70年代っ子たちの「超能力体験」とその修行/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

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    昭和キッズたちが「超能力」にハマったきっかけといえばあのユリ・ゲラー……かと思いきや、さにあらず。念力、エスパー、超能力者といったものへの憧れは、マンガやアニメを通してもっと前から培われていたのだ。

    ユリ・ゲラー騒動以前の「超能力」

     僕ら70年代っ子が「超能力」という言葉を口にするようになったのはいつごろからなのだろう? それはもちろん1974年、『木曜スペシャル』でユリ・ゲラー特番が放映されたとき……と答えてしまいそうになるのだが、よく考えてみればそんなことはない。

     僕ら世代はすでに73年に「超能力少年」が主人公のアニメ『バビル2世』を見ていたわけで、エンディングの歌の「サイコキネシス、テレパシ~」といった専門用語(?)も耳になじんでいた。「テレキシネス」「テレポーテーション」「クレヤボヤンス」が解説される『ドラえもん』のエピソード、「エスパーぼうし」が学年誌に掲載されたのは1970年のこと。60年代後半から「超能力者」はマンガやアニメで活躍していたし、特に印象的だったのは、映画『ミクロの決死圏』を子ども向けにアレンジした米国製アニメ『ミクロの決死隊』だ。ターバンを巻いた「超能力者」が毎回「ネンリキ~」と唱えながら「テレキシネス」を発揮していた。アニメが国内放映された73年頃、この「ネンリキ~」は子どもたちの間でちょっとした流行語になっていた。

     70年代後半くらいまでは「超能力」全般のことを「念力」と称する傾向もあって、スプーン曲げの流行を伝える新聞の見出しなども「世は空前の念力ブーム!」みたいなものが多かったと思う。そういえば、78年のピンク・レディーのヒット

    「透明人間」にも、この「念力ブーム」というフレーズが登場する。
     ユリ・ゲラー特番で「超能力ブーム」は子ども文化においても大爆発を起こすが、すでに下地はできていて、多くの子どもたちが「超能力者」に憧れを持っていたのだろう。

    アメリカのアニメ『ミクロの決死隊』。僕ら世代にはおなじみのSF映画『ミクロの決死圏』同様、特別医療チームがミクロ化して人体内部に入り込み、難病を治療するという物語だが、子ども向けにさらに荒唐無稽な冒険が展開する。右から二番目のターバンを巻いたキャラ「グル」が超能力者という設定。

    ユリ・ゲラー特番の衝撃

     僕はといえば、特番で行われたあの有名な実験、「ユリ・ゲラーがテレビを通じて念を送り、あなたの家の壊れた時計をなおすっ!」という企画で、何年も前に壊れた祖父の自動巻き腕時計が突然動き出した瞬間から、完全に「ゲラー信者」になっていた。
     当時はこういう子どもが全国に無数にいたわけで、この「壊れた時計がなおった!」という体験は僕ら世代にとっては典型的な「超能力ブームあるある」だ。今では笑い話としてしか語られないだろう。

     当時から超能力否定論者たちは、新聞や雑誌などで「動かなくなった時計はちょっとした振動を与えれば動きだすことが多い」と解説していた。また、「古い時計が作動しなくなる主な原因は歯車に付着した油の凝固。しばらく手で握っていれば体温で凝固した油が溶け、再び作動するのはあたりまえ」という解説も盛んに語られていた。

     当時の僕はこれらの説にはまったく納得できなかった。今の僕は超能力には懐疑的だし、とっくの昔に「ゲラー信者」ではなくなっているのだが、それでもこの「種明かし」には今も納得できない。壊れた時計が「揺すったらなおった」「手で握ったらなおった」などということは、それほど「あたりまえ」なのだろうか? 少なくとも僕にとって、こういう経験はあのときの一度だけである。だからといって「ゲラーの念がブラウン管を通じて届いた」などとは思っていないが、とにかく幼い子どもにとって、あのときの「うわ、本当に動いた!」という衝撃はトラウマに近い体験だった。訳知り顔の大人たちが鼻で笑いながら「あたりまえ」と解説したところで、体感してしまった衝撃はそう簡単には薄まらないのである。

     ともかく、あの特番は無数の「超能力」ビリーバーを生み出し、多くの子どもたちがおなじみの「スプーン曲げ」に熱をあげるようになった(ユリ・ゲラーが日本のテレビで最初に披露したのは「フォーク曲げ」だったが)。全国の小学校で給食の先割スプーンがグニャグニャに曲げられる「事件」が多発して社会問題になり、「スプーン曲げ禁止令」が発令される学校も続出する。

     ちなみに、給食のスプーンはもちろん超能力で曲げられたわけではない。当時の子どもたちは給食スプーンでテレキシネスを試してみるのだが、いくらやっても曲がらないと、イライラして結局「えいや!」と腕力で曲げてしまうのである。それを給食のおばさんたちが同じく腕力でもとに戻すので、多くのスプーンがクネクネと波を打っているような状態になってしまう。ウチの小学校の担任は、そうした波打った大量のスプーンを僕らに見せながら、「今度こんなことをやってる生徒がいたらもうスプーンは使わせません! 給食は手で食べなさいっ!」と怒り狂っていた。

    エスパー志望の子どもたちの教科書

     その当時の子どもたちのバイブルとなっていたのが、1974年に刊行された中岡俊哉のベストセラー『小学館入門百科29 ふしぎ人間エスパー入門』だ。本邦初の子ども向けの「超能力指南書」。座禅、体操、呼吸法などの基礎訓練や、ゲーム的な訓練プログラム通じて、「遠感知・未来感知能力」「念力能力」など、7種もの「超能力」を修得できるというものである(できないけど)。

     ウチのクラスで特に流行したのは、この本に出てくる「中岡式カード」を使ったゲーム風の遠感知能力・透視能力トレーニングだった。隠されたカードの図形を言い当てる、いわゆるESPカードを使った遊びだが、本書では一般的なゼナーカードではなく、中岡俊哉オリジナルの特製カードを使う(単に図形が違うだけなのだが)。僕らは本を見ながら画用紙で自作し、休み時間のたびに友達とカードの当てっこにいそしんだ。

    1974年刊行の『不思議人間エスパー入門』。「入門百科」シリーズ初のオカルト系入門書で、このヒットを契機に同シリーズにオカルト関連の巻が増えていく。おそらくユリ・ゲラー特番の前に書かれたもので、本書にはゲラー氏に関する記述はまったくない。期せずして絶好のタイミングでブームのピーク時に出版され、大ヒットを記録した。

     また、本書には訓練方法だけでなく、実在する超能力者たちの業績や、超能力にまつわるさまざまな事件などの記述も多かった。このなかで僕ら世代に多大な影響を与えたのが、1959年7月、原子力潜水艦ノーチラス号を使用した米軍の「テレパシー実験」の記事だ。原潜とアメリカ本土との間でESPカードを使った「テレパシー」の送受信を行い、その的中率は70%だった、という内容である。

     この話は当時の児童雑誌などでも盛んに取りあげられ、僕ら世代にとっては超能力の実在を示すもっとも有力な事例となっていた。「なにしろ米軍が本気で取り組んでるんだから、やっぱりエスパーは本当にいるんだよな」と考えた子どもが大量にいたのである。
     後にこれはデマだったということが定説になり、実験当日の記録では原潜ノーチラスは航海していなかったらしい。とはいえ、アメリカの情報公開法で公になった文書によって、実際に米軍やCIAは超能力研究・実験を何度も繰り返しており、昔から言われていた米ソ超能力開発戦争が本当にあったことも明るみに出ているので、単に「なぁ~んだ、全部ウソか」というオチにもならないのが超能力ネタのややこしいところである。

    中岡式ESPカード。普通のゼナーカードでもいいじゃないかと思うが、この独自の図形になにかしら意味があるのかも知れない。『ふしぎ人間エスパー入門』にはカードの作り方、訓練方法のルールなどが詳しく記述されている。単なるゲームとしてもけっこうおもしろいのだ。

     『エスパー入門』を片手に僕が夢中で超能力修行に取り組んだのは、おおむね3か月間くらいだったと思う。なんの成果もあげられないまま、それは突然に終わってしまった。

     集中力を高める基礎訓練のひとつに「コップ式トレーニング」というものがある。水を満たしたコップを頭上高く掲げ、こぼさないように歩き続けるというもの。ある日、これを真剣にやっている最中、子ども部屋に突然母親が入ってきた。「ちょっと、なにやってるの?」と真顔でたずねられ、言いようのない恥ずかしさでうろたえまくって「い、いや、あの、ええと……」とシドロモドロになってしまった。この屈辱的体験によって一気に現実に引き戻されて、僕の「超能力修行」は終了したのである。

    集中力を高める「コップ式トレーニング」。コップの水を一滴もこぼさないように歩く精神統一訓練である。『ふしぎ人間エスパー入門』の特徴は、こうしたちょっと和風というか、武道の鍛錬などに通じるオリエンタルな感じのトレーニング方法が多いこと。座禅や呼吸方法の訓練なども詳しく解説されている。

    (2021年10月21日記事を再編集)

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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