ソ連時代に禁じられた正教会を描く“クセ強”青春映画「エストニアの聖なるカンフーマスター」が日本上陸 

文=杉浦みな子

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    この道(カンフー)で生きていく--。1970年代の正教会修道院で、ブラック・サバスとカンフーが融合。“エストニアのギレルモ・デル・トロ”、ライナル・サルネットが放つ青春カルト映画をご紹介。

    情報量が多くてパワフル。これぞカルト映画 

     ITとサウナの国・エストニアから、実に“クセ強”な70年代ポップ風カルト映画が上陸した。タイトルは、「エストニアの聖なるカンフーマスター」。 
     2017年のダークファンタジー映画「ノベンバー」で国際的に称賛された奇才、ライナル・サルネット氏が監督・脚本を手がけた最新作で、2024年10月4日より全国の映画館で上映中だ。 

     物語をものすごく簡単に言うと、1973年のエストニアを舞台に、旧ソ連占領下で禁じられていたメタルミュージックとカンフーに魅入られて修道士となった青年を描く、奇想天外な青春コメディ。 

    ©︎Homeless Bob Production

     …で、なぜこれをwebムーで取り上げるのかといえば、本作の主人公がカンフーを習得する場所として、70年代当時の正教会(修道院)が舞台になるのである。 
     こういった映像作品でキリスト教を描くというと、日本ではカトリックやプロテスタントなど西方教会側が舞台として挙げられることが多いと思うが、本作は東方教会側に由来を持つストーリーとして非常に興味深い。 
     この70年代の正教会の描かれ方が、エストニア出身の監督ならではの切り口で趣があり、ぜひムー民の皆さんにもお知らせしたいと思った次第だ。 

     今回は幸いなことに、サルネット監督に直接話を聞くことができた。ご本人のコメントを交えながら、本作が描く正教会と信仰についてお伝えしていこう。

    ライナル・サルネット監督

    70年代エストニアの正教会をフックに、ブラック・サバスとカンフーが融合 

     まずは、映画公式のあらすじをご覧いただきたい。 

    <あらすじ> 
     国境警備の任に就く青年ラファエルの前に、3人のカンフーの達人が現れる。皮ジャンに身を包み、ラジカセでメタルを鳴らしながら宙を舞う彼らの前に警備隊は壊滅状態に。 
     奇跡的生還を果たしたラファエルは、その日以降禁じられたカルチャーであるブラック・サバスの音楽やカンフーに熱狂するようになる。 
     しかし見様見真似のカンフーでは気になった女性一人も射止めることができない。空回りの冴えない日々を送るラファエルは、ある時偶然通りかかった山奥の修道院で衝撃の出逢いを果たす。それは、見たことのないカンフーを扱う正教会の僧侶たち…即座に弟子入りを志願するラファエルなのだった! 

     …以上。 映像作品の評価レビューを共有する米データベースサイトIMDbをして、「合わない人には合わないが、好きな人は100回観るだろう」と言わしめた本作。もうそのコメントが全てだ。 

     まず何がすごいって、本編を視聴すればわかるが、とにかく画作りが綺麗。スクリーンに映る緑豊かなエストニアの修道院は、柔らかい太陽の光に溢れ、淡い色調の景色が美しい。 

     しかしその背景に鳴り響くのは、ブラック・サバスの重低音。後に「ブラック・メタル」のジャンル名で呼ばれる悪魔の音楽である。映画の冒頭、「The Wizard」の調べと共にストーリーはスタートする。 
     そして修道士たちは事あるごとに、淡い色調の画面からバキバキのカンフーを繰り出す。もちろん、当時の修道院でカンフーを教えているというような事実はないはず。筆者が本作を視聴して最初に浮かんだ感想は、「マジでこのルックでこの内容なの?」だった。 

    ©︎Homeless Bob Production

     この淡い映像美と内容のギャップには、アリ・アスター監督の2019年作品「ミッド・サマー」を思い出す人もいるかもしれない。同作は美しく明るい自然風景の中で描かれるホラーだったが、「エストニアの聖なるカンフーマスター」もそういう色調の中で描かれていて、こちらはホラーでなくカルト・コメディに振り切った立ち位置だ。 

     しかしラストには、宗教にまつわる映画としてしっかり“一つの結論”をキメてくる。このあたりに、監督の鬼才っぷりを実感した。

    鉄のカーテン時代、実在したソ連のカリスマ修道士 

     さて本作、70年代当時にソ連に併合されていたエストニアと正教会の歴史背景を把握していないと、その面白さが半減するので少し説明したい。 

     当時、共産主義を掲げたソビエト政権は無神論を奉じており、礼拝や宗教教育を禁じていた。エストニア国内にあった正教会の修道院も、財産が没収され課税によって貧困化し、信徒や教会の数が著しく減少していた状況だった。 
     作中で、「修道院の長老が刑務所で苦労した」という旨のセリフがあるが、おそらくフルシチョフ時代の反宗教弾圧を受けたことが匂わされていると思われる。 

     そして当時のソ連では、宗教に加え、西側諸国の音楽や武術なども禁じられていた。 
     つまり本作は、当時禁じられていた「宗教」「武術」「西洋音楽」の3つに入れ込む主人公という、“三重の反逆”を描いた映画とも言える。 

    ©︎Homeless Bob Production

     非常にフィクション的でドラマチックな設定だな…と思うが、サルネット監督によると、なんとこの主人公ラファエルのモデルになった実在の僧侶がいるのだという。名前もそのまま、“ラファエル”らしい。 

    「実在のラファエルは、70年代にソ連のペチョールィ修道院で活躍した若い修道士でした。車のエンジンを直すのが得意だったらしいです。我が道を行く生き方をしていて、その激しさから“フーリガン”とも呼ばれていました。同時に、とてもカリスマ性のある人物で、彼が車を修理している姿に何かを感じ、自分も修道士になりたいと言ってくる人が何人もいたそうです。 
     私は映画の制作にあたり、正教会に何度も通ってリサーチをしたのですが、僧侶たちに話を聞くと、ラファエルについて“特別な能力を持っていた人”と表現していました。ちなみに彼は車のスピード運転により、30歳で事故死しています」 

    ©︎Homeless Bob Production

     実在のラファエルが纏っていたという、そこまでのカリスマ性とは一体何だったのか? サルネット監督は答えた。 

    「キリスト教でいちばん大事なのは“愛”です。でも愛は言葉では説明できない。もちろん新約聖書には愛について記載があります。しかし、言葉で書かれた愛には力がないんですよ。乾いている。 
     ではどうやって愛を表すのか。私たちは誰かと出会うことで、声や会話、顔の表情、そういうものを通して相手への愛を表現できる。つまり、人間と人間の関係性の中に愛があるんです。多くの人が惹かれたと伝えられるラファエルのカリスマ性、フーリガンと呼ばれるほどの生き方は、そういう人間関係の中での愛が感じられるものだったんじゃないか、そう思っています」 

     サルネット監督は書籍でラファエルを知って興味を持ち、その人生を探った。すると彼は一時期、中国国境付近の軍隊に所属していて、その部隊は中国の盗賊に襲われたが、彼だけが生き残ったということが判明。 
     このエピソードを映画の冒頭に持ってくる形で、相手が中国人ならカンフーの要素を加えたら良いのではないかという考えが浮かび、「主人公のラファエルが、中国人がカンフーを使っているのを見て習得したいと思うようになる」というストーリーが生まれたのだという。 

    ©︎Homeless Bob Production

    修道士たちは元ヒッピーみたいな人たちだった? 

     当時のエストニアの若者たちが、真面目な硬い僧侶ではなく、破天荒なラファエルに魅力を感じたことには、どことなく深い示唆がある。すると、サルネット監督は興味深いことを教えてくれた。 

    「調べていくと、ソ連の正教会の僧侶には元ヒッピーのような人が多かったのです。みんなどこか反逆心のようなものを持っていた感じなんですね。修道士たちはヒッピーのように髪を伸ばし、黒い服を着ていて、彼らが暮らす修道院の地下墓地に入ると頭蓋骨があった。その世界観を知って、ロックに見えたんですよ。そこからブラック・サバスの音楽を使うというアイデアが生まれました」 

     つまり今回の映画は、カリスマ性を持った修道士・ラファエルの我が道を行く生き方をモデルに、彼の実際のエピソードからカンフーの要素を思いつき、さらに当時の修道士たちの様子からブラック・サバスを使うアイデアを混ぜ込んだ…という形だ。

    ©︎Homeless Bob Production.

    正教会の司祭は「ブラック・サバスOK」 

     なお、サルネット監督はこの映画を作るにあたり、正教会の司祭に「このような流れでブラック・サバス(=悪魔の音楽)を使っても良いか」と尋ねたところ、快くOKされたという。 

    「正教会のロシア人哲学者、ニコライ・ベルジャーエフは、どんな邪悪な存在もアートの中では力を持てないと言っています。それは、アートは現実のものではないから。アートには、何かの反芻であったり詩篇のような機能がある。アートは音であり、絵であり、アイデアを与えてくれるスイッチのようなもの。アート(音楽)の中に悪魔はいないからOKなのです」 

     ちなみにサルネット監督、映画制作のリサーチのため修道院に通う中で、自身の信仰を正教に改宗している。最後に、その信仰について聞かせてもらった。 

    「正教会の僧侶たちは、悪魔のことなんて考えなくて良いと言います。存在するけど考えなくて良い。僧侶たちは悪魔=敵と呼ぶ。というのは、悪魔は我々の思考の20%なんです。自分の中にあるネガティブな思考は悪魔的なものである。だから自分の中にいる敵です。 
     なお、残り80%は美しい明るい思考で何でもできるし、人生には平穏が訪れるという考え方なので安心してください(笑)。 
     大事なのは、自分の中にある20%は悪魔的思考なんだと知りながら過ごすこと。今作の中でも祈りが何度も出てきますが、自分の思考に何かネガティブなものを感じたら、その瞬間からお祈りを始めるのが修道院のルール。この祈りの声は、修道院で常に聞かれます。経験値のある僧侶は寝ている時も心で祈ることができる。自分でも実践してみたら、効果があったんですよ。いつでも、ネガティブな気持ちになったら神の名を祈るのは有効な手段です」 

     記事前半で、本作は宗教にまつわる映画としてしっかり“一つの結論”をキメてくると書いたが、監督ご本人に話を聞き、その信仰心を忠実に映画に落とし込んだ結果なのだと実感した。 
     本作を観終わって、“啓示めいた何か”を受け取る人もいることだろう。そういう人が、iMDbのコメントにある「100回観るタイプの人」なのだと思う。 

    「エストニアの聖なるカンフーマスター」
    原題:NAHTAMATU VOITLUS/英題:THE INVISIBLE FIGHT
    2023 年/エストニア・フィンランド・ラトビア・ギリシャ・日本ほか/エストニア語/115分/シネマスコープ/5.1ch/日本語字幕:横井和子 /字幕監修:小森宏美 /提供:フラッグ/配給:フラッグ・鈴正/宣伝:ポニーキャニオン
    https://www.flag-pictures.co.jp/estonia-kungfumaster/

    杉浦みな子

    オーディオビジュアルや家電にまつわる情報サイトの編集・記者・ライター職を経て、現在はフリーランスで活動中。
    音楽&映画鑑賞と読書が好きで、自称:事件ルポ評論家、日課は麻雀…と、なかなか趣味が定まらないオタク系ミーハー。

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