは周知の通りだ。
マリリン・モンローとケネディ大統領──。さらに、ふたりの秘密にかかわった人物がみな不可解な死を遂げている。これらすべてが謀殺であれば、事後の証拠隠蔽、情報操作を含めて実行できる組織はCIA以外に存在しない。この事実が何よりの“状況証拠”であろう。
ちなみに、2017年、CIA元職員のノーマン・ホッジスという人物が、政府の指示でモンローを殺害したと証言し大きな話題を呼んだ。しかし、この告白には不審な点が多く、CIAの情報攪乱の一環だった可能性がある。
ホッジスいわく、赤い手帳にはわれわれが知りたい“真相”が記されているという。
しかし、手帳が失われている以上、すべての謎を解くことは難しい。没後約60年がたとうとする今でも事件に潜む闇は深いままなのだ。
並木伸一郎
「ムー」創刊当初から寄稿するベテランライター。UFO研究団体ICER日本代表、日本宇宙現象研究会(JSPS)会長などを兼任。ロズウェルやエリア51をはじめ現地調査を重ねて考察し、独自の仮説を「ムー」や自身のYouTubeなどで発表している。
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