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<目撃情報>この世界が現実じゃないような…私は“見られている”のではないか?

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物心がつくよりも前…というのはおかしいかもしれないが、とにかく私は幼い頃から、この世界から抜け出したくてたまらなかった。
今思えば奇妙な話だ。家庭は恵まれていた。両親は優しく、生活に困ることもなかった。
なのに、私は幼稚園の頃から線路に入ったり、団地の階段から飛び降りようとしたりしていた。

“ここじゃない”という感覚が、ずっとあった。
今にして思えば、それは「脱出」を試みていたのかもしれない。理由はない。
ただ、この世界のルールに、どこか嘘っぽさというか、舞台装置のような感覚がつきまとっていた。

小学校四年の頃、洗面所の鏡の前で、決定的な“ズレ”を経験した。
鏡の中の“私”が、勝手に笑ったのだ。私は笑っていなかったのに。
パニックになりかけたその瞬間、頭の中で冷静なもう一人の自分がいた。
「大丈夫、大丈夫」と、まるで二人自分がいるかのように。

同じことが別の日にもあった。
どちらもほんの数秒で元に戻ったが、“起きた”という事実だけは、今も強烈に残っている。

それ以来、ずっと「呼ばれている」ような気がしていた。
誰に?どこから?それはわからない。
心配して一度だけ精神科にいったが、異常なしで、もうこなくて良いと言われた。

また、人生の要所要所で、まるで用意されていたかのように“扉”が開くのだ。

私は特別に頭がいいわけではなかった。勉強も根気がなくて最低限しかしない。
それでも、いつもあきらめかけていたが、大学は毎回ギリギリで補欠合格。2月末のギリギリに電話が来る。
レジャーでは海で溺れたり、両足と腰を骨折する大事故にも遭い、二度も生死の境をさまよった。
それでも、なぜか生きて戻ってくる。

国家試験も、十分に準備できなかったし、当日はパニック状態だった。
絶対に無理だと思ったのに、なぜか合格してしまった。

そして最近では、「こういう仕事をしたいな」とふと思うと、その直後に求人が出る。
検索ワードがふと頭に浮かび、公式サイトにたどり着いて、応募すれば採用される。
三回も連続で、なかなか休人はでないのに、急に前任者が来なくなったり、数年に一度のタイミングで、一人の採用枠を勝ち取った。

そんな「たまたま」が、積み重なっていく。
そうなると、ふとこう思ってしまう。

私は本当に生きているのか?
それとも“見られている”のではないか?

10年ほど前から、図書館でシミュレーション仮説や量子力学の本を漁るようになった。
今まではまったく知らない分野なのに、読まされているように、、

あの鏡の“ズレ”、海で沈んだときの意識の空白、そして偶然の連鎖――。
それらは、何かひとつの線でつながっているように思えてならない。

つい最近も、ずっと会いたかった憧れの著者の名前を検索したら、なんと今週、私の住む近くの町に来るという。
いつもはチケット入手困難なのに、今回はなぜか告知が遅れていて空席があり、しかも運よく最前列で質問までできた。

その数日後、車屋に行ったら店長も担当者もどちらもたまたま「内田さん」。その後、夫の会社に書類を出したら、その担当者も「内田さん」。
予約していたタクシーに乗ろうとしたら、運転手にこう聞かれた。

「内田さんですか?」

…私は内田ではない。

でも、その瞬間「うちだ!」と、なぜか身体が震えた。
その帰りにたこ焼きを買ったら、レシートの合計金額は「777円」だった。

これは、ただの偶然なのだろうか?
それとも、なにかメッセージなのだろうか?
そしてこの文章を書いている間やたらテレビと階段と襖がみしみしいっている。

私たちは、本当に現実を生きているのだろうか?
それとも、“現実のような何か”の中で、繰り返しレンダリングされている存在なのだろうか――。

この文章はどこにも送る予定はなかったけれど、
さっき見つけた大好きな月刊ムーに送ります。きっと採用されるでしょう。笑

(はな)

<編集部より>
映画「トゥルーマンショー」のような、でも、なんだか「先が読める」感覚も不思議でちょっと不気味です。地に足をつけつつ、直感の一種として、活用(?)できるといいですね。

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