地鎮の要石と地底怪獣! 地震を招く空飛ぶ異形の記録/鹿角崇彦・大江戸怪獣録

文=鹿角崇彦

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    地震と鎮めがなにかと話題の昨今。地震といえばナマズだが、その前身は謎の地底怪獣だった。そして幕末、江戸には地震を予兆する不気味な飛行体が出現していた。

    地下の巨大怪獣と、鎮めの霊石「要石」

     新海誠監督の最新作「すずめの戸締り」公開が間近だが、先日先行で公開された冒頭シーンをみると、同作では地震と、その鎮めが重要なテーマになっているようだ。

     地震の怪獣といえば大ナマズ、そしてその鎮めといえば、要石だ。

     日本では、地震は地下にすむ巨大なナマズが身動きすることで大地が震えて起きるのだとされ、その巨大ナマズを封じるのが鹿島神宮境内にある巨岩・要石だといわれてきた。

    『鹿島要石真図』(東京大学総合図書館所蔵)

     江戸時代に描かれた「鹿島要石真図」では、要石の図とともに、そこから湧き上がるように出現した大ナマズと、押さえ込む武神のイメージが描かれている。

     この武神が、鹿島神宮に祀られ、地震封じの神として信仰された鹿島大神(タケミカヅチ)である。大地を鎮める要石の霊力の源泉となる神、といえるだろうか。

     図に描かれているように、要石は現物をみると意外なほど小さく感じる。しかしそれは地上に露出しているのが石のごくごく一部なだけで、地下に埋まっている部分はとてつもない大きさなのだといわれる。かつてあの水戸光圀が試しに掘らせてみたが、七日間掘り続けさせても岩の根がみえず諦めたという話も有名だ。

     巨大地震が続発した幕末には、地震ナマズをモチーフにした「鯰絵」とよばれる摺物が大量につくられ、要石=ナマズを封じる石、鹿島大神=地震を封じる神、という認識も広く共有されるようになったようだ。

     この2枚の絵は、ナマズと鹿島大神の関係性が戯画化されたもの。上は、鹿島大神の命令によって江戸のナマズ(安政大地震の犯人)が頭にささった要石を散々に打たれて懲らしめられ、それをみた信州、小田原、甲州などのナマズたち(それぞれ各地の地震の犯人たち)が口々に大神に詫びを入れているという図。

     下の絵では、のほほんとした表情の擬人化されたナマズの頭上に要石が吊るされ、その綱を雲にのった鹿島大神が握っているという構図になっている。まるでバラエティ番組でみかけるたらい落としのような一幕だが、このあとナマズはどうなったのだろう……。

    地震の原因はナマズでなく龍だった

    恐ろしい容貌のナマズ。額にみえる鳥居は鹿島神宮をあらわすのだろうか。

     さて、この図も同じく安政地震後に描かれたものだが、先のパロディ絵とはかなり雰囲気が違う。

     地震により火の海になった江戸の街をぐるりととりかこむように描かれたのがナマズということになるが、その恐ろしい容貌はどうみても魚類のレベルを超えている。

     額に「両眼日月」と書かれているとおりその目はらんらんと輝くようで、口には無数の牙が並ぶ。頭に乗った宝珠のようなものに「かなめ石」と書かれていることなどからかろうじてナマズと判断できるが、その威圧感は異形の怪獣といったほうがあっている。

     じつは地震の原因がナマズだと限定されるようになったのは歴史的にはそれほど古いことではなく、その以前には地震は「地震の虫」という巨大な怪物が起こすものだとされていた。

     次の図がその地震虫を描いたものだが、日本地図をウロボロス状にぐるりととりまく地震虫の姿は、ナマズよりも大蛇あるいは龍に近い。あるいは龍そのものといってもいいだろう。

    『ぢしんの辨』(東京大学総合図書館所蔵)より。剣は尾の先に生えているもので、頭と尾がかさなりウロボロスのように描かれているのがわかる。

     実在する特定の種ではない巨大生物と想像されていた地震虫が、ナマズのイメージ一択に集約されていったのには、先に紹介したような大量の「鯰絵」の影響もあったといわれる。

     「すずめの戸締り」の冒頭シーンでは、謎の扉から巨大なミミズ状のなにかが湧き出した直後に地震が発生していたが、あるいは新海監督は、地震の原因は江戸以前の人々が想像したように巨大な蛇状のナニかである、という説を採用しているのだろうか。

    安政地震で目撃された、神の奇瑞と不穏な飛行怪物

    馬の毛がたもとに入っていたことを伝え合う人々と、ナマズを蹴散らす伊勢の神馬の図。

     もしも地震虫が実在したとしても、地下にすむ巨大生物をみることはなかなか難しいだろう。

     いっぽう幕末安政2年の安政大地震では、江戸の人々が奇妙なものを目撃したという情報が頻発していた。

     ひとつは、地震直後からささやかれるようになった「馬の毛」の目撃情報だ。

     震度6クラスと想定される揺れとその後の火災で、推定1万人近くが死亡したとされる安政地震(江戸地震)。その後、かろうじて死を免れた人たちの着物のたもとに、なぜか馬の毛が入っていたという話があちこちで噂されるようになったのだ。

     やがて、それは地震のときに伊勢の大神宮が江戸に神馬を走らせて、日頃信心を欠かさない敬虔な人に馬の毛をつけてまわったのだ、といわれるようになる。

     なぜ信心の目印に馬の毛なのか神さまの気持ちがよくわからないが、とにかく「馬の毛=伊勢大神の御神威の証」説はあっというまに拡散し、江戸上空を駆け回る白馬の絵や、馬の毛を降らせる伊勢大神宮(天照大神)の絵、あるいはナマズを蹴散らす伊勢の神馬の絵が多く描かれるようになった。

    江戸の上空を飛ぶ鹿島大明神と伊勢の太神宮。鹿島神は要石を掲げ、神宮(天照大神)は馬の毛をふりまいている。

    浅草の空を飛んだ「異形」

     いっぽうで、同じ空を飛ぶものながら、神馬とは正反対の不気味で不吉な目撃情報の記録も残されている。

     安政2年10月1日夜、下谷長者町にすむ卯兵衛という男が、浅草寺五重塔あたりから南の方へ正体不明の何かが飛び去っていくのを目撃する。その飛行速度はまるで射られた矢のような速さだったという。

     ところがそのモノの姿があまりにも異形であったため、卯兵衛は恐怖のあまりそのまま寝込んでしまう。そして治療に呼んだ医者に自らが見たもののことを伝えた。

     するとその医者も同じものを目撃しており、さらにほかにも何人か同じものを見た人間がいたことが発覚。そこで易者を招いて詳細を伝え占わせると、それは大地震が起こり火災が発生する前兆だとの見立てが示される。

     果たして10月2日の夜、易のとおりに安政地震と大火が江戸の町を襲ったのである。人々は名易者の占いに感服したという。

     地震を予兆し、大の男を床につかせてしまうほどに恐ろしいその飛行物を描いたというのがこの図だ。馬とも魔物ともつかない、むしろ馬と魔物が融合したような異形の姿だ。

    『地震廼兆注じしんのこうしゃく』(東京大学総合図書館所蔵)より。この資料には、図の異形は1835年に清国に出現して地震の前兆となったもので、おなじものが安政地震の直前に日本にも現れたのだといったことが書かれている。

     あまりの速さのため卯兵衛もそのものを目撃したのは一瞬のことで、この図には絵師による補正がだいぶ入っているようだが、しかし、安政地震の直前に天を翔けた馬といわれたら、どうしても先の「伊勢の神馬」を連想せざるをえない。

     地震にあわせて江戸の上空を飛行し、人の着物に馬の毛を潜ませていったモノ。それは本当に伊勢の神馬だったのだろうか。そもそも、着物に入っていたのは本当に「馬の毛」だったのだろうか……。

     ちなみに卯兵衛が異形飛行物を目撃した下谷長者町は、いまの台東区上野三丁目近辺。ちょうど現在のムー編集部があるあたりである。

    図版出典一覧

    『鹿島要石真図』(東京大学総合図書館所蔵、一部をトリミング)
    『安政大地震絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    『江戸大地震之絵図』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    『ぢしんの辨』(東京大学総合図書館所蔵、一部をトリミング)
    『地震廼兆注じしんのこうしゃく』(東京大学総合図書館所蔵、一部をトリミング)

    鹿角崇彦

    古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。

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