<体験談>数十年前に出会った女児の遺品起こった不思議な出来事
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◆大川祥子/東京都
現在、私は医療に携わっています。これは、そんな私が30年以上前に東南アジアのとある島に旅行に行ったときの話です。
まさかあの旅行から何十年もたったのち、こんな体験をするなど思ってもいませんでした。
島内の道端で老婆が泣いていました。まわりにはおおぜいの人たちが集まっています。
老婆の住まいと思われる家はドアが開けっぱなしで、道端から家の中が丸見えです。
家の中では父親らしき男性が小さな女の子を抱えながら泣いています。女の子はぐったりしています。
母親と思われる女性も扇で小さな女の子を仰ぎながら泣いていました。
私は家のまわりに集まっている人に話しかけてみました。
「いったいどうしたのですか?」
僧侶と思われる男性がいうには、
「10歳の娘が悪性の病にかかり、今にも死にそうだ。しかし貧乏なため、医者にかかることができない」
とのことでした。
私は娘を抱いている父親に近づき、
「よろしければ診察したい」
と、申しでてみました。
私の専門は内科系のため、小児科は専門外です。しかし、居てもたってもいられません。
診察の結果、栄養失調と下痢に加え細菌性の感染症と、子供がかかりやすい病気が合併していると考えられました。
幸い私が携行した荷物の中に抗生物質が含まれています。
今さらながら身分を名乗り、
「危険な状態なので病院へ」
と、勧めるものの聞きいれてもらえません。
そこでご家族の同意の下、白湯で抗生剤を服用させるとともに白湯を定期的に飲ませるよう指示しました。
12時間後には解熱が始まり、顔には生気が戻ってきました 下痢が治まってきた段階で粥を少しずつ食べさせるように伝え、旅程を終えた私は帰国しました。
それから1年後、私の勤務している病院に海外から船便が届きました。
同封されていた手紙には、1年前に診察したことに対するお礼が英語で書いてあります。悲しいことに、あのときの女の子は不慮の事故で亡くなったと記されていました。
手紙といっしょに、女の子の火葬の際の写真と遺品の形見分けが入っています。
せっかく送ってくれたものとはいえ、それらの品をどうしたらよいものか。とりあえず医局のロッカーにしまいこんだまま月日がたってしまいました。
ある日、医局付きの秘書から、
「先生のロッカーから異臭がする」
と、いわれました。
ロッカーを開けたところ、例の形見分けの遺品が黒く焦げてまわりにも燃えうつった跡がありました。
東南アジアに詳しい人がいうには、火葬の葬列と形見分けは非常に重要な儀式であり、恩人や親戚、関係している皆がその形見分けを受けるそうです。そして形見分けの品は定期的に供養しないと思わぬことが起きる、ということでした。
それを聞いた私は、大使館関係の人に事情を話し、遺品を引きとってもらうことにしました。
今回の異臭騒動は、やはり亡くなった子と何か関係があるのでしょうか。
(本投稿は月刊『ムー』2025年7月号より転載したものです)
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