見るべきは右手か左手か?手に刻まれた幸せへの近道を読む/秋山眞人の「サイキック開運手相術」 第1回
日本を代表するサイキックのひとり、秋山眞人さん。10代から手相学を学びはじめたそうです。古今の文献を精読し、国内外の成功者や著名人の手相を観察するなかで、さまざまなメソッドの妥当性を検証し、開運に役立
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毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、イスラム教国であるエジプトで、何千、何万もの人々がその姿を目撃したという聖母マリアの出現を取りあげる。
聖母マリアの顕現とは、救世主イエス・キリストの母である聖母マリアが、人間の前に姿を見せるという現象である。
キリスト教においては一種の奇跡とみなされており、初めて聖母マリア出現があったのは紀元40年のこととされている。そして、アイルランドの研究家ジョアン・アシュトンの著書によれば、これまでに寄せられた聖母出現の報告は2万1000件以上に上るという。
フランスのルールドやポルトガルのファティマに聖母マリアが姿を見せたことは有名で、日本でもこのふたつの事件について数多くの関連書が書かれている。ほかにもアイルランドのノックやフランスのパリ、変わったところではアフリカにあるルワンダのキベホなど、世界中から報告がある。
その圧倒的多数はキリスト教圏からのものだが、日本でも、明治時代に島根県津和野の乙女峠で、改宗を迫られて拷問を受けていた切支丹のひとりが、聖母マリアらしき女性の姿を見ている。
そしてイスラム教国であるはずのエジプトでも、何度か聖母の姿が目撃されている。
エジプトにおける最初の聖母マリア出現は、1968年4月2日のことである。場所は首都カイロのザイトゥーン地区、トゥーマン・ベイ通りにある公営バスの向かいに位置するコプト教の聖母教会であった。
コプト教というのは、エジプトやエチオピアに信者の多いキリスト教の一派で、451年のカルケドンにおける公会議で異端とされたキリスト単性論、つまり救世主イエス・キリストは神としての性質と人としての性質を持っていたが、人の部分は神性の中に吸収されてひとつになった、という教義を持ち、ローマ・カトリック教会とは別個に教皇を戴いている。
エジプトでは、総人口の1割近くがコプト教徒であるといわれている。そのため、エジプトにもあちこちに教会があるのだ。
問題の4月2日午前3時ごろ、通りを挟んで教会の向かいにある公営バスの車庫にいた守衛が、教会の屋根に女性らしき姿を見つけた。
教会の建物は、屋根にいくつかドームを持ち、真ん中の一番大きなドームにコプト教様式の十字架が据えつけられている。その一番大きなドームに、女性がひとり立っていたのだ。
守衛の叫び声を聞いて、車庫に残っていた事務員たちが次々と外に飛びだした。彼らは最初、女性がドームから身を投げようとしていると勘違いしたようで、「はやまるんじゃない!」と声をかけた者もいたという。
しかし、彼らはすぐに、その女性の姿が尋常ではないことに気がついた。彼女の身体全体からはまばゆい、不思議な光が発しており、その反射でドームの表面が輝いていたのだ。手にはオリーブの枝のようなものを持っており、なめらかなドームの上を、足を滑らせることなく歩き回っていた。
従業員たちはその姿形から、彼女は聖母マリアに違いないと考え、その場でいっせいに膝をついて拝みはじめた。
車庫の従業員が聖母マリアの姿を見たという噂はすぐに広まり、翌日にはもう、教会の前に大勢の群衆が押しかけた。
そして聖母マリアは、この大群衆の前に、何度も繰り返し姿を見せたのだ。聖母が最後に現れたのは1971年5月というから、じつに3年以上もの長きにわたる現象であった。それも不特定多数の大勢の民衆に目撃され、その姿は何度か写真にも収められている。目撃者総数はおそらく何十万人にも達するだろう。まさしく史上最大の聖母出現事件である。
ザイトゥーンにおける聖母マリアの出現は、すべて夜間に発生し、ときには明け方に及ぶこともあった。聖母の全身が現れることもあれば、上半身だけしか現れないこともあり、キリストらしき赤子を連れていることもあれば、天使や聖人らしき人影を伴っていることもあった。
また、聖母の出現と同時に、太陽のように光る物体や、光る雲のような物体、さらにハトの形をした輝く飛行物体が目撃されたこともあれば、不思議な匂いが漂ったり、ドームに白い湯気のようなものがたちこめたりすることもあったという。聖母の出現時間もまちまちで、短時間で消えることもあれば、2時間以上目撃されることもあった。
教会に集まった人々の中には、聖母の姿を見て、長年患っていた難病が治ってしまうという奇跡を体験した人も大勢いたということである。
目撃者の中には、コプト教皇庁の聖職者や大学教授、弁護士といった知的な人々も多く含まれており、当時のナセル大統領自身も教会を訪れ、実際に聖母の姿を目撃したということだ。
事件を調査したコプト教皇庁は、5月4日になって、ザイトゥーンにおける聖母出現は事実であると公式に発表した。
エジプトでの聖母出現は、その後も何回か繰り返された。
1986年、今度はカイロ北方にあるショブラ地区に聖母マリアが姿を見せた。正確な場所はムハンマド・アブドル・ミトアール通りという非常に細い、まるで路地のような通りに面して建っている聖ダミアナ教会であった。
今回は3月25日に最初に目撃され、何か月間か出現が続いたという。
このときも、聖母はイエスを抱いた姿で現れたことがあり、また青い衣服を身にまとい、掌を上に向けた形で両手を垂らしている姿が見られたこともあるそうだ。
またザイトゥーンのときと同様、白いハトのような飛行物体が飛んだり、よい匂いが漂ったり、奇跡的な治療が発生したりしたことも報告されている。目撃者のひとりによれば、聖母の放つ光は、何キロも離れた場所からも見えたという。
次に聖母が現れたのは2000年8月のことで、南部アシュートにある聖マルコ教会に姿を見せた。
さらに2009年、またもカイロのワラーク地区にある聖母教会で、聖母の姿が目撃された。
このときの出現は12月11日から1か月ほど続いた。聖母は光り輝く姿をしていたが、腰から上だけしか見えなかったという。今回もハトのような飛行物体が目撃され、また円形の発光体が十字を組んで飛行する様子は写真にも撮られている。
このように見てくると、ザイトゥーンの事件をはじめとして、エジプトでの聖母出現には、他国では見られない特徴がいくつかあるのに気づくだろう。
まず挙げられるのは、事件はすべて夜間に発生しており、聖母は光り輝く姿をしているということ、そして出現と同時、あるいは個別に、ハトの形や円形をした光り輝く飛行物体、雲のようなものが目撃されているということだ。
光る飛行物体の出現はUFOを思い起こさせるものであり、実際UFO研究家の中には、聖母マリア出現とUFOとは関係があると主張する者もいる。
だが、何よりも特殊なのは、聖母の姿が、おそらく大部分がイスラム教徒であるはずの一般民衆に目撃されたということだ。
2万1000件以上もの聖母出現において、現場に集まった民衆が聖母
の姿を見たという事例はほとんどない。聖母の姿を見ることができたのは、
必ずといっていいほどひとり、あるいは数人の目撃者に限られている。
たとえば、ルールドの場合はベルナデットという少女だけ、ファティマ
においても、3人の子ども以外には聖母の姿は見えなかった。
不特定多数の人間がその姿を見たという事例は、アイルランドのノックで
の出現など、ごく少数しかない。そしてこのノックの事件でも、聖母を目撃したのは別々に現場を通りかかった15人ほどの村人であり、教会の周囲に集まった何千人という群衆が同時に目撃したエジプトの場合とは圧倒的に規模が異なる。
この原因としてはまず、聖母マリアがイスラム教においても特別な地位を与えられているということが指摘できるだろう。
聖母マリアは、イスラム教では預言者イエスの母であり、女預言者として尊敬されている。
イスラム教の聖典である『コーラン』第19章は聖母マリアの事績について語っており、その名も「マリア章」と呼ばれているほどだ。
もうひとつ、エジプト人の素直で信心深い性格も寄与しているのではないかと思われる。
イスラム社会では、西欧キリスト教社会が経験したような宗教改革はまだ起きていない。それだけに社会における宗教的影響力は強く、エジプト人は生まれながらにしてイスラム教の教えに染まって生きており、多くの場合強い信仰心を持っている。このような純粋な信仰心と、イスラム教における聖母マリアの地位とが相まって、彼らは聖母の姿を見ることができたのではないだろうか。
エジプトという場所に聖母が出現した原因については、コプト教以外の要素も指摘できるだろう。じつはエジプトは聖家族、イエスとその母マリア、その夫ヨセフからなる一家にとっては、特別な意味を持つ場所なのだ。
「マタイによる福音書」第2章には、ヘロデ王の迫害を免れるためヨセフは天使の忠告に従って、聖母マリアやイエスとともにエジプトへ逃れたことが記されている。
ローマ・カトリック教会はなぜかイエスのエジプト滞在についてほとんど無視しているが、コプト教徒の間では、聖家族は南部のアシュートまで足を延ばし、そこにしばらく滞在したことになっている。
そして、旅の途中で聖家族が滞在した場所にはたいてい聖母教会が建てられており、ザイトゥーンやワラークの聖母教会も、そうした聖家族が一時立ち寄った場所に建てられているのだ。
いずれにせよ、当のエジプト人たちは、聖母マリアがエジプトに姿を現したことそれ自体が、神がエジプトを祝福していることの証拠であると考えている。
●参考資料=『新千一夜物語』(羽仁礼著/三一書房)、『ナイル河畔の聖家族』(久山宗彦著/フットワーク出版)
羽仁 礼
ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。
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