「死ぬために生きている人々」の死生観とは!? インドネシアのトラジャ族の墓と葬式を現地取材/小嶋独観

取材・文・写真=小嶋独観

関連キーワード:

    珍スポを追い求めて25年、日本と世界を渡り歩いた男によるインドネシア屈指の珍スポ紹介!

    墓と葬式に命を懸ける民族の死生観を探る

     真夏のトラジャである。

     トラジャって何だ? という方も多いだろうから、まずは大まかに説明させていただく。トラジャというのはスラウェシ島の高地にある場所で、トラジャ族という山の民族が住んでいる。

     当然、「じゃあスラウェシ島ってどこよ?」というハナシになる。スラウェシ島はインドネシアに属する赤道直下の島で、戦時中は日本が統治していた時期もある。年配の方には当時の呼称、セレベス島と言った方が通りがいいのかもしれないが、そういった方は恐らくこのサイトを見ていないだろう。

     まあ、地図を見て、フィリピンの南にあるヘンな形の島(ウルトラ怪獣ペスターがウルトラマンに襲いかかっているようなフォルムだ)と思っていただければ多分そこである。

     そのトラジャへは、スラウェシ島の空港があるマカッサルから夜行バスで10時間。世界中の僻地でバスに揺られてきた経験上、絶対凄い山道なんだろうなあ。おまけに数日前酔っ払って転んでお尻痛いし……。酔い止め薬と痛み止め飲まなきゃかなあ。いいや、いっそのこと酒飲んで酔っ払っちゃおう!……てなわけでバスに揺られること10時間。朝もや煙るトラジャの中心街、ランテパオの街に到着した。

    スラウェシ島の位置 画像は「Wikipedia」より引用
    スラウェシ島の地図。マカッサルは南西部。画像は「Wikipedia」より引用

     揺れ? 全然! むしろ日本の道幅では走行不可能であろう巨大なベンツの夜行バスに乗って、ベッドのような豪華シートで快適に過ごせましたよ。ちなみに道路も近年整備されたらしく舌を噛むようなハードな揺れはほぼ無かったです。

     そんなこんなで早朝に右も左もわからない街に放り出された。とりあえずコンビニでコーヒーとパンでも買って一息つくか……と思ったら、コンビニはおろか開いてる店が一切ないぞ、トラジャの朝5時。

     仕方なくバス降り場でたむろしているホテルの客引きに着いていき、その宿の屋上にある食堂で朝食をとっていると朝もやが晴れてきて、だんだんと周囲の様子が見渡せてきた。

    茶色いトタン屋根が続く埃っぽい田舎町。その向こうには、色濃い熱帯性の植物が茂っている。さらにその先には、険しい山々がそびえている。

     赤道直下とはいえ標高1,200メートルの高地だけに朝は寒い!(しかし後になって思い知るが日中は暑い!)

    ……というわけで今回はズバリ、トラジャ族の葬式と墓を巡る旅である。後に詳しく触れるが、トラジャ族は世界でも屈指の「葬式と墓に金をかける民族」なのだ。金も時間もたっぷりかけた豪勢な葬式、何故こんなところに? としか思えないような場所にある墓……。とにかく墓と葬式に異様に金をかけるのだ。それは彼ら独特の宗教観、死生観に起因するのだが、その生き方はまさに「死ぬために生きている人々」としか言いようがないのだ。

     葬儀や墓が年々簡素化していく昨今の日本人から見たら驚異以外の何者でもない、そんな彼らの葬式と墓をつぶさに観察してみることにした。

    文化を象徴する建物が並ぶケテケス村

     トラジャの葬式と墓巡り、最初にケテケス(KeteKesu)という村を紹介しよう。ケテケスはトラジャ観光の拠点、ランテパオの南に位置する小さな村だ。そこにはトラジャの伝統的な家屋があるので、そこを紹介しつつトラジャ文化のアウトラインを紹介していきたい。今回の旅で諸々世話になったバイタクの兄貴の後に座り、ケテケスへと向かった。

     トラジャ族はインドネシアの中でも異質な民族で、人類学的にいうと原マライ族というカテゴリーに分類されるのだという。要は他のインドネシアの民族や同じスラウェシ島に住む他民族と違い、大陸系の稲作民族の末裔なのだという。確かにトラジャは高地にも関わらず、あちこちに棚田があり、稲作が盛んだ。

     この舟を逆さにしたような屋根を持った家屋はトンコナンと呼ばれており、トラジャ族を象徴する建築様式と言えよう。

     トラジャの観光ポスターなどは十中八九、ここの写真が使われている。この両端が反り返った不思議な屋根のカタチは、舟を表しているのだという。トラジャ族の人々は、自分たちの先祖は海の向こうから舟でやってきたと信じている。その象徴として、舟のような家屋に住んでいるのだ。つまり、自分たちはココではないどこかから来た誇り高き民族だ、ということを暗に示しているのだろう。その辺の民族的プライドの高さは滞在中も諸々感じることがあった。

     素材は木材、屋根は細い竹を何重にも重ねてある。妻側には水牛の彫り物が飾られていて、その上にはトラジャを象徴する模様で埋め尽くされている。

     後述するが、水牛はトラジャの人たちにとって特別な存在である。特に葬儀における水牛の役割はとても重要で、普段の生活の中でも水牛の角は特別な意味を成している。

     大屋根を支える親柱には、葬式の際に屠った水牛の角。

     恐らく「ウチは葬式の時、こんなにすごい水牛を捧げてやったぜ!」アピールなのだと思う。水牛を生贄にすることは死者に対しての最高の餞(はなむけ)であり、豪華な葬式の象徴でもあるのだ。

     さらに伝統的な建物には水牛の下あごが。

     ずらりと下顎の骨が並ぶ様は、どう見ても異様な光景だ。

     さらに見れば、切りたての水牛の角が置かれていた。

     まだ、血や脂も乾いていないようなレア感ムンムンの角であった。

     この角も他の角と同じように親柱に掲げられるのだろうか?

    驚愕の埋葬文化、トラジャ族の墓を観察

     そんな船形屋根の並ぶエリアから奥に進むと墓がある。

     それは船形屋根と同じくらいトラジャの名物であり、この墓にも数名の観光客が訪れていた。

     トラジャの墓は大きく分けて3つに分類される。ひとつは独立した小屋のような廟。これは比較的最近作られたものが多い。もうひとつは崖に四角い横穴を穿った墓。そして最後に、ここのように鍾乳洞の洞窟や岩壁の浅い窪みなどに遺体を安置する墓。ここ、ケテケスの墓は岩壁の窪みや洞窟に安置するタイプの墓である。

     棺桶が並んで安置されている。どれも蓋の両端がせり上がっている。勿論家屋の屋根と一緒で、舟を象ったものだ。

     水牛の形の棺桶。これはかなり凝っている細工なので、金持ちが発注した棺桶と思われる。

     棺桶は木製なので、数年間風雨に晒されると腐食してくる。

     当然、中身の骨もこんな感じにビャーっと散らばってしまう。

     あまりにも明け透けで、最初は少し驚いていたが、1日もすれば慣れてしまい、まあこんなものか、と思うようになりました……。

     棺桶は崖の上に吊るされて安置される場合もある。

     これはトラジャの人独自の考え方で、遺体を安置するのはなるべく空に近い方が良いのだそうな。

     この後に紹介する墓全てがそうだが、トラジャ族の人々は土の中に埋葬するということはないのだという。

     土の中は不浄であり、一方、岩の中、しかも天に近い岩壁の中は墓としては理想的なのだそうな。

     こちらの棺桶には頭蓋骨が並べられていた。

     この棺桶に何人もの遺体が収められていたわけではなく、上の方の棺桶が腐食して中身の遺骨が落ちてくると頭蓋骨だけを拾い上げて並べておくのだという。誰のか判らないけど頭蓋骨だけは地べたに転がしておくのは忍びない、という感覚なのだろう。いわゆる風葬に近い状態なのだが、想像していた以上に遺骨の状態は綺麗だ。

     もっと肉がびちゃびちゃに付いているものかと思ったのだが、綺麗な白骨になっている。

     このように綺麗に白骨化するのにはどのくらいの時間がかかるのだろう。

     そんな中、岩壁を穿った穴に鉄格子が嵌められている場所を発見。

     中を覗いてのけぞった! 大量の木彫りの人形がこちらを見ているんだもの!

     これらはタウタウといって死者に似せて作った人形なのだという。もちろん死者供養のための人形なのだが、チョット怖い……。薄暗い洞窟に密集する人形の姿は恐怖以外の何者でもないが、彼らにしてみれば、至極真っ当な奉納習俗で、コレをしないとご先祖様も成仏できないっしょ、的な感じなのだ。

    墓のさらに深部、洞窟内にあったもの

     岩壁の墓を過ぎると、そこには洞窟があった。

     入口には最近死んだ人のいわゆる花輪が並んでいた。中に入ると、あちこちに供え物が散乱している。故人の写真や遺品、十字架などが奉納されていて生々しい。ちなみにトラジャ族の人々は現在ほとんどがキリスト教徒だ。キリスト教化される経緯については後ほど述べるとしよう。

     洞窟の中央にはまるで入ってくる人間を監視するかのように頭蓋骨が並んでいる。よそ見していると躓きそうになるので要注意だ。

     洞窟はさらに先まで続いている。

     枝道の上には、棺桶が重なって安置されていた。棺桶や架けられた布の状態からして、ここに置かれてからそんなに時間が経っているようには見えない。せいぜい数年といったところか。

     さらに洞窟の奥に進んでみる。洞窟はどんどん狭くなっていく。まだまだ洞窟は続きそうだが、もうこの先は何もないだろうなあ、と思って振り返った瞬間……!

     目の前に頭蓋骨があるじゃないか!

     怖っ! こんな奥の奥にまで遺体を運んできたのか! 凄い執念だ。

     洞窟墓地の近くには最近作られた墓もある。

     コレは棺桶のカタチを模した墓。タウタウ人形が飾られている。

     比較的オーソドックスな墓はこんな感じ。

     ガラスケースにはタウタウ人形が収まっている。タウタウ人形は専門の人形師がいるのだが、近年作られたタウタウは妙にリアルで、人形だと解っていてもギョッとしてしまうのだ。

    ……というわけで、トラジャの墓の大まかなアウトラインは掴んでいただけたと思うので、次なる墓にむかいましょうか。

    ロンダ村の空中墓地

     トラジャ族の墓を巡る旅。お次はロンダ(Londa)という村の墓である。車道から墓地までは呑気な未舗装道を歩いていく。周囲には水田が広がっており、手前のバナナやパパイヤの木がなければ日本の山間部のようでもある。

     しばらく歩くと、断崖の下の方に何やら見えてくる。それがロンダの墓であった。

      絶壁下の浅い洞窟に、色々なモノがごちゃごちゃと詰め込まれている印象だ。

     まあ、世界中の伝統的な墓というものは大抵こんな風に混沌としているものだ。

     トラジャの伝統的家屋であるトンコナンを模したものは棺桶を収めるもので、日本で言えば龕(がん)のようなものといえよう。このように龕に収まっている棺桶は、まだ葬式が終わったばかりの新しいもので、龕が崩れると奥に移動するのだろう。

     かなりアクロバティックな場所にも棺桶が置かれている。天に近いほど清浄だ、というトラジャ族の考え方を見事に体現した空中墓地である。そこまでするか、というのが実際の感想なのだが。

     新旧入り混じって棺桶が積まれている。棺桶の安置される場所は氏族によって決まっているのだそうな。つまり、これらの棺桶は同族のものということ。

     棺桶が腐食、崩壊して遺骨が下に落下すると、このように頭蓋骨だけが並べられる。特別な場所に祀られる、というより地べたに落ちているのも忍びないから並べておこうか、的な印象。

     小屋のような建物の中にはタウタウ人形がずらりと並んでいる。まるでこちらを睥睨しているかのよう。

     タウタウ人形のクオリティにはばらつきがある。

     単純に古いものより新しいものの方がリアルで出来がいい。しかし、オールドスタイルの方が顔が平坦でデフォルメされているので、遠くから見ても眼がギョロっとしていて目立つんだな、これが。

     墓の手前には、最近墓に納められた故人の看板が並んでいた。

     私にも判る唯一のインドネシア語は「さようなら」を意味する「スラマジャラン」の言葉のみ。

     浅い洞窟の脇に、さらに奥へと続く狭い洞窟があった。中に入ってみると……!

     うおっ! まだまだ墓が続いているじゃないか。しかも、先ほどの浅い洞窟に比べてぐっと黄泉の国感が強いんですけど。まるで、この世じゃないみたい。いや、死の世界そのものだ。あまりの幻想的な眺めに、しばし呆然としていた。トラジャの墓の中でも規模、雰囲気共にかなりディープな墓であった。

     墓の近くには土産屋があった。トラジャでは墓は観光地なのだ。

     店先に並ぶタウタウ人形。これを土産に買っていくガッツのある人がたまにはいるのだろうか。

    最も有名な墓があるレモ村へ

     トラジャの墓巡り。お次はレモという村に向かう。この村の墓も観光化されていて、付近には土産物屋が並んでいる。周囲は水田が広がり、農家のおじさんが米をシートの上に広げていた。

     その背後の崖に墓はある。

     判りますか?

     ほら。ね。

     これがレモの岩窟墓である。

     おそらくトラジャで一番有名な墓で、観光ポスターなどにもここの画像がよく使われている。

     そもそも観光ポスターが墓ってどうなの? という疑問もないわけではないが、墓はトラジャの貴重な観光資源なのだ。

     岩壁に無数のタウタウ人形が並んでいて、えも言われぬ迫力がある。

     岩壁に四角い穴を穿って墓を作るのだが、それにしても凄いところに墓を造ったもんだ。穴は1メートル角くらいの大きさで、奥行きは3メートルほどだという。そこからさらに垂直に縦穴を掘る。

     遺体は横穴に安置され、次の子孫が埋葬される際には古い遺体を縦穴に落とすのだそうな。

     それにしても、かなり硬そうな岩盤だ。コレ石工がほぼ手作業で掘って行くのだが、大変だなあ。

     この墓のタウタウ人形は「前へ習え」みたいな感じで手を前に出している。

     天に向かって手を差し伸べているのだろうか? アタシにゃ「助けてくれー!」と言っているようにしか見えなかったんですけど……。

     独りで墓の前でしんみりしていると、何やらにぎやかな集団がやってきた。

     フランス人の団体さんだ。

     ちなみにトラジャに来る外国人観光客はほとんどヨーロッパの人。

     特にフランス資本のノボテルホテルがあるからか、圧倒的にフランス人が多い。全員がひたすら喋っていてやかましいので、墓の近くの小道を散策することにした。

     道は奥へ奥へと続いている。

     何があるのだろう、と思って歩いていたら……!

     うお! こっちにも岩窟墓があるじゃないの! この巨大な岩塊は恐らく先ほどの墓と同じ山(というか岩)の裏側に当たる。先ほどの岩窟墓は観光客が訪れるメジャーな墓であるのに対し、こちらは訪れる者もなくひっそりとしている。一番上の隅の墓にだけ、タウタウ人形が置かれていた。

     比較的新しい墓なのだろう。いわば新規分譲墓地といったところか。

     岩窟墓のいくつかはこのように扉がついている。扉がついているのが遺体が納められている墓で、扉のついてない墓は、まだ遺体が入っていない墓なのだ。やかましいフランス人団体客のおかげで結果的にローカルな岩窟墓を見ることができた。メルシーボクー。

     眼下には水田が広がる。

     多毛作なのだろう。水の張られた田、青々と茂る田、黄金色の田、刈り終わった田、と様々な色の田んぼが隣同士に並んでいた。

    伝説の葬式を出したブントゥ・ド・パサ村の旧家

     かつてトラジャの中でも伝説的に凄い葬式をしたという家を訪れてみた。場所は中心部ランテパオの南西に位置するブントゥ・ド・パサ(Buntu Du Pasa)という村。

     立派な米蔵がズラリと並ぶ。なるほど、なかなかの旧家なのだろう。

     伝統的な紋様で覆われた壁は、魔よけの意味もあるのだとか。そして中に入る扉には、水牛の様々なレリーフが。多分、この辺のクオリティでも家の格が細かく決まっている……ような気がする。それにしても、ホント水牛好きだよなあ。

     その対面には、近代的な立派な住居とメインのトンコナンハウスが並んで建っている。

     住まいの脇に建つトンコナンは、米蔵とは全く違う意味合いを持っている。この建物は元々母屋の役割を果たしていたのだろう。しかし、隣に近代的な住居を構えた今、象徴的な意味合いを持つ建物に昇華したともいえよう。

     大屋根を支える柱には、びっしりと水牛の角が備えつけられていた。この旧家、最近の葬式では200頭もの水牛を生贄として捧げたとか。確かにトラジャの色々な村落を周ってみたが、これほど水牛の角が掲げられた家はほかに見なかった。

     200頭ともなると柱だけに納まりきれず、高床のピロティ部分にもずらりと並んでいた。

     さらに、柱と柱の間にもぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。そこまで水牛を捧げた証が欲しいのか、とも思ったが、トラジャの社会では葬式に何頭の牛を捧げ、どの位の人々にその肉を振る舞ったかがその家のステイタスを決める重要なファクターになっているのだ。

     米蔵に座っている老女がここの家長だった。

     これだけの大邸宅に独りで住んでいるのだろうか。周囲に人の気配はない。もちろん、米は小作人が作っているのだろう。聞けば、12人の子供がいて、その全員が世界中に散ってビジネスをしているという。ある者はシンガポールで医者をし、ある者はアメリカで弁護士をしているらしい。キンマ(※)をくちゃくちゃ噛み、時折真っ赤な唾をペッと吐くその姿からは想像もつかないような大金が毎月送金されてくるらしい。キンマの噛みすぎで歯が数本しかない婆さんの仕事はと言えば、数分に一度庭に干した米をつまみに来るスズメを棒で追い払うのみ。そしてまたキンマを口に放り込み、口の中を真っ赤にしながら眠そうにゆったりとスズメを追い払う。……こういうのを真のセレブと言うんだろうなあ。

    ※ 檳榔樹の実と石灰を一緒に噛む嗜好品。東南アジアで広く使用されている噛みたばこのようなもの。噛むと口の中が真っ赤になり、覚醒作用がある。東南アジアではよく道端に吐き出されたキンマが落ちているが、一瞬血かと思うほど真っ赤っかで超ビビる。

    ~つづく~

    (2014年8月訪問)

    小嶋独観

    ウェブサイト「珍寺大道場」道場主。神社仏閣ライター。日本やアジアのユニークな社寺、不思議な信仰、巨大な仏像等々を求めて精力的な取材を続けている。著書に『ヘンな神社&仏閣巡礼』(宝島社)、『珍寺大道場』(イーストプレス)、共著に『お寺に行こう!』(扶桑社)、『考える「珍スポット」知的ワンダーランドを巡る旅』(文芸社)。
    珍寺大道場 http://chindera.com/

    関連記事

    おすすめ記事