アメリカ史上唯一の霊による殺人「ベル・ウィッチ」事件をめぐる謎/テネシー州ミステリー案内

文=宇佐和通

    超常現象の宝庫アメリカから、各州のミステリーを紹介。案内人は都市伝説研究家の宇佐和通! 目指せ全米制覇!

    米国を代表する心霊事件の舞台

     米南部テネシー州といえば、州都ナッシュビルのカントリーミュージックや州内最大の都市であるメンフィスのブルースに代表される歴史の長い音楽産業で知られている。エルビス・プレスリーが暮らしていた邸宅(グレイスランド)があるのもメンフィスだ。

    「ボランティア・ステート」という州のニックネームは、1812年の米英戦争でテネシー州からの志願兵が大活躍したことに由来している。ちなみに、地元の大人気スポーツであるカレッジフットボールではテネシー大学チームの名前「ボランティアーズ」も定着している。

    ナッシュビルのテネシー州会議事堂 写真:「Adobe Stock」

     ケンタッキーとの州境近くに位置する北部のロバートソン郡は美しい丘陵地帯が広がる景色で知られているのだが、この地に200年以上もの間、地元住民や訪問者の想像力を掻き立て続ける「ベル・ウィッチ」という実話怪談的な伝説が存在する。19世紀初頭に起きた悪霊の憑依事件にして米国最古の超常現象であり、単なる怪談では済まされないと思う人も多いようだ。だからこそ、南部の歴史と文化に深く根ざしながら、今なお多くの人の間で語り継がれているのだ。

    米史上唯一、霊による殺人事件

     伝説のグラウンド・ゼロと呼ぶべきアダムズの町は、1800年代初頭の時点では静かな農業地帯に位置する小さなコミュニティで、誰もが超常現象とは無縁の地と感じていたはずだ。しかし、1817年から1821年にかけ、この地に住むベル家の人々が体験した出来事は、全米に大きな衝撃を与えた。

    ベル一家が暮らしていた邸宅(1894年) 画像は「Wikipedia」より引用

     伝説の主人公であるベル一家は、家長ジョン・ベル・シニアに連れられて1804年にノースカロライナからテネシーへと移住し、農地開拓で大成功を収めた。近隣住民からも尊敬される存在だった一家を、突如として恐怖が襲い始める。

     最初の異変が起きたのは、1817年秋のこと。ジョンが森の中で、犬の体にウサギのような頭をもつ無気味な動物を目撃したのだ。この直後から、一家全員が夜な夜な聞こえる耳鳴りや囁き声、そして壁を叩く音に悩まされるようになった。音の発生源は不明で、家中を徹底的に調べても原因が見つからず、一家の不安は日を追うごとに増していった。そして1年が経った頃、現象はより暴力的なものへとエスカレートしていた。家具が動き、寝ていると毛布が引き剥がされ、さらには子供たちが目に見えないものに叩かれるといった説明不可能な現象が続いたのだ。

    ベッツィー・ベルの姿(1894年) 画像は「Wikipedia」より引用

     しばらくすると末娘のベッツィーが主なターゲットとなり、目に見えないものに髪を引っ張られたり、顔を叩かれたりする現象が頻発した。その後、家族を襲い続けていた存在は「ケイト・バッツ」と自ら名乗った。バッツは近隣に住んでいた女性で、ジョン・ベルと土地トラブルで揉めた過去があったという。そして、ベル家の人々はバッツの呪いを疑い始める。

     特筆すべきは、その存在――霊であれ何であれ――が明確な言語を発していたことだ。最初こそ囁き程度だったが、やがて家族との会話が可能になるほど明瞭になっていく。この頃になると、アダムズの住民たちの間でもバッツがベル一家に呪いをかけたという噂が広まり始めていた。そしこの存在は「ケイト」または「ベル・ウィッチ」と呼ばれるようになった。

     ベル・ウィッチは聖書の詩を諳んじ、訪問者の秘密を暴露するほか、時には優しく、そして時には残虐な一面を見せた。その存在は、もはや「悪霊」というレベルではなく、“意志を持つなにか”として恐れられるようになった。

    ジョン・ベルの死(1894年) 画像は「Wikipedia」より引用

     事件が衝撃的な転機を迎えたのは1820年のこと。ジョンが突然体調を崩し、起き上がれないほどまで衰弱してしまった。霊はこうした状態を「自分の手柄」だと宣言し、ベッド脇で嘲笑を繰り返したと記録されている。ジョンが亡くなったのは同年12月20日だ。枕元には、誰も見たことのない黒い液体の小瓶があった。霊は「私がこれを飲ませた」と語ったと言われており、当時の人々は悪霊による殺人を確信。それ以来、同事件はアメリカ史上唯一の霊による殺人事件として記憶されることとなる。また、この瓶を火に投げ入れたところ、青い炎を上げて爆発したとする逸話も残されている。

    現在は観光資源として活用も

     ベル・ウィッチ事件は、現代でいう典型的なポルターガイスト事例を彷彿させるものであり、特に思春期の少女(ベッツィー)の周囲で活発化した傾向が興味深い。

    アンドリュー・ジャクソン 画像は「Wikipedia」より引用

     よく知られている逸話のひとつに、後に第7代アメリカ大統領となるアンドリュー・ジャクソン将軍がベル家を訪れた時のエピソードが伝えられている。ベル・ウィッチの噂を聞きつけたジャクソンは、部隊を連れて現地を訪れた。このとき、霊はジャクソンの馬車を停止させ、「進むがよい」と声をかけたといわれている。その夜は怪現象が続出し、ジャクソンは「ニューオーリンズで英国軍と戦う方がマシだ!」と言い残して退散したと語り継がれている。

     現在、ベル家の近くにある洞窟「ベル・ウィッチ・ケイブ」が伝説にまつわる最も有名な場所になっている。事件発生当時は注目されていなかったものの、20世紀以降になって“悪霊が巣くう場所”として観光資源化されたようだ。この洞窟では不可解な音、異常なまでの冷たい空気、めまいのような奇妙な感覚や視覚現象などが報告されており、心霊スポットとして全米各地からの訪問者が絶えない。

    ベル・ウィッチ・ケイブの入口にある看板 画像は「Wikipedia」より引用

     これほど有名な事件にもかかわらず、1817年から1821年当時の新聞記録や公文書は一切存在しない。ベル・ウィッチ事件が全米に知れ渡るきっかけとなったのは、1894年にマーティン・V・イングラムという作家が書いた『ベル・ウィッチの真正なる歴史』という本だった。つまり、それまでの間は地元を中心に完全に口伝という形で語り継がれていたことになる。

     ベル・ウィッチの伝説は、テネシー州を中心とする南部各州にしっかりと根付いている。本物の心霊現象だったとしても、多くのスケプティックが語るように集団ヒステリー的な現象だったとしても、200年以上も語り継がれている事実に変わりはない。そして、今日も誰かがアダムズの丘あるいはベル・ウィッチ・ケイブを訪れてケイトの名を口にするとき、どこかで息をひそめたままじっとして耳を澄ませる“何か”がいるにちがいない。

    宇佐和通

    翻訳家、作家、都市伝説研究家。海外情報に通じ、並木伸一郎氏のバディとしてロズウェルをはじめ現地取材にも参加している。

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