米国の湿地帯に潜む「ディズマル・スワンプ・モンスター」の謎! 超凶悪UMAの正体は狼男か?/ブレント・スワンサー
ミステリー分野で世界的な知名度を誇る伝説的ライター、ブレント・スワンサーがついに『ムー』に登場!! 日本人がまだ知らない世界の謎について語る!
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ミステリー分野で世界的な知名度を誇る伝説的ライター、ブレント・スワンサーがついに『ムー』に登場!! 日本人がまだ知らない世界の謎について語る!
米ミズーリ州、アーカンソー州、オクラホマ州、そしてカンザス州の南東端にかけて広がる山脈は、オザーク山脈として知られている。この山脈には数々の伝説があり、奇妙な謎が隠されている。
1865年の冬、ソル・コリンズという名の経験豊富なハンターが、同山脈の「スプリング・クリーク」という場所に鹿狩りに出かけた際、獣らしき不思議な足跡に出くわしたことから物語は始まる。コリンズは熊の足跡には非常に詳しかったが、この足跡はそれまで見たどんなものとも違っていた。極めて大きく、見たことのない形、そして足跡に沿って大きな爪で作られたような奇妙な印がついていた。
コリンズの好奇心は大いに刺激され、追跡することを決意。前夜に小雪が降っていたため簡単に足跡を追うことができた。その足跡は荒野を蛇行しながら進み、やがて「アッパー・ツイン・マウンテン」の北斜面に出た。そこでコリンズはようやく、これが熊ではなく、もっと奇妙なものの足跡であると理解することになる。
コリンズが足跡を追って斜面を登っていくと、上方から物音がした。すると次の瞬間、2つの巨石が こちらに向かって転げ落ちてくる。それを避けるのに必死になっているとき、彼は一瞬、巨大で暗い人影を垣間見た。その生き物は、カールがかった短い黒毛で完全に覆われており、太陽の光が直接当たると、深く暗い、ほとんど虹色のような青色を帯びた。コリンズの説明によると、その生き物の身長は3メートルを下らず、分厚い筋肉で覆われていた。
さらに、獣はどうやら大きな棍棒を持っていたようで、それを空中で振り回した後、脇に置くと、別の岩を持ち上げて怯えたハンターに投げつけた。コリンズはそこから全速力で逃げ出し、町に戻るとすぐに他のハンターたちを集め、その生き物を再び探しに行った。数日間、コリンズと彼の一団は「ブルーマン」を追跡し、何度もその姿を垣間見たとされ、羊の毛皮、豚の皮、犬の皮の一部、多くの骨、羽毛、その他にも饗宴の残骸で満たされた巣穴さえ発見したが、捕獲することも撃つこともできなかったという。
このブルーマンとの最初の遭遇から間もなくして、地元の人々も同様にその生物を見たと報告したり、血も凍るような雄叫びが夜中にこだまするのを聞いたりした。 この騒動は当時ちょっとしたヒステリーを引き起こし、新聞は新たな目撃情報や生物との遭遇談で溢れかえったが、それらは徐々に下火になり、いつの間にかブルーマンはすっかり忘れ去られた。
ところが1874年、この獣は再び姿を現し、またも目撃情報がニュースを賑わすようになり、ハンターたちもこの獣を探しに出かけるようになった。当時の『Ridge Runner Magazine』誌の記事には以下のように書かれている。
「ブルーマンが目撃されたのは、O.C.コリンズがいなくなった2頭の子羊を探していた時だった。彼はオールド・ホートンから4マイル離れたスプリング・クリークでその生物を発見した。2日後、インディアン・クリークで魚を捕っていたキャップ・ターナーも出くわした。ブルーマンは、急な丘の中腹で巨大な斧を振り回しながらターナーを追いかけた。
数日後、カル・アルサップはブルーマンを追って洞窟に入った。暗闇の中をよろめきながら進むと、そこにはかつてブルーマンの食事となった羊の残骸である毛皮がたくさん落ちていた。結局ブルーマンは捕獲されることなく、アバ・クロッシングでザリガニを捕まえて食べている姿が目撃されている」
ハウエル郡北部とダグラス郡には恐怖が蔓延していた。人々はブルー・マンを仕留めようと躍起になり、牛は放牧を許されず、羊はライフルを持った牧夫に見張られた。ライフルやショットガンで武装した人々が、スプリング・クリークのブルーマンを求めてこの地域の隅々まで捜索にやって来たという。
どうやら、これらのハンターの何人かは怪物の巣穴を見つけたり、実際に発砲したようで、ある報告によれば、何人かは怪物を木の中に追い込むことに成功したらしい。だが、ブルーマンの物的証拠は何も得られなかった。
そして1890年まで目撃情報が続いた後、ブルーマンはまたしても姿を消し、20年以上の年月が過ぎた1911年になると再々出現した。このときは、動物が行方不明になったという報告がさらに多く寄せられ、その生き物の健康状態がよくないようだということも注目された。センセーショナルな報告のひとつが当時の『ワシントン・タイムズ』紙に掲載されている。
「6週間前、ある農家が飼っている子羊のうち2頭が家に帰ってこないことに気づいた。農家は丘陵地帯を探し回り、森の奥の窪みで血まみれの毛皮を見つけた。そして翌日には、森の中で豚を轢き殺すブルーマンの姿を目撃した。それ以来、何人かの農夫がブルーマンを目撃している。彼の青い被毛は、今や鉄の灰色で、手足は以前ほど筋肉質ではない。とはいえ、頑丈なオザーク山地民の中で、この恐ろしい生物と単独で戦う危険を冒したいと思う者は皆無に等しい。ブルーマンが捕まる日が来るかどうか、また長期不在の謎と帰還の秘密が解明されるかどうかは疑わしい」
1911年8月18日付の「The Sentinel」の記事には、2人の少年がブルーマンが地面から出てきて羊を追いかける光景を目撃したというニュースがある。それによると、驚くべきことに、彼らは実際にブルーマンを捕らえることに成功したという。
「少年たちが案内役となり、その場所に到着すると、丸太と、地面への入口があった。男の一人が勇気を出してランタンを押し込み、かなりの大きさの洞窟内部に入った。奥のほうに男が一人、しゃがみこんでいた。彼は動物の皮のようなものでできた腰布を身に着けている以外、何も身に着けていなかった。身体は短い毛で完全に覆われ、頭は2フィートもある毛の塊で覆われていた。野性の男は逃げようとしたが捕まり、当局に引き渡された。彼は話すこともできず、洞窟の奥深くには羊毛、毛髪、骨、羽毛が散乱していた。彼が食べ物を調理した形跡はなかった」
しかし、捕まったブルーマンがどうなったのかは完全に不明だ。
そして1915年以降、ブルーマンの目撃談は少なくなり、ほとんど闇に葬られたが、1925年にこの現象は再び活性化した。その年、ある郵便局長がカリフォルニアの男性からこの伝説に関する質問と新聞の切り抜きを受け取り、その回答の一部が1925年3月の「Nevada Daily News」に掲載された。
「お送りいただいた切り抜きには事実が書かれています。しかし、この男(ブルーマン)はもう死んでしまい、彼の子供たちの多くは現在、スプリング・クリークのほとりで野生の状態で暮らしています。みな青い色をしていて、裸体で暮らし、クマ、野ネコ、マウンテン・ライオンなどの小さな野生動物を糧としており、この人たちはそれらを生でむさぼり食うのです。彼らの多くは身長7~8フィート(約2.1~2.4メートル)、体重300~500ポンド(約136~225キログラム)で、幼い馬や牛を肩に担いで巣穴や大きな洞窟に行き、そこで生活しているのをよく見かけます。この近辺で夜に出歩くことは、確実に死を意味するので誰もしません」
オザークの至る所でビッグフットの目撃談が今日まで続いている一方で、オリジナルの石を投げつける「スプリング・クリークのブルーマン」は1915年以降は姿を消し、二度と目撃されることはなかったようだ。ここで何が起こっていたのか? ブルーマンは何者だったのか? その子孫が今も生きているのか? 私たちが知ることはおそらくないだろう。
Brent Swancer(ブレント・スワンサー)
豪ミステリーサイト「Mysterious Universe」をはじめ数々の海外メディアに寄稿する世界的ライター。人気YouTubeチャンネルの脚本、米国の有名ラジオ番組「Coast to Coast」への出演など、多方面で活躍。あらゆる“普通ではない”事象について調査・執筆・ディスカッションを重ねる情熱と好奇心を持ちあわせる。日本在住25年。『ムー』への寄稿は日本メディアで初となる。
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