〈ご当地ミステリー〉卑弥呼の「聖なる島」の考察
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◆ヒミコ
「ムー」1月号の「幻の邪馬台国は沈没した!!」の内容は興味深かった。
女王卑弥呼が君臨した邪馬台国。その場所は今も謎に包まれている。それでも所在地の有力な説は、大和(奈良)説と九州説のふたつに絞られるという。ただ、具体的な場所はまだ見つからないとされる。
しかし、今回の記事では、邪馬台国は北部九州沖に浮かぶ島で、7世紀末に地震で海没した可能性があるとしている。だからこそ邪馬台国の遺跡は陸地からは発見されないということらしい。
では邪馬台国はどこにあったのか?
大分県国東半島北部の岬には、粟嶋神社という小社が建っている。この神社の真北の海上に、邪馬台国の聖なる島=知訶島があったとされる。
実際、この神社の社前には邪馬台国とのつながりを示唆する由緒書きが掲げられているという。そしてこの神社の背後にある岸壁には丸い穴が開いていて、その向こうには青い海が広がっているらしい。
かつて邪馬台国の人々は、この岩穴を通して、知訶島を拝していたと考えられているようだ。
さらに、この知訶島の推定地から東に15キロほどの海域には、今も姫島という小島が存在するという。
ここで『邪馬台国は沈んだ』の著者、オリエント史研究家の大羽弘道氏の仮説を紹介させていただこう。
・邪馬台国は行政上の政都と女王が祭祀を行う聖都に分かれていた。
・邪馬台国の政都は、古くから「」という地名で呼ばれた京都平野(福岡県行橋市付近)にある。
・邪馬台国の聖都は、この京都平野と向き合うように東方海上にあり、近くには姫島がある。
・『古事記』の国生み神話によると、イザナギとイザナミは九州国東半島沖に姫島を生み、次に知訶島を生んだ。知訶島は「霊の存在する島」「神聖な島」の意味で、邪馬台国の女王がいた「聖なる島」を表す。
・『古事記』『日本書紀』の神話には、邪馬台国の歴史が投影されている。例えば、山幸彦が豊玉姫(海の王女)と海神の宮(聖なる島)で結ばれる物語は、邪馬台国の女王の「聖なる島」を暗示する。
・『日本書紀』によると、天武天皇7年(678年)、同13年(684年)10月に起きた一連の大地震により、邪馬台国の聖都・知訶島は海没する。
このように、この仮説には今回の記事を裏づける詳細な内容が記されている。
じつは聖都・知訶島は粟嶋神社の真北の海上と京都平野の真東の海上が交わる場所にあったことがわかる。
また、山幸彦と豊玉姫の物語から、浦島太郎が竜宮城で乙姫にもてなされる場面を思い出した。以前から竜宮城は宗教施設ではないかと考えていたので、卑弥呼がいた「聖なる島」のイメージとも重なった。
ほかにも古代中国の太伯という人物の伝説も興味深かった。元は王族の太伯が、わけあって長江沿い(江南)の漁労民のリーダーとなる。その太伯の子孫が船で海を越え、九州に渡り、倭国の小国家を作ったという話である。
だとすれば、邪馬台国の卑弥呼も海に関わりの深い太伯の子孫だった可能性がある。
じつは卑弥呼がいた海に浮かぶ「聖なる島」は、山幸彦と豊玉姫や、浦島太郎の物語のモチーフになるほど、後の日本にはない斬新な憧れの場所だったのではないか。
(本投稿は月刊『ムー』2025年6月号より転載したものです)
<編集部より>
姫島には七不思議が設定されるほど謎があふれているとか。現地取材したいですね。
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