〈オピニオン〉蛇行剣は騎馬民族の東征の際に作られた!?

 2025年12月号「異説の日本古代史・富雄丸山古墳の鏡がウズベキスタンでも出土していた!!」を読みました。

 長さ2・4メートルの「蛇行剣」は、渡来人が日本で作ったとのことですが、その理由を推測してみました。

 2023年1月に、直径109メートルの円墳、富雄丸山古墳の北東側辺部から、蛇行剣と3枚の盾形銅鏡が出土しました。

 私が思い出したのは、以前の「ムー」の特集記事で、リモートビューイング(遠隔透視)で有名なジョー・マクモニーグル氏が、神武天皇の真実について遠隔透視した記事です。

 マクモニーグル氏の透視によると、ムイジンと呼ばれる人物が、首領として日本に王国を築くため、馬を船に乗せた船団で九州までやってきた中国の騎馬民族(遊牧民)であったといいます。時代的には西暦300年代で、4世紀です。

 そのころは、倭国の女王・卑弥呼の跡を継いだ新女王・台与の時代にあたります。

 台与は13歳で女王となりましたが、私の推測ではムイジンが九州にやってきたのは台与が30歳のころだったと思われます。

 当時、唯一謀反の国だった狗奴国(現在の大分県)の陥落を、台与がムイジンに依頼して、彼の息子であったジュジュモが狗奴国を陥します。

 結果、騎馬民族は今の大分県から宮崎県までを領地として住むことを許されますが、しばらくして、その立場は女王の傘下でありNo.2にすぎないことに気づきます。

 彼らは宮崎県を出て、女王の住まう山口県の豊田湖畔の居城に立ち寄り、東征の許可をもらいます(これが神武東征の元)。

 ムイジンは東征の途中、伊勢神宮に立ち寄り御神託を賜り、「名をジンムと名乗れ」といわれ、関東地方まで進軍して、ジンム(神武)大王国を打ち立てたと私は推測します。

 現代、関東地方から、黄金の馬の埴輪や黄金の馬具、黄金の王冠などが出土しています。考古学の世界では、関東日本王国と呼んでいるそうです。

 つまり、上記の内容から推定すると、富雄丸山古墳の人物像が浮かび上がります。

 ムイジンの東征に同行していた有能な下臣が、怪我か病気で奈良に残り、銅鏡が3枚出土している点から少なくとも三度の功績を立てた人物と思われます。

 私の推測では、蛇行剣は馬に乗って使う剣であり、当然、2メートル以上の長さが必要です。蛇行剣はその進軍の最中、日本で作られたのでは?

 そして4世紀以降になると、朝鮮半島の百済から日本に侵攻する勢力があって、その勢力が出雲王国で国譲りを終えて奈良に入ります。それが崇神天皇(崇神大王)で、彼は富雄丸山古墳に眠っている被葬者と出会い、ムイジンの伝説を聞かされて、自分たちの先祖の物語にしたのだと思います。

 当然、崇神天皇は自身が初代だとわかっていますが、前代にムイジン含む9人を入れ、切りのいい第10代を名乗ったのでは。

(本投稿は月刊『ムー』2025年7月号より転載したものです)

※ あなたのミステリー体験、ご当地の不思議情報などはこちらからお送りください。