科学捜査で超常事件の解明に挑む! 「東京サイコデミック」で人体発火現象を捜査せよ
超常現象かトリックか? 超常現象怪事件を本格捜査体験。
記事を読む
前回に続いて「人体自然発火」の恐怖を回想する。今回のテーマは「映像で見る人体自然発火」。この怪現象を描いた映画がどれも「陰謀論映画」になってしまうのはなぜなのか?
目次
前回は人間が突如「地獄の青い火」に包まれる「人体自然発火」という怪現象の概要と、その有名な事例を昭和オカルト本からピックアップして紹介した。(前回記事はこちら)
今回は「人体自然発火」シーンが登場する映像作品を紹介してみる。この現象そのものを主題にした映画などは数えるほどしかないと思うが(僕が知らないだけで、実際はもっともっと多いのかも知れないけど)、まず筆頭にあげるべきは、そのものズバリのタイトルが冠された『スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火』だろう。公開が1990年(日本公開は1991年)なので本連載が扱う「昭和」の枠組みからはみ出してしまうが、「人体自然発火映画」(?)の決定版といえる作品だ。
監督はかのトビー・フーパー。『悪魔のいけにえ』(1974年)で世界中のホラー映画に不可逆的な影響を与え、続く『悪魔の沼』(1977年)でさらに凶暴性・異常性を増し、80年代に入ってからも「遊園地ホラー・お化け屋敷ホラー」の金字塔『ファンハウス・惨劇の館』(1981年)を経て、翌年にあの『ポルターガイスト』の大ヒット。
まさに快進撃だったが、諸事情で「ヌルくなった」と言われてしまうことが多い『ポルターガイスト』以降は、初期の狂気じみた悪意を突きつけてくるハードなホラー作品は影をひそめ、85年には思春期少年の下半身を直撃するエロSFホラー『スペースバンパイア』(1985年)で世界中をザワつかせ、さらに翌年の『悪魔のいえにえ2』はまさかのコメディ映画。これまた多くの人を戸惑わせた。その後の作品もフーパー独特の「ケッタイな感じ」が楽しめるユニークな怪作が多いのだが、徐々に新作はあまり大きな話題にならなくなってしまう。そうしたキャリアの過渡期に発表されたのが、この『スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火』だったと思う。
僕はVHSが出たころに一度見たきりでかなり記憶があやふやだが、プロットはおもしろいし、ド派手な炎上シーンも満喫できるし、妙に殺伐とした雰囲気を持った力作ではあるものの、僕としては「ちょっと期待はずれだなぁ」と思ってしまった。子どもの頃に僕が「人体自然発火」に感じた恐ろしさ、なんの理由もなく唐突に人間の体が燃えあがるという超常現象の奇怪さを描くのではなく、「燃える理由」を追及して国家的陰謀にたどりつくSF的ポリティカルサスペンスといったノリなのである。
かつてアメリカで行われていた水爆実験の影響で云々……という設定の映画はよくあるが、本作の前提になっているのは、放射能への耐性をアップさせるワクチンを被験者に注射し、その上で彼らを水爆実験で被爆させて効果を観察するという、なんともおぞましい人体実験。本作での「人体自然発火」は、耐放射線ワクチンの「副作用」として描かれるが、実はこのワクチンの「副作用」にこそ国家の恐ろしい陰謀が隠されていた、といった内容だ。「ワクチンと陰謀」というテーマについては、今観なおしてみると当時とはまた違った感慨を抱いてしまうかも知れない。
僕としては「人体自然発火」現象の唐突で不可解な恐怖を堪能できるホラーでオカルティックな映画が見たいのだが、どうもそういう方向ではまともな長編映画にはなりにくいようで、どうしても「燃える理由を科学的に解明する」という形で話を進める映画が多くなるのだろう。また、「人体自然発火」と「陰謀論」は、なぜか妙に相性がいいらしい。
ツイ・ハーク監督の『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』も「陰謀論的人体自然発火映画」だ。日本公開が2012年なので、もはや「昭和ネタ」でもなんでもないが、僕は公開時に劇場に観にいった。平日の真昼間だったこともあってか、館内には僕含めて4、5人の客しかいなかったのを覚えている。巷でもあまり話題になっていなかったと思う。
舞台は唐王朝時代の中国。女帝・則天武后の即位の準備が進められる最中、権力中枢の重要人物が次々と謎の「人体自然発火」によって命を落とし、王朝は大混乱に陥る。この怪事件を解明すべく、判事ディー・レンチェが「探偵役」となって調査を進める、といったミステリー仕立てのストーリーなのだが、推理ものというよりは、最初から最後までブッ飛んだ見せ場をギュウギュウに詰め込んだ壮大な伝奇ファンタジーという感じ。超巨大仏像の大破壊シーンなどのスペクタクルが満載で、黄泉の国のような地下世界が出てきたり、ワイヤーアクションを多用したカンフーバトルも堪能できたりと、破格の荒唐無稽感が楽しい。
女帝の即位をめぐっていくつもの勢力がそれぞれの思惑で複雑に交錯するが、ハイスピードの怒涛の展開の中で大量の登場人物が暗躍しまくるので、正直、僕は複雑な権力闘争や陰謀の全貌がまったく把握できなかった。しかし細部がよくわからなくても、とにかく口あんぐりのド派手なトンデモ展開が連続するので、子どもが見ても血沸き肉躍るような作品だと思う。
本作における「人体自然発火」の要因となっているのは、なんと虫! ある森の中にだけ生息する「火炎虫」(この名前はうろ覚え。ちょっと違うかも知れない……)というカブトムシみたいな甲虫は、太陽光に当たると体から火を噴きだす習性を持っているという。この虫が暗殺に利用されていたというわけだ。当時はヘンテコな発想だなぁと思ったが、実際に100℃に達する高温の毒ガスを吹き出す「ミイデラゴミムシ」というヤツも存在するらしいので、この世のどこかには火を噴く虫もいるのかも知れない。
「人体自然発火」現象の原因を、「パイロトロン」という謎の高エネルギー粒子の影響によるものとする説があるらしい。「パイロトロンという仮想素粒子がクオークと衝突することで瞬間的に発生する莫大なエネルギーが発火をもたらす」とのことだが、僕には何のことだかさっぱりわからない。物体を自在に燃やしたり、指先から火炎を放射したりすることのできる超能力を「パイロキネシス」と呼ぶが、これにも「パイロトロン」という粒子が関係しているという考え方もあるそうだ。さらに「人体自然発火」現象によって死亡した者の多くが「パイロキネシス能力者」だったのではないか?……という説もあるという。つまり、何らかの理由で制御できずに暴走した「バイロキネシス能力」によって、能力者が自らの肉体を燃えあがらせてしまった、という解釈だ。
そこで思い出すのが、1984年に日本でも話題作として大々的に公開された『炎の少女チャーリー』である。原作はスティーブン・キング。監督は、企画段階ではジョン・カーペンターが起用される予定だったそうだが、後に『コマンドー』などを撮るマーク・L・レスターが手掛けることになった。ヒロインの燃焼系超能力少女(?)を演じるのは、『E.T.』で幼くして世界中に名を轟かせたドリュー・バリモアちゃん。本作出演時には8歳だった彼女の「天才子役ぶり」も注目を集めた。
思えば本作もまた陰謀もの。治験のバイトで新薬を投与されたカップルが「副作用」によって超能力を発動できるようになってしまい、その二人の娘として生まれた「チャーリー」が「パイロキネシス能力者」だった、というお話。しかも新薬による超能力発動は単なる「副作用」ではなく、すべては軍部の「人間兵器」開発計画の陰謀だった……と、数年後に撮られる『スポンティアスコンバッション/人体自然発火』とほぼ同じお話である。「人体自然発火」というテーマは、どうもそっち方面へ引っぱって行かないとうまくオチがつかないネタなのかも知れない。
この『炎の少女チャーリー』は3年前にちょっと地味でウエットなタッチのリメイク版が作られている。また、本作の原題は『Fire Stater』。宮部みゆきは本作のオマージュのような『クロスファイア』という燃焼系超能力少女ものを書き、『平成ガメラ』シリーズの金子修介が実写映画化している。
その他、『新・死霊のしたたり』やテレビドラマ『科捜研の女』などでも「人体自然発火」は扱われているが、僕が個人的に一番好き……というか「怖い!」と思ったのは、1968年から放映された円谷プロの特撮テレビドラマ『怪奇大作戦』である。本作の第4話「恐怖の電話」の「人体自然発火」シーンこそ、僕が子ども時代にオカルト児童書で初めてこの怪現象を知ったときに抱いた恐怖のイメージそのものだ。いや、ここで描かれるのも結局は「自然発火」ではなく、その要因を科学的に解明していく流れになるのだが、「発火」シーンの描写のあまりの唐突さ、奇怪さが常軌を逸していた。僕が見たのはすでに大人になってからだったが(あの頃、このドラマの封印回「狂気人間」のヤバさが僕ら世代のホラー好き、特撮好きの間で話題になっていた)、子ども時代に見ていたらトラウマになるレベルだと思う。
監督は実相寺昭雄。演出も撮影も編集も実相寺特有のケレン味が濃厚で、僕はこの人のクセがあまり好きじゃないのだが、本作の内容には非常によくマッチしていた。冒頭、暗闇のなかで超アップになる黒電話のベルが鳴り響くシーンからして、もう不穏で異様。若い娘(桜井浩子!)が受話器を取り、「パパに電話よ」と父親に取り次ぐ。父親が受話器を耳にあてると甲高い電子音のようなものが聞こえ、とたんに彼の体はメラメラと炎上してしまう。こうした無言電話をきっかけとする謎の焼死事件が連続し、主人公ら「SRI(科学捜査研究所)」のメンバーが科学的調査によって解明を試みる、といった内容。白昼の商店街の店先で、公衆電話の受話器を握ったまま男性が炎上するシーンがあるのだが、その演出と編集は今見ても唖然とする。これこそ僕の理想の「人体自然発火」シーンだ!……と思ってしまうのである。
本作の「人体自然発火」の要因は「電話線を通じて相手に熱線を送る特殊な超音波装置」(?)ということになっており、これ自体は荒唐無稽だが、「電話で人を殺す」といった発想には、なにやら妙なリアリティがあってヒヤリとする。物語の後半では、被害者がすべて小笠原諸島に駐屯した経験を持つ旧日本兵だったことがわかり、彼ら戦友たちが共有していたある後ろ暗い秘密と、それをめぐる犯人の殺意が明らかになってくる。
思えば『怪奇大作戦』の放映開始は1968年。米軍統治下におかれていた「東洋のガラパゴス」=小笠原諸島は、この年の6月に日本へ返還された。「恐怖の電話」は、旬の時事ネタをテーマとにした悪夢的ドラマだったわけだ。僕が1歳の赤ん坊だったころの日本はまだそんな時代だったことにあらためて驚く。当時の大人たちが抱いていたであろう「戦争の記憶」も、まだまだ生々しかったのだろう。
というわけで2回に渡って「人体自然発火」についてアレコレ語ってきたが、やってみてわかったのは、このネタは話を展開させるのが非常に難しい!……ということである(笑)。
「突如、人間が燃えあがって炭になる」という現象はあまりに即物的で、いっさいのストーリー性もなく、「起承転結」の「結」だけがゴロンと投げ出されているようで、独自の感慨などを語る余地がまるでない。できるのは原因に関する確証のない無数の仮説の紹介と、似たり寄ったりの過去の事例の羅列だけなのだ。怪現象としてはソリッド過ぎて「趣き」というものがなく、それだけで完結しているので話が広がらない。「人体自然発火映画」の多くが「発火」の原因を人為的なものとして、背後にある「国家的陰謀」を暴くという物語ばかりになるのも「さもありなん」。そうでもしないと語りようがないのだ。
しかし、このミもフタもなさというか、理由も脈絡もなく「オチ」だけを突きつけられるような感じこそが、「人体自然発火」の魅力(?)でもあると思うのだ。子どもの頃にオカルト児童書でこの現象を知ったときの特別な戦慄も、たぶんそこに由来していたのだと思う。
「人の体は原因不明のまま内側から発火し、そのまま燃え尽きてしまうことがある」というのは不条理そのものだ。まさに「突然の死」であり、理由がないので避けようもなく、脈絡がないので語りようもない。ただ不条理に対する恐怖だけがそこにある。これはほかの超常現象にはあまり見られない要素だと思う。
このように語りにくい現象が数百年も前から連綿と語り継がれるばかりか、新たに起こった事例が周期的に報告され続けているのは、なんとも興味深い。「命が燃え尽きる」という言い方があるが、「人体自然発火」は「死」というものに対して誰もが感じている「避けられない不条理性」を、最も端的に表している現象なのかも知れない。
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
関連記事
科学捜査で超常事件の解明に挑む! 「東京サイコデミック」で人体発火現象を捜査せよ
超常現象かトリックか? 超常現象怪事件を本格捜査体験。
記事を読む
人間が突然燃えあがる! 人体自然発火事件の謎/ムーペディア
毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、火の気のないところで突然人間の体が燃えあがるという、未解明の怪現象を取りあげる。
記事を読む
自動車はなぜ怖かったのか? クルマの都市伝説とホラー映画/昭和こどもオカルト回顧録
黄色い救急車、白いソアラ、赤いスポーツカー……。身近な自動車がなんとなく恐ろしくもあった時代の噂話を回想する。
記事を読む
超能力実験から開運へ!? 昭和「ピラミッドパワー」通販の活況ぶり/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録
70年代「ピラミッドパワー」ブームの後編。真剣な超能力、超常現象実験のピラミッドが、いつしか札束風呂のようなノリの開運グッズに……!?
記事を読む
おすすめ記事